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別人

 栞里の葬儀も終わり、連続殺人事件と戯画的に騒ぐマスコミ達の攻撃も鎮火した頃、那生は周と共に、再び四聖病院に足を運んでいた。 「那生さん、また一緒に来てくれて嬉しいです」  あからさまにホッとした顔をマジマジ見ると、昨夜、周から届いた心細げなメールを思い出し、那生は吹き出しそうになった。 「え、何かおかしいですか?」      「いや、周君は可愛いなーって思ってね」 「な、何言ってんですか! こんなガタイの男に」  赤面する周の背中を軽く叩くと、那生はと受付へ足を運んだ。 「すいません、今日手術の見学をさせて頂く事になってます、宝生病院の才原と申しますが、消化器外科の郷司(ごうし)先生に取次をお願いできますか」  事務服姿の女性は、無表情で定型文の挨拶をした後、那生の言葉を聞き終わらないうちに受話器に手をかけ、どこかへと発信していた。 「エレベーターで七階まで上がってください。すぐに郷司が参りますので」  電話を終えた女性が機械音声のように言った指示通り、那生と周は迷う事なく言われた場所へと向かった。少し気になるのは、病院に入るまで見せていた有頂天っぷりが鳴りをひそめていること。那生は大人しくなった周に、もしかして緊張してるのかと、聞いてみた。  到着したエレベーターに乗り込むと、周が七階のボタンを押しながら大袈裟なほどの溜息を吐いた。 「那生さん……。俺、医学生でもないのに、こんなとこまで一緒に行っていいんですか」  緊張しているのか、声を上擦らせる周に「バレないでしょ」と平然として言って退けた。 「……なに?」  周の視線を感じるながら、那生は点滅していく階数ボタンに目を向けたままで返事をした。 「那生さんって意外と破天荒ですね。先生と真逆だ」 「え、何それ。人聞きの悪い。それに神宮と比べるんじゃないよ、あいつは超が付くほど出来がいいんだ。そもそも俺は比較対象になんてならない」  つい卑下してしまった。  神宮の全てが欲しいくせに、反面、彼の秀逸さが羨ましい。それを見透かされた気がして、つい、大人気ないことを言ってしまった。 「す、すいません……」 「いや、俺も……なんかごめん」  変な空気になってしまったのが功を奏し、緊張が緩和された周にホッとした。  その後すぐ、七階の到着を知らせる点灯ボタンに気付くと、二人はフロアへと降り立った。 「前に来た時は、この階に入ることができなかったけ──」  静かすぎる空間に周の声が響き、慌てて人差し指を口元で立てて見せる。その時「才原先生?」と、背後から声をかけられ、那生は心臓が止まりそうになった。  声の方を振り向くと、毛足の長いカーペットの上を、素足でドクターサンダルを履いた白衣姿の男が近づいて来た。 「あ、はい。才原那生です。こっちは医学生の葦津と言います。郷司先生でしょうか」 「そうです、お待たせしてすいません。並川(なみかわ)部長から話は聞いてますよ」  無精髭プラス寝癖のついた髪が郷司の忙殺した業務を想像させ、那生は恐縮してしまった。 「お忙しい所無理言って申し訳ないです。今度担当する患者さんが、膵管内乳頭粘液性腫瘍の混合型でして、一度他院での治療も参考にしたくて並川に頼んでたんですよ」 「とんでもない。いつもこちらが宝生大さんに助けていただいてるのに、お互い様ですよ」    四聖病院の消化器外科、中でも、低侵襲ロボット支援手術──通称、ダヴィンチ手術の技術はピカイチだと聞いている。  患者への負担が少ない腹腔鏡手術と同じようにいくつかの小さな切開部を作り、外科医の操作に従って内視鏡やメスを操作して行う内視鏡手術だ。  那生は消化器内科の医師だが、最近、外科への転科を考えていた。  消化器内科で内視鏡を用い、様々な治療をしたい。医者になりたての頃はそう考えていたが、今まで専攻していた分野の知識が深まるにつれ、他領域への興味が芽生えてきたのだ。  だからこそ、機会があれば他病院へ赴き、湧き上がる自分の中の熱を確かめている。  社交辞令もそこそこに、那生達は郷司の案内で七階の医局横にある応接室に案内された。 「手術は一時間後に始まります。準備がありますのでしばらくここでお待ちください」 「ありがとうございます、よろしくお願いします」  那生が会釈をすると、郷司は八重歯を光らせ、満面の笑顔で扉を閉めると立ち去って行った。  肩の力が抜けた那生は、ソファに全体重を乗せるように座ると、思った以上に緊張していた事を自覚する。 