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番外編◆初期構想の世界のBOX 28
【初期構想の世界のBOX 28】
▼蓄積された不可逆変化
オーサーがリビングを出て行くのを呆然と見送る。テーブルの上には食べかけのパスタと、置いていかれた犬笛。すぐ捨てようとして手に取る。でも。
――奴自身の身も危なかったからだ――
さっき言われた言葉が頭から離れなかった。例えば、本当にどうしようもなく、シュートの暴走を即座に止めねえと命に関わるような事件が起きたら……。
「……」
俺なら止められるはずだとか、シュートは絶対に俺が守るとか、そういう運命論や根性論でなんとかなる問題なら、きっとオーサーだってこんなモン、とっくに捨ててたハズだろ。それでも最近は所在不明になって気にしないくらい、もう使わなくても平気になってたことも事実だ。
捨てるか、捨てないか、迷う時点でコレは持っておいた方がいいんだと思う。何かあった時に、もしもシュートの命を守れなかったら、後悔なんて言葉じゃ片付けられない。
「チッ……」
とにかくリディアがイタズラに鳴らさねえように気をつけて、俺が所持しておこう。あんなにオーサーに対して怒ったくせに、情けねえな。
気持ちを切り替えるために顔を洗ってから地下に降りてシュートの寝室に入ると、リディアとオーサーがマットレスを見下ろすようにして静かに座ってた。
「……どうした、おい、何してンだ」
話しかけるとパッと振り向いたオーサーが口元に立てた指を当てて「静かにしろ」とジェスチャーをする。部屋の外に出て、扉を閉めてから状況を小声で説明された。
「痛みが強いらしい」
「……シュートの?」
「ああ」
どんな肺活量で鳴らしたんだ、とオーサーがため息をつく。嫌な感情が腹ン中に広がって、手のひらに冷や汗が浮かんだ。
「意識は」
「まだ戻ってない」
まだって……戻るんだよな。なあ。詰め寄りたい気持ちを抑えて静かに部屋に戻る。リディアの隣にしゃがんでシュートを見下ろすと眉間に皺を寄せて弱々しい呼吸を繰り返してた。
「あのね、シュート、あたまいたいんだって」
「……っ」
リディアなりに最大限に気をつけて小さい声を出したつもりだろうが、その瞬間シュートの顔が苦痛に歪んで、手が跳ねた。相当敏感になってるみたいだ。静かに。そう注意するにも声が出せない。そしたらオーサーが黙ってその首根っこを掴むと外へ連れ出してった。
「わあ」
「黙れ」
触れても大丈夫だろうか。慎重に手を伸ばして汗の滲んでる額に触れると熱があるみたいだった。
「はぁ、はぁ……はぁっ……」
熱と痛みと、きっと酷い目眩にも襲われてるはずだ。辛そうな姿に感情が引っ張られそうになる。常に冷静さを失うなって、オーサーにいつも言われてるのに。
「……」
ケツポケットの中で携帯が震えたから画面を確認するとメールが入ってた。
『今から耳栓を持って行く。 人の気配は少ない方がいいだろう。 俺たちは上の階に待機するから、必要なものがあればメールしろ』
熱があるんだと返信すれば、耳栓と濡れタオルや飲み物を持ってオーサーが降りてきてくれた。お互いに無言のまま、なるべく静かにモノを受け取る。
しんどそうなシュートに向き直って、額から頬、頬から耳へとゆっくり指を動かした。いつもなら俺が触るのはイヤがらないけど、今はさすがにキツいらしい。耳の淵に触れた瞬間、ビクッと反応して顔を逸らされた。
「はっ……はぁっ、はぁっ……!」
シーツを握りしめる手を震わせて、耐え難いように身を|捩《よじ》る。普段ずっと無表情で痛みにも鈍感なシュートのこんな激しい反応に胸が痛い。一体どんな苦しみの中にいるんだ。
「ごめんな」
どうしてやるのが一番なのか分からねえけど、とにかく耳栓を着けさせた方がいいのは間違いない。今こんな状態で、シーツの擦れる音さえも皮膚を刺す針のように感じてるんだろうから。
「……っ、……!」
無理やり顔を押さえてシリコン製の耳栓を右耳に突っ込むと、意識が朦朧としてる中でも思いっきり抵抗してくる。聴覚だけじゃない。視覚や触覚も過剰に反応して、全てが痛みとして認識されてんのかも。でも、やるしかない。左耳にも……と思ってたら、薄く目を開けたシュートがガバッと体を起こして倒れ込んできた。
「あ、うわっ」
慌てて支えてなんとか持ち堪えたけど、やっぱり酷い目眩がするのか、グラグラ揺れてる。ズシッと体重がかけられる度に倒れそうになる。マットレスの上に戻してやらねえと。
「っ!」
ちょうど左耳が見えやすかったから、手に持ってた耳栓をグイッと押し当てる。驚いたのか反射か、強く突き飛ばされて床で頭を打った。爪を立てられたみたいで頬と首がヒリヒリする。一方で支えを失ったシュートもガクッと手をついて倒れ込んじまった。
「はっ、はぁっ、ふぅ……っ」
「シュートっ」
すぐ様子を確認したら目がグルッと上を向いて、体から力が抜け落ちた。また意識を失っちまったみたいだ。音の刺激はマシになったのか、さっきほど「痛くて堪らない」って表情では無くなったけど、神経がやられてることは間違いない。
「……」
実際に何回くらいオーサーがアレでシュートを"無力化"したのかは知らねえが、蓄積した今までのダメージが、こうして影響を更に強くしてンじゃねえのか。ということは、使うほどにシュートは……。ああ、チクショウ、やっぱりダメだ。"アレ"はもう捨てるしかない。とにかく今は楽な体勢を取らせて汗を拭ってやるくらいしか何もできなくて、唇を噛んだ。
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