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第5話 この人のために

 ユ(ユーリオーリ)国陸軍第十三大隊第三中隊将校、北葉月アラタ少佐――少尉から少佐へ。  この特進には、彼の血縁に依る所が多かった。  それを厭(いと)ったからこそ彼は少尉止まりの現状に甘んじていた。しかし軍もそんな彼の自尊心に付き合ってやれなくなったのだ。  何しろ彼は悲劇のヒーロー。上官共に総じて見捨てられながらも命からがら生還した北葉月氏に、将官の座をやらぬわけにはいかない。  貴族から出たボンボン士官は仲間を見捨てた腰抜け野郎だと避難轟々の国民に、せめて少しでも顔を立てるためだ。  アラタは悔しがった。  ――くだらない。だから嫌なんだ。だったら、どうして……。 「なんで、いちの事は無かった事にするんだ!なぜ!ヤモクだからか!!?」  アラタの悲痛な叫び、訴えは誰の耳にも届かなかった。そして彼は自身の中に確実に存在する差別の意識を自覚せずにはいられず、所詮自分も同類なのだと自己嫌悪に陥った。 「失礼します、本城ミコト中佐殿」  アラタは疲れた足でとある男の執務室を訪れていた。敬礼し、恭(うやうや)しく頭を下げ、許しを待つ。 「良い。上げなさい。どうしましたか?北葉月少佐」  丸い童顔に似合い物腰の穏やかな彼は本城ミコト中佐、ユ国陸軍第十三大隊隊長である。ともすれば微笑みかけさえしそうなミコトに対しアラタのきりりとした顔立ちが対象的で、ともすれば立場が逆の方が似合いなようだ。  戦場でのボロ布を脱いで綺麗な隊服に身を包んだアラタは年相応の清潔さを取り戻して見えた。煤けていた髪は少し日に焼けた黒色で、瞳は漆黒、気が強そうな細く整った眉、そのどれもが健康的な肌の色にとても映えている。  無骨な手にも気の強さが現れているようだった。アラタは強い意志を含んだ視線を恐れる事無くミコトに真っすぐ向けて言い放った。 「ジオル島防衛軍第三大隊特殊捜索ヤモク部隊第五小隊、ヤモクのいちを、私の軍に引き入れたく存じます」  アラタの申し出にミコトは今度こそ口元に明確な笑みを浮かべて返す。 「彼は、今どこに?」 「わかりません、捜索中です」  少し埃っぽいような、長く歩いて来たような出で立ちはそのせいか、とミコトはまた笑った。 「はい、わかりました。見つけ次第連れて来なさい」  それはつまり、兵士として役に立つと思えるなら「諾(だく)」という事だ。  この本城ミコト、軍内でも有名な"寛大な男"であった。彼には差別という概念が無い。心の底からない。アラタはそんな彼が羨ましかった。  自分の中には、拭っても拭ってもどこか後ろ暗く"差別"の意識が付きまとう。実際にヤモクと接し、いちは1人の人間であると実感した上でも、どこか、何か。  幼い頃から植え付けられた思考は一生をかけても簡単に変えられる物ではなかった。差別を差別せんために特別待遇をするなど、本末転倒。アラタにとって"普通を装う"のが精一杯の努力だった。 「ありがとうございます」  苦い顔でまた敬礼するアラタにミコトは苦笑して返す。 「北葉月少佐、あなたは勘違いをしているね」 「は、と申しますと……」 「私は、君が思うほど聖人君主なわけでは無いということさ」  本土に戻ってからあれよあれよと少佐に任命され、実家から迎えが来て、そのうちにアラタはいちを見失った。  そのことに気付いたのは帰還から5日ほど経ってから。彼はコトが落ち着くのと同時に身体を休めるのもほどほどに1人でいちの捜索を始めていた。  探す場所は橋の下や廃墟。日の光が届かない場所で1人眠っているのだろうと思った。  ――どうしているだろうか。  なんとなく、自分を待っているような気がした。  首都サントオールの郊外、寂れた廃墟の中にいちはいた。そこはアラタの実家からそう遠くない場所で驚かされた。 「いち」  踞(うずくま)る影に呼びかけながら近寄っていく。気付いていないわけがない。ヤモクの五感の鋭さはよく耳にする。  人の気配に敏感な小動物のように、自分の警戒網を侵すものがあれば一瞬で目覚めるはずなのだ。もちろんいちもそうだった。  アラタがこの廃墟の前に立った瞬間から意識は浮上していた。だが、気付いた上でそれがアラタだと知り、眠っているふりを続けている。  優しく触れて起こして欲しいのだろうか。アラタはそれを理解し、そしてそんないちが酷く不憫に思えて、同時に愛おしくなった。 「いち」  だが触れてはいけないと思った。守れもしないくせに甘やかすのは、よほど酷い仕打ちに思えたからだ。 「いち」  再三声を掛けると、いちはたった今起きたかのように目を擦りながら体を起こした。アラタは健気に自分の心を守ろうとするいちの姿に、途端に申し訳なくなる。 「もうすぐ日が落ちる。おいで」  優しく言うといちは一言も反論せずついて来た。夕日が沈むのと同時に2人は廃墟を出て、北葉月家に向かった。
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