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第6話 不必要な恐れ
それからしばらく、いちは北葉月家で暮らした。次の出動命令が出るまではここにいることに決まったのだ。
「いち、お前俺の隊に入るか?」
「少尉さんの?」
薄暗い客室で目を閉じて瞑想していたいちはアラタの言葉に耳をピクリと傾けた。
「もう今は少佐だ」
「へえ」
嫌味に笑っていちは片膝をつき、更にそこに頬杖をする。
「それよりお前、何してるんだ?寝てたのか?」
「耳を鍛えてたんだ。こうしてると家中のことはほとんどわかる」
目を瞑って浅く静かに呼吸をしていちは微動だにしなくなった。
「足音、生活音、ともすればその人の呼吸、肌を掻く音、もっと集中すれば衣擦れの音まで聞こえるんだ」
聞かれていい気はしないだろうけどね。といちは苦笑する。
「でも、時々こうして研ぎすまさないとやっぱり、劣っていくばかりだから」
アラタはここでも少し渋ってしまった。聞かれていい気はしない。正にそうなのだ。むしろ嫌な気分だ。単純に感心してやることが出来ない。そう考えてまた自己嫌悪する。
どうすればいいんだ。俺はあいつに対して"無意識に差別してしまうこと"を恐れすぎている。
「はは。嫌な気分になったなら、そう言えばいいじゃないか」
簡単に言ってくれるのはミコト中佐。いちの入隊が決まった後もアラタは暇を見つけては彼と話しに来ていた。
彼の言葉には飾り気も無く、嘘も無く、なんでも相談できる気がした。
「簡単な話、もし私が同じ事をしても君はきっと嫌に思うに違いない。君は彼の行動を彼がヤモクだから嫌だと思ったわけじゃないんだ、そうだろう?」
個人的な生活を覗かれる不快感は誰にだって抱く。ミコトの言う事はもっともだったし、アラタもわかっていた。
「……おっしゃる通りです」
「君は臆病すぎるね。彼ともっと自然に思うまま話してごらんよ」
きっと彼も、君のその緊張を感じ取って落ち着かない心持ちでいることだろう。ミコトはそう諭して微笑んだ。
「中佐殿は、やはり噂以上に寛大な方でいらっしゃる」
「そんな事も無い。私は臆病者の八方美人で、嘘つきなんだよ」
貴族出身のボンボンで、嫌われるのが怖いダメ士官だと笑ってミコトは書類を片付けていた手を止めた。
「さあ、もう仕事は止めだ。何か飲むかい?」
「いえ、もう戻ります」
そうして席を立ったアラタの背中にミコトが声をかけた。
「もうすぐ声が掛かるだろう。実家の皆さんには挨拶を済ませておきなさい」
「……はい、失礼します」
アラタが家に戻ると外出着を身に纏ったいちが丁度出て来た。
「どこか行くのか?」
「日が昇るまでに帰るよ」
「俺も一緒に行っていいか」
間髪入れずに尋ねたアラタの顔を訝(いぶか)しげにいくらか見つめた後、いちは黙って頷いた。そのまま2人は並んで歩き出す。
奇妙な光景だった。端から見れば夜道を散歩する仲の良い兄弟にさえ見えただろう。だがその間に会話は無く、ぼんやりとただ前だけ見ているアラタと、不思議そうにその顔色を伺ういち。
「……ねえ」
「うん?」
「一体どういう風の吹き回しですか、少尉さん」
「可愛げねーなあ、たまにはいいだろ」
暗い夜道を並んでただ歩く。いちは時折アラタの服の裾や腕を引いて躓きそうなものを回避させていた。
「お前がいたら暗闇も怖くないな」
アラタは唐突にそう言うと目を瞑ったまま駆け出した。
「ちょ……」
「隊長命令だ!いち、俺の目になれ!」
「ふざけてんじゃないって、あ」
ガンッ、と痛そうな音を立ててアラタは壁にぶつかった。だが気にせずに適当な方向へまた進み出す。
「こら、仕事しろ仕事」
「……十一時の方向、障害物あり」
アラタは黙って立ち止まってからうーん、と唸った。
「どうやって避けたらいいんだ?右に回避か」
「そうだよ」
呆れたようなため息まじりの声でいちは返した。これはいったい何のお遊びだ。
「足下は安全か?頭上は?他の方向にはどれくらいの距離で何がある?」
「あのさ……」
「お前の所まで連れて行ってくれ」
笑うアラタに根負けしていちは事細かに状況を報告した。右足のすぐ隣に小さな小石が落ちていることまで。
「よし、じゃあ待ってろ」
それだけ言ってアラタは自信満々に歩き出した。その歩みには迷いが無く、危なげなくいちの目の前までやってきて1メートルほどの距離でピタリと止まる。
「……目、開けてる?」
「いいや。お前のくれた情報だけで歩いたよ」
それに、開けてたってほとんど見えないような暗さだろ。アラタは目を開いていちと目線を交わしてから冗談めかして言った。
「だがこれで俺も、夜の闇を駆けることができるな」
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