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第3話
だから、何よりもまず自分の反応に驚いた。
「見合い……?」
「ええ、でも別にあなたとの関係を終わらせるつもりなんてありませんよ」
…?
なにを、言っているのだろう、この男は。
首筋をきつく吸われ、そのまま柔らかなベッドに押し倒される。半分じゃれ付くようにして俺の衣服を脱がせながら、日野は続けた。
「取引先のお嬢さんに、いたく気に入られちゃったみたいで。この年でまだ早いかなーとは思ったんですけど、そのうちどうせ結婚するんだし、まぁいいかと思って」
あなたの口癖、うつっちゃいましたね。
くすくす笑いながら俺の胸の突起を軽く吸い上げる。たったそれだけの刺激で、慣らされた体はビクンと反応した。
「うぁ……っ」
「今日、このままウチに泊まっていってくださいね。明日、仕事は休みでしょう?」
確かに明日から三日間は休みを取っていて、だけどそれは日野と共に過ごす為ではなく、来月行われる草大会の練習に当てようと思っていたものだ。
いや、ちがう。
――― ちがう。
問題は、そんなことじゃなくて。
「あ………、や……、ちょっと待て………日野ッ」
「蓮見先輩ってば、ほんとエッチですよね。おっぱいだけでこんなに濡らしといて、待ても何もないでしょう」
「ひあ……ッ」
先走りのにじみ出ている先端を優しくもみしだかれ、思わず嬌声が漏れる。
「ここ、好きですねー。でもあなたはこっちだけじゃ物足りないんですよね」
ズチュッと淫猥な音が俺の耳を打った。日野の長い指が、俺の後ろを犯したのだ。
「あっ、……、や、やっ…っ」
「先輩のだーい好きな前立腺、いっぱい突いてあげるから」
「あんっ、あ……、あああぁぁっ」
「かわい」
チュ、と俺の髪に唇を落とし、容赦なく指を押し込んでくる日野は、うっすら笑っていた。
「大好き」
「ひあっ、…あっ、ぁ、…んんっ、やめ、それ以上……っ、っんぁ、…ああぁあぁぁぁっ!!」
あっさりと指だけでイかされてしまった俺はしばらく呆然としたが、息が整うに従い、ゆっくりと日野の言葉が頭に浸透してきた。
「日野、 離せ……。俺、今日はもう帰る」
「? どうしたんですか。もしかして痛かった?」
俺は答えずに目を逸らした。
痛くはない。日野はそういうとこはマメで、今だってできるだけ傷つけないようにと、たっぷりとローションで濡らされているんだから。
ちがうんだ。
そんなことじゃなくて………。
俺は無言で身を起こし、のろのろと一人バスルームに入って鍵をかけた。相変わらず、本当にマンションなのかと疑いたくなるほど広い。うちのユニットバスの三、四倍はあるんじゃないかと思う。
――― さすがに御曹司は違います、ってか。
「先輩? どうしたんですか、ちょっと! 僕、なにか気に障るようなことしましたか?」
ドアの向こうで、日野がギャアギャア騒いでいる。
俺はそれに応えるでもなく、シャワーを浴びるでもなく、ドアを背もたれにしてそのままズルズルと座り込んだ。
結婚、すんのか。
そっか………。
男の結婚適齢期にはまだまだ早いが、まぁ人それぞれ事情と言うものがあるのだから仕方のないことなのだろう。それに一応、おめでたいことだよな、うん……。
でも、俺はさっきの日野のセリフが引っかかっていた。
「先輩………蓮見さんっ! ここ開けて下さいって。天の岩戸じゃないんだから……。もしかして、見合いのこと怒ってるんですか」
はぁ?
