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優しさの種類
「那生さんっ!」
外来を終えた那生が、中庭でおにぎりのフィルムと格闘していると、嬉々とした声が聞こえて顔を上げた。
視線を向けると、周が満面の笑顔で駆け寄ってくるのが見え、こちらまで口元が綻んだ。ただ、彼の後ろにいる人物が垣間見えた途端、那生の眉間には自然とシワが深く刻まれてしまう。
周に伊織の件で電話をした後、一応、神宮にも一報していた。
してはいたけど、なぜ、一緒に来るんだ。
「鬱陶しそうな顔して。そんなにそのフィルム外すのが難しいのか。胃カメラの操作はできんのに」
しれっとした顔で言う神宮にチラリと目を向けたが、反論することはせず、周にベンチへ座るよう手招きをした。
「な、那生さん、あ、ありがとうございますっ!」
眸をキラキラさせ、興奮している周を宥める傍ら、神宮が周を挟む形で腰掛けるのを目の端で追った。
「周君の下調べのお陰だな、こんなに早くわかったのは。でも、本人に会えた訳じゃないからね」
「とんでもないっ! 俺一人じゃ確かめることすらできませんでした。だから伊織がいる場所がわかっただけで、那生さんに感謝しても仕切れないですよ」
既に想い人に再会したかのよう興奮する周に、隣に座っていた神宮が口角を僅かに上げてしたり顔を向けている。
「よかったな。これで講義に集中できるだろ。課題出してないの、お前だけだし」
神宮が軽く指で周の額を弾いてみても、何枚でも書いて提出しますよと、胸を張った生徒がニヤついている。
「周君、一度病院に行ってみたらどうかな。久禮伊織に会いたいと、君の名前を伝えてもらったら伊織君も覚えてるかも知れないし」
「そう……ですね。でもまたあのスーツの人に追い払われたら……。俺、顔覚えられてるかもだし」
さっきまで手放しに喜んでいた顔に翳を差し、大袈裟なほど肩を落としている。確かに、見知らぬ車に乗せられ、道端に取り残された挙句、罵倒を浴びれば躊躇するのもわかる。
「あれはお前が病院に一晩中張り込むって奇行をするから、怪しいやつ認定されて摘み出されたんだろう」
突き放したような言葉を残し、神宮は少し離れた場所にある喫煙所へと行ってしまった。
「ごめん、周君。た──神宮の言い方キツいよな」
神宮の後ろ姿を見つめながら那生が溢すと、周は水浴びをした犬のように頭を左右に振って、笑顔をみせてくれた。
「全然平気です。伊織探しに夢中な俺が単位落とさないよう、気にしてくれてるんだと思います。神宮先生って、以外と優しいですよね」
「……そうだな、あいつも一応先生だもんな」
優しい、か。
そう、神宮は優しい男だ。それはずっと側にいたから知っている。
周がにっこりと微笑むのを見て、反応に困ってしまった。
親友以上の気持ちを持ったまま、『親友』をこなすことが、周の純粋な気持ちを前にすると不誠実なことのように思える。
高校、大学を卒業し、同窓会に行くまでは頑なに避けてきた存在。それはこれからも貫かなければならない。じゃないと親友を永遠に失ってしまう。
名前さえ呼ばなければ、アイツとの間に引いたラインは『親友』をキープできるから。
「で、どーすんだ周。そいつに会いに行くのか」
いつの間にか喫煙所から戻ってきた神宮の問いかけが聞こえ、周の笑顔が苦笑に変わっていった。
「行きたいです……でも、ちょっと勇気入りますね。会えたとしても、向こうはもう俺のこと覚えてないかも知れないし……」
さっきまでとは打って変わり、尻込みしてしまう気持ちはよくわかる。行動に起こさなければ、優しい思い出として自分の中に残り、それを大切にしてこの先を生きていけばいい。
時々、引き出しから出して、眺める宝物のように。
けれど、周には諦めずに貫いて欲しい。純粋な思いを相手に届けて欲しい。
「周君の気持ち、分からなくもないよ。でも小さい頃の約束を叶えるチャンスじゃないのかな」
「それは……そうですけど。でも、いざ会って、『君だれ?』何て言われちゃったら、俺は立ち直れないかもしれません」
偉丈夫 な体を心細げに折り曲げ、周が口を真一文字に引いて懊悩している。
「周君……」
「じゃ、やめればいい。それもお前の自由だ」
「神宮、そんな身も蓋もない言い方しなくても」
「周さ、ここまで来るのにどんだけ時間を費やした。そいつと離れ離れになってからお前は何年思い続けてきたんだ。何のために東京に来たんだ」
神宮から放たれた言葉が、周の真意を刺激したのか、苦悩している顔に赤みが差した。
「そう……ですね。俺、伊織に会うために勉強も必死でやってきて、親も説得したんだ」
逡巡していた顔は、払拭させようと目に輝きを徐々に復活させていた。
「そうだよ。あのノートを思い出してみて、あんなに苦労して調べたのに」
汗と涙の結晶、とまで言うのは大袈裟かもしれないけど、周がリアルに努力し、伊織に辿り付いたことは無駄にしてはダメだ。
「あの、那生さんお願いがありま──」
「だめだ」
周の声を遮るよう、神宮が先に言葉を遮った。
「先生、俺まだ何もっ」
「お前の言いたかったセリフはこうだろ。『那生さん、付いてきて下さい』だ」
「ど、どうして分かったんですか!」
「やっぱりな」
「ダメですか」
「ダメだ」
二人が押し問答する横で、那生は、なぜ神宮が断ったのか首を傾げていた。
ついて行こうが行くまいが、神宮には全く関係ないことのなのに。
互いに引こうとしない二人の間に割って入ると、いいよと、答えていた。
「ほんとですか、那生さんっ!」
「那生、甘やかすな」
「なんでダメなんだ。別にいいじゃないか。た、神宮が頼まれた訳じゃないんだし」
「……お前がそこまでする必要はないと言ってるんだ」
この言葉に那生はカチンとし、ジロリと睨みつけた後、わざと神宮に背中を向けて存在を無視するように話を進めた。
「付いて行くけど、日にちは指定させてもらうから。俺も病院休めないし。それと、一切何も言わない。全部自分で話すんだ」
「は、はい。分かりました。ありがとうございます、那生さん」
ベンチから飛び上がり、頭を下げて喜ぶ周を見て、
「来週の火曜日なら外来もカメラの当番でもないから、午後からなら早退できると思う」
「えっと、俺も火曜は午後の講義ないんで平気です」
周と細かい打ち合わせをしていると、神宮が踵を返し、去って行こうとしている。那生はその姿を見て不意に心細くなった。
「たま、神宮、煙草か?」
さっきキツい言い方をしてしまったことを反省し、離れていく背中になんでもない言葉をかけていた。
「……周、那生はな、またスーツの奴が来ないか心配してるから付き添うんだ。それをちゃんと理解しろよ」
肩越しに聞こえた言葉に、胸が締め付けられた。
放たれた声や、言葉を紡ぐ速度が、那生の心を包み込んでくる。
神宮は、優しい……。
けれど、その優しさが親友からのものだと分かっているから、与えられても余計に苦しくなるだけだった。
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