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約束

 周は二人の反応を固唾を呑んで待った。  男が男を好きになる──。こんな話、気持ち悪いと、聞くのも嫌だと言われかねない。でもこれを言わないと、自分の話はここで終わりだ。  それに、さっきの神宮先生の視線……。  離れていく背中を見つめる目は、周から見ても友人を見る目ではなかった。  神宮の返答も意味深に思える。  もし自分となら、これから口にする話に一縷の望みが生まれるかも知れない。 「男ね……で、その相手とさっきのスーツ男はどう関係すんだ?」  さっきから一寸の狂いもない神宮の表情に息を呑み、周は緊張した顔で二人を見た。  那生の目が左右に泳いでるのが気になったけれど、取り敢えず、同性同士の恋愛に偏見はない二人なんだとわかり、表情筋を引き締めると続きを口にした。 「あの人達……あ、すいません。話しが長くなると思いますけど」  先に断りを入れると、「構わない」と神宮が言い放ち、横にいた那生も、首をうんうんと縦に振ってくれた。 「俺が小さい頃、島に養護施設が出来たんです。施設の子も俺らと同じ学校へ通ってて。小二になった時、その施設の子どもと同じクラスになったんです。でもその子はいつも一人で寂しそうで。俺は彼とも一緒に遊びたくて、声をかけてみようかと思うようになりました」  手にしていた湯呑みを静かにテーブルへ置くと、周は話を続けた。 「男の子は外国人みたいな白い肌で、焦茶色の眸をしてて。でもその目はいつも暗く翳ってた。……だから俺から声をかけてみたんです」 「施設にいたくらいだもんな、きっと寂しいことをいっぱい経験してたのかも」  しみじみ言う那生の言葉に泣きそうになりながらも、周は続きを語った。 「伊織(いおり)……。その子の名前は伊織って言うんですけど、彼は島のどの女の子よりも弱々しくて壊れそうで、そんな伊織を同級生はみんな敬遠してました」 「でも、お前は違ったんだろ?」  神宮の言葉に深く頷き返すと、ずっと表情の変わらなかった講師の口元が綻んでいるのが目に入った。 「はい。ほっとけませんでした。一人でいる伊織に、俺は毎日声を掛けました。でも伊織から言葉は返ってこなかった。俺はウザがられてもあいつに付きまとうのをやめなかったんです」  苦笑いしながら周は、過去の無鉄砲な行動を恥ずかしそうに口にした。 「で、仲良くなった」 「はい。少しづつだけど、伊織から歩み寄ってくれたんです」 「何かわかるな。周君ってどんなに高い垣根でも取っ払ってきそうだもん」  当然のように話す那生を、複雑そうに周は見返した。単純明快な自分の性格は初対面の人にもバレているらしい。 「俺は毎日伊織と過ごしました。その内クラスのやつらも打ち解け出して、正直それは面白くなかったけど、でもみんなと楽しそうにしてる伊織の顔見るとやっぱ嬉しくて」 「自分だけの友達が取られたみたいで、ヤキモチ焼いただけだろ。それが恋愛感情になるかは不明瞭だ」  神宮の言葉に那生も納得し、同意するよう頷いていた。 「違います!」  周は声を荒げて全身で否定した。 「あ、すいません! つい……」 「いや、俺こそごめん。周君」  那生が慌てて頭を下げるのを見て、周の方が恐縮してしまった。 「いえ、俺の方こそ。聞いてもらっている身なのに」 「で、そのまま一緒に成長した──ってわけじゃなさそだな」 「はい、一緒に過ごせたのは小学校の間だけだったんです。卒業間近の時、伊織を養子にすると言って、東京に連れて行ってしまった人がいました。それっきり、伊織とは会ってません」  忘れ難い想いが込みあがり、周は目の奥が熱くなった。 「えっと……小学校六年? だよね、離れ離れになったのって。そっから今まで、ずっとその子が好きなの?」 「はい、大好きです」  那生の顔を見てキッパリ言い切ったけれど、眉にシワを寄せる彼の言いたいことはわかる。これまでも友達に話すたびに、鼻で笑われてきた。子供の時の恋を今でも貫ける奴なんていゆこまし 「……今、周君は十九か二十歳かな。そうすると、十二歳からだから八年。