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番外編◆もしもの世界のBOX テッドのプロム 3/3
【もしもの世界のBOX テッドのプロム 3/3】
▼茶太郎(55) テッド(50)
海沿いの街、パセオ・デルマーからパロスベルデス・ドライブウェストへ乗り込み、トーランスにあるデルアモファッションセンターに向かう。ハロウィンを目前に気温はようやく涼しくなってきて、道路脇に立つ赤く色付いた木々が目を楽しませてくれる。
「もう着くぞ」
「……」
返事がない。信号待ちのタイミングで助手席を見やれば、長年連れ添ってきた最愛のパートナーはすやすやと眠っているようだった。
「テディ」
頬に落ちるまつ毛の影にそっと触れると後続車からクラクションを鳴らされる。しまったしまった。
「んー」
「ほらもう着くから」
「なに……どこ」
「デルアモ」
降りる準備しとけよ、と言っても、くあ、とあくびをしてまたヘッドレストに頭を預けやがる。寝るつもりだな。
「おい、眠いのはこっちだって一緒なんだからな」
眠いし、あちこち痛い。もうイイ歳だってのに、一晩中甘えつきやがって。ま、元気なコトは良いコトだけどな。
「寝るなよ、テッド!」
「おきてる……」
ダメだこりゃ。案の定、駐車場でぐずぐずしたのは言うまでもない。
俺たちは30年前…テッドが20歳の時に正式に入籍してから、3年くらいかけて共同生活の準備を整えて……えーと、テッドが23の時からだから、12年くらいはトーランスに家を借りて暮らしてたんだな。
その時に父さんがリタイアして車の必要ない便利な都会へ引っ越すって言うから、俺の実家へ引っ越したんだ。それからもう10年か。あっという間すぎてビックリする。
「あれ、なんだこれ?」
リビングで買ってきたモンを整理してると、変なネズミのキャラクターの描かれたスナックが入ってた。俺の声に反応して、冷蔵庫を整理してくれてたテッドが後ろから抱きついてくる。
「それチュータ、おれすき」
「いつの間に入れてたんだよ?」
体重をかけるようにして上を向くと眉間にキスされた。俺はどんどん歳とったサルになっていってンのに、ミドルになっても外見が良い……いや、むしろ磨きが掛かってる。ズルい。
「欲目ってヤツなのかな……」
「おかしたべる」
「今日はダメ。 "プロム"するんだろ」
そう言うとぐるっと体を反転させられて、抱きしめられて、顔中にキスされた。
「こら、こら」
「んー」
そのまま、あまりにも流れるように服に手を突っ込んでくるから「それはせめて最後だろ!」と逃げ出す。
「てかもう昨日も散々ヤッたじゃねえか!」
「まいにちする」
「もう55だよ俺!」
ガキのおふざけみたいにリビングのテーブルを挟んで追いかけっこをしてると無性に笑えてきた。
「ほら、今日は俺の為に色々してくれンだろ?」
何しろ、今晩は二人だけの"プロム"をするんだから。
少し前に俺は仕事をリタイアした。パロス・バーデスは生活に余裕のある富裕層が多いとはいえ、55でってのはだいぶ早い。
テッドは"変わらない"方がいいタイプだから、一緒になってからこの30年間、旅行は一度もしてないし、家具家電の買い替えも必要最低限。服も飾り気のない決まったデザインのモンばっか好んで選ぶし、自炊が基本。
そういうアレコレでスムーズに貯金が進んで、結果的にこうして早期リタイアが実現したってワケ。あとは、この家をもらえたから、家賃っていうデカい出費がなくなったのも理由のひとつだな。
これからは毎日ずっと一緒に過ごせるってコトをテッドに説明した時、リタイア……職場を"卒業"するんだと言えば、「そつぎょ……プロムする?」と訊かれたのがきっかけで、今日こうして、二人きりのプロムを開催する運びになった。
気持ちばかりの飾り付けをして、部屋の電気を落として、テーブルのキャンドルを灯す。今日は手間を省こうとピザとパスタを買って帰ってきたから、いつも通り並んで座って、静かにそれを食べて、俺は食後のコーヒー、テッドにはケーキを出してやる。
「ほら、チョコのやつでよかったんだよな?」
「うん」
頬にキスをするとくすぐったいと笑う。フォークで一口ずつ口へ運んでやれば、嬉しそうに目をキラキラさせて食べてた。
「こうしたら、おいしい」
「いつもより美味いか?」
「うん」
「じゃあ明日からは全部こうして食べさせてやるよ」
時間なら、たっぷりあるんだ。
食事の後はあえて父さんの残してってレコードプレイヤーを使って、古めかしくノイズがちで体温のある音楽を楽しみながら軽く不恰好なダンスをしたりして。
「はは、もう足は踏むなよ」
「むずかしい」
「テキトーでいいんだ、二人きりなんだから」
ギュッと密着したタイミングで目が合ったから、どちらからともなく口付ける。
「……テディ、愛してる」
「おれも」
イイ歳した大人が、部屋でキャンドルを灯して、よくわかんねぇ古い音楽に合わせて踊って、愛を囁き合って。
「ん、ん」
この後は、もうベッドにもつれ込むだけだな。
***
カーテンの隙間から、朝日が覗いてる。
時々、ふとこのカリフォルニアでの穏やかな暮らしが全部、都合のいい幸せな夢で……本当の俺はデトロイトのスラム地区で明日をも知らねえ暮らしでもしてンじゃねえか、なんて空想する時がある。
「……ふ」
そういうコトを考えた時は、それがなんでか、あんまりリアルに感じられるモンだから、テッドの体温を確認しないと気持ちが落ち着かなくて。
「ん……ちゃた……?」
隣で寝てるテッドの胸元に抱きつくと、頭を撫でられた。
「俺、怖いんだ……毎日……幸せで。 変だよな」
この奇妙な不安に襲われたのは初めてじゃねえけど、気持ちを吐き出したのは初めてだった。
「……ヘンちがう」
「え?」
「おれも……こわい」
そう言いながら抱き寄せられて、左腕をスルスルと確かめるように触られる。
「ちゃた」
「……」
俺たちは……もしかして、同じ"悪夢"を共有してたんだろうか。もう何十年も、ずっと。
「それなら、怖くないかもな」
「なに」
「お前と一緒なら……例えそこがどんな地獄でも、俺は毎日、幸せに違いねえから」
な、そうだろ。そう言って抱きつくと、耳元で「うん」って返事が聞こえた。
「……散歩でもするか?」
早朝散歩。そう言ってみると嬉しそうに起き上がる。
「する」
「そろそろ朝は冷えるから、上着着ろよ」
「ん」
静まり返る早朝の海岸をただ静かに並んで歩いて、太陽が昇っていくのをぼんやりと眺めながら「こういう時間が堪らなく幸せだなあ」って年寄りくさいコトを思ったりした。
【テッドのプロム 完】
△BOX 家族編25 『もうすぐ40代だよ、俺』より
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