なんで日野が見合いをするからって俺が怒らなきゃいけないんだよ。
そんな嫉妬みたいな真似は、兄のような人間がすることだ。俺はそんな無様な人間にはならないって、誓ったんだから。
でも、それでも腑に落ちない部分はある。
「なぁ、日野。お前さっき俺と切れる気はないとか何とかぬかしてなかったか」
ドア一枚を隔てた向こうにいる男に、そう呼びかけてみる。
「ええ、そうですよ。見合いをしようが、結婚しようが、僕はあなたを手放すつもりはない」
なんじゃそら。
「それ、俺に不倫しろってこと?」
「………………」
ようは、嫁さんも俺も手に入れなければ気がすまないということか。なんて強欲な男なんだろう。
俺が彼女に恨まれて刺されるとか、そういうことは考えてないのだろうか。
――― 面倒くさい。
そんなのは、俺の生きかたに反する。そんなリスクを犯してまで、こいつと一緒にいなければならない理由なんてどこにあるのだろう。
俺はそこでようやく、さっきから胸の奥で疼いていた奇妙な感情の正体を暴いた気がした。
日野の言葉があまりにも予想外だったから少し驚いてしまったが、なんのことはない、ただ単に自分が厄介ごとに巻き込まれるのではないかという焦りだったらしい。
――― よかった、これは嫉妬なんかじゃない。
わかってしまえば、こっちのものだ。
俺はそのままシャワーを浴びて体を清めると、情けない顔で俺を待ち構えていた奴に絶交宣言を突きつけた。
あきらかに日野の顔が引きつる。
「ちょっと待って下さい、いきなり別れるなんて、どうして………」
「いきなり? それを言うならお前の見合い話だっていきなりだろ。とにかく、お前が結婚するんだったら今日限り別れる」
そのとき、日本人にしては色素の薄い奴の瞳の中に暗い愉悦が見えたように感じたのは、気のせいだったか。
「………なんだ、やっぱりそうなんですね、よかった…」
は?
キョトンと固まった俺をさも愛しげに抱きしめ、日野は甘い息をついた。
「うそです。ごめんなさい、先輩。見合いなんてしませんよ。ただ……あなたがどういう反応をしてくれるか見たくて……。試したりして、すみませんでした」
「………………」
えーと、これはつまり。
「僕、ずっと不安だったんです。もしかして六年間、一人相撲をとってきたんじゃないかって。でも良かった……!鬼のようにクールな先輩でも、やきもち焼くことなんてあるんですね」
えーと。
…あのな、日野。なんだか一人で幸福の絶頂にいるところを悪いがな。
「もしかしなくても、別に俺はお前のことなんてなんとも思ってないぞ」
「またまた、そんなに照れなくても……」
「別に照れてなんかいない。それにどっちにしろ、ここら辺が潮時じゃないのか、俺たち」
俺の淡々としたセリフに、今度こそ日野の体が強張っていくのが分かった。御曹司の柔和な顔が、信じられないというように固まる。
「……蓮見、さん…?」
「六年間も付き合ってやったんだ。十分だろ? そろそろ周りを見てもいいんじゃないのか。お互いもういい年した大人なんだから、いつまでもこのままってわけにはいかない。お前だって、遅かれ早かれ結婚はしなくちゃいけない」
「しませんよ、僕は! 誰があなた以外の人間なんかと………!」
まずい。
これは、非常にまずい兆候だ。
だから言っただろう、日野。一人の人間に深入りすると、ろくなことにならないんだよ。
「あなただって、僕のことが好きだから一緒にいてくれたんじゃないんですか?六年ですよ、六年!」
「悪いな、日野。俺、そういうの駄目なんだよ。ウチの兄貴見て知ってるだろ。恋愛感情なんて、結局なにも生み出さない。行き着く先は、血の塊なんだ」
「それは違う、蓮見さん!!」
「違わない。……じゃあな、日野。どうしてもって言うんだったら、式くらいは出てやるよ。早いとこ可愛い嫁さんと結婚しろ」
無理やり腕を振り払って、服の上にコートを羽織り、部屋を出る。
それで終わりだった。
日野に会うまでは、二週間もたたないうちに相手から離れていくのが常だった。こんな風にうざくなって自分から別れを切り出すのは久しい。
「六年だって……」
自分で言って、ふいに笑いがこみ上げてくる。そういえば、ボード歴と同じだ。
よく続いたモンだよ。
廊下に出た俺を追うように日野の部屋のドアが開かれるのを目の端で捕らえ、俺は慌ててエレベーターに乗り込んだ。
――― そう、それで終わりのはずだったのだ。
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