八年も思い続けてるってことか」  那生の顔がさっきとは打って変わり、パアッと明るくなったように見える。 「その伊織を探すため東京に進学したのか」  神宮の質問に、周は大きく頷いてみせた。 「そうです。でも名前と東京に住んでるって事しか分からなくて……。大学一年の時は見つけられる兆しすら感じられませんでした」 「子供は名前さえあれば十分仲良くなれるからな」 「はい。伊織って呼んで、向こうも俺の名前を呼んでくれる。それだけで充分でした。で、つい最近地元の同級生と会って聞いたんです。伊織は病院を経営する家に引き取られたって。そいつも最近その事を知ったらしくて」 「病院? それなら親達に聞いたらすぐ分かったんじゃないのか」  神宮の質問に、周は左右に首を振った。 「それが親に尋ねても、養護施設の事はよく知らないらしくて。施設の従業員も島の人間じゃなかったらしいんです」 「その同級生は何で今頃知ったんだろ」  那生がふと疑問に思った言葉を口にした。 「あ、それは実家に帰省した時、たまたま彼の親が施設の話をしてて、当時の噂話を思い出していいるのを聞いたらしいんです」  お茶で喉を流し込むと、周は胸の奥底が熱くなる思いを冷ましながら語った。 「病院の名前は?」と神宮に問われ、周は「わかりません」と、首を横に振った。 「じゃ、さっきの男達は?」 「あの人達もわからないんです、誰かは」 「さっきから分からないばっかだな」  呆れたような神宮に、周は徐にリュックを引き寄せると、その中から一冊のノートを取り出して見せた。 「これは?」  開かれるページを見つめながら、那生達は周の言葉を待った。 「俺が調べた都内にある全ての病院です。伊織の名前は久禮伊織(くれいおり)と言います。その名前になったんだって、最後に会った日に伊織が教えてくれました。だから病院のホームページを片っ端から調べて『久禮』と付く代表者の名前を調べてたんです」  ノートにはあらゆる病院やクリニックの名前が書かれ、赤線で消し込みがしてあった。 「周君、これ君一人で調べたのか?」  握りしめられ続けたのか、よれて表紙はボロボロだった。何としても探し出したい周の切実な思いがそこから使って伝わってくる。 「はい……こんな事、誰にも頼めませんから」 「……にしても、大変だな」 「で、手がかりになる病院の名前があったんだよな」  ノートを手にした神宮が、パラパラとページを捲りながら言った。 「はい。代表者の名前が『久禮』と言う名前になっている病院があったんです」 「その病院に行ったのか?」  周は頷いた。でも胸の中の靄はすっきり消えてはいない。 「行くことは行ったんですけど、受付の人は取り合ってくれなくて。どうしたらいいか分からなくて、ずっと病院の入り口で待ってみたんです。もしかしたら伊織が出て来るかもって」 「も、もしかして食事も取らずに……?」 「はい。昨日の朝からずっと病院の側にいたから」  周の突飛な行動に面食らった那生達が、言葉を失っている。当然だな、と周は思った。 「そりゃ腹減ってぶっ倒れるわ」 「だって先生、離れてる間にどっか行ってしまうかもしれないじゃないですか」 「無茶苦茶だな、お前。飲まず食わずなんて。パンでも齧ってればいいだろ」 「そんな余裕ありませんよ。それに同じ名前に辿り着けたんです、何がなんでも確かめたいじゃないですか。でも現実は、あの恐そうな人達に簡単に追い払われてしまったんですけど……」 「お前分からないって言ってたけど、あいつら病院の人間だろ?」 「多分……病院の警護か何かしてる人だと思います。やたら力強かったし」  暴力を振るわれたわけではなかったが、掴まれた腕の痛みが、自分を排除しようと圧力をかけていることが一目瞭然だった。 「ずっと病院に張り付いてたんだ、不審者扱いされても当然だ」  もっともな神宮の言葉を聞き、周は膝の上で握りこぶしを固くした。 「俺は、ただ伊織を知ってるか。それだけを聞きたかったんです。なのにあいつら俺の事なんて歯牙にも掛けないで、ゴミでも見るみたいだった……」  口惜しそうにこぶしを震わすと、蓄積された積年の思いが滲み出し、目の奥が熱くなってきた。 「で、その病院の名前は何て言うんだ。那生ならわかるかも知れないぞ」  俯いた周の視線の先のテーブルを神宮が指で叩きながら言うと、周は目頭を手の甲で拭って顔を上げた。 「え、何で那生さんが?」 「こいつ医者だからな。宝生大学付属病院の」 「那生さんお医者さんだったんですか。凄いです」 「いや、お前も中々だろ。薬学部なんだから」 「お、俺のは親を説得する手段にしか過ぎないだけで」  子供の頃の拙い恋情だけで突っ走ってしまったことを、これでよかったのかとずっと思ってきた。  大学に入学してからの一年間、探して探して、途方に暮れそうになりながらも、ずっと自問自答していた。  久禮と言う名前だけで闇雲に都内の病院から、小さなクリニックまで片っ端に調べたことが虚しく感じた日もあった。これが正しい方法かなのか、誰か教えて欲しいと、不毛な日々も嫌というほど味わった。  でももう一度逢いたい。  伊織に逢いたい、その気持ちだけは揺るがなかった。だからここまで必死になれたんだ。 「で、周君。病院名は?」  呆けていた周は那生の声で我に返り「四聖(ししょう)総合病院です」と慌てて答えた。 「四聖か。知ってるよ、よく患者が紹介されてくるしね」  周に引きづられ、興奮した那生が前のめりに声を張った。 「よくそこまで辿り着いたな、尊敬するよ」  神宮に褒められても、伊織が四聖病院と関係あるのかはわからない。全くの別人で、空振りに終わるもしれないのだ。 「でも、この病院がそうだとはまだ……。それにこっから先どうしたらいいか分からないんです。さっきの怖い人達もいたし」  互いの良知良能を絞り出そうと、三人は額を寄せ合っていると那生が「あ、四聖に同期がいたかも」と、弾んだ声で言った。 「本当ですか!」  飛び上がるほど喜ぶ周に、期待はしない方がいいけどと、那生が言った。 「異動してるかも知れないからさ。若い医者はあっちの病院、こっちの病院って移動が絶えないからね」 「取り敢えず那生、その同期に連絡してくれないか」 「分かった。まず確認しないとだね『久禮伊織君』が関係する病院かどうか」    二人の会話を聞きながら、周は心の中で今夜彼らに出会えたことに感謝していた。  一人では成し遂げられなかった行く先に、一歩近づけたかも知れないのとを。 「取り敢えずもう遅いし寝るか。那生、俺ら泊まるからな」 「え! た──神宮も……泊まるのか?」  上着を脱ぎながら神宮が風呂場はどこだと、それらしい扉を開けている。  周は二人の関係にさっきから微妙な空気を感じていた。  今みたいに風呂の場所がわからないのは、この部屋に来たことがない、ということだ。  それに那生が神宮を呼ぶ度に、いちいち名前を言い直している。  自分のことで一所懸命になってくれるのは有り難いけれど、もしかしたら、とんでもなくお邪魔虫だったのでは……。  そんなことを考えていると、肩をポンポンと叩かれた。  振り返ると、「周君。はい」と、那生がバスタオルと着替えを差し出している。 「那生、俺先に使うぞ」  神宮が風呂場に消えると、那生が何か言いたげな溜息を吐いた。 「あの、ご迷惑をおかけ……します」 「あ、遠慮はなし、なし。それよりこっちこそごめん。俺らお節介だったよな」 「そんなことないです! 俺は感謝してます。こんな不純な理由で先生や那生さんを煩わしてしまって」 「不純じゃないよ。それは、純愛なんだよ。周君」  片目を瞬かせて言う那生に、周は肩に入っていた力が抜けた気がした。  神宮の生徒とはいえ、ほぼ初対面の人間にメリットもないのに協力してくれようとする。  周は東京に来て初めて人の温かさを味わった気がした。 「ありがとう……ございます」 「伊織君に会えるといいな」 「はい。別れた日に約束したんです、絶対に会いに行くって。伊織は待ってるって言ってくれたから、俺はそれを信じるしかないんです。たわいもない子供の約束ですけど」  表情筋を駆使して笑顔を作ってみた。けれどそれを見抜いていたのか、那生がそっと手を差し伸べてくると、頭を優しく撫でてくれた。  その優しさだけで、周はこれまでの苦労が吹っ飛んだ気がした。

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