「那生さん、緊張してましたね」 「わかる? 俺顔に出てたかな」  動揺する那生とは反対に、周の顔がどこかホッとしている。 「大丈夫だったと思います。俺なんて緊張して手汗半端ないですよ」 「はあー、ここまで来たけどこの先どうするか……」 「……神宮先生に聞きました。伊織の件とは別で、那生さん達もこの病院に用があるんですよね」 「ああ……まあ」  ──さすが神宮だな。  周の性格からして、栞里の情報を探ろうとしていることを知れば、鼻息荒げに協力すると言いかねない。きっと、上手く言って先に釘を刺してくれたんだろうと思った。  周を巻き込まないようするために……。  思っている事が顔に出てしまったのか、無意識に眉相に力を込めていると、 「俺邪魔しませんから、大丈夫っすよ」と、日に焼けた肌に似合う白い歯を向けられた。   「そうか……ごめんな。ありがとう」 「いや、謝らないでください。無理言って連れて来てもらったのは俺だし」  申し訳なさげに、でも素直な感情を躊躇なくさらけ出してくれる周を見て、癒された気がした。  自分も真っ直ぐ気持ちをぶつけられることができたら、今とは別の生き方ができたかも知れない。  だからこそ、奈良崎の力になりたかった。  悲しむ顔をこれ以上見なくない。それには僅かでも手掛かりが欲しい。刑事ごっこでも何でもいい、ただ犯人を見つけて罪を償わせたい。   「那生さん俺先にトイレ行っときます。確かエレベーターの奥にあったと思うので」  ちょっと行って来ます、と言って部屋を出る周を見送ると、那生はスマホを取り出した。  栞里の事件や過去にあった同じような事件。これらをまとめて記録しているメモを開き、まだまだ情報が少なすぎる記述に溜息が出る。 「妊婦検診に来て、何時にここを出たのかさえわかんないんだもんな」  今日の手術が終わった後、那生は郷司に一度話をしてみようと思った。栞里が自分の遠縁の親戚だとでも言えば、何か情報は得られるかも知れない。それが必死に絞り出した妙案だった。   四聖病院から遺体発見現場の、みつが池公園まで一キロ程の距離だったのは神宮と既に確認済みだった。だがいつもは自宅に戻る時には公園を避け、遠回りでも商店街の方を通って帰るルーティンを、なぜ今回に限って近道をしたのだろうか。  膝に体重を預ける形で、そんな考えに耽っていると、慌ただしく走る靴音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。同時に、「那生さん!」と、興奮した室内犬のように、周が転がるように部屋へ入って来た。 「あ、周君っ。静かにしないと、そんな走っちゃ──」 「い、伊織が……いた」 「えっ!」 「来て、那生さん!」  返事も待てない周に手首を掴まれ、強引に部屋の外へ連れ出された。 「あ、周君。ちょっと待て。落ち着けって」   引き摺られるように廊下へ出ると、トイレの斜め前にある総務課が見える位置まで来た那生は、周に言われるがまま死角になる壁に身を隠した。 「何、伊織君が本当にいた──」 「シッ! 静かに。総務課の入り口見ててください」  言下に言われ、仕方なく周の行動に従うことにした。    手術見学がいくら正当な理由でも、周は医学生ではなくただの薬学部の生徒だ。見つかると那生の上司にも迷惑がかかり、謝るだけでは済まないかもしれない。  頭の中で土下座をするシミレーションをしながら、那生は息を殺し、食い入るように一点を見つめる周と同じ方向を注視した。 「あっ! 那生さん。ほらあそこ!」  総務課から出て来たのは、以前、四聖病院に来たときに階段で見かけた男性の雰囲気に似ている。 「伊織だ……間違いない。子供の時と変わらない……」  男性が書類を片手に電話をしている姿を、愛おしそうに見る周に「白シャツも同じだな」と、囁いた。  襟元から伸びた白い首が、儚げで消えてしまいそうな輪郭。周の言っていた、口元のほくろが妖艶さを醸し出していた。男なのに、『綺麗』と形容するのが似合っている。 「俺、声かけて来ます」 「え!」  男性が通話を終了するのを待っていたかのように、制止する那生の手を振り払い、周が男性の元へ走って行ってしまった。 「あ、あまねくっ──」  声を上げそうになった口を両手で塞ぎながら、那生はその身を隠した。  静まり返る廊下で急に現れた男に目の前で立ちはだかれ、白いシャツの男性は怪訝な表情を浮かべて、周を睨むよう見つめている。 「……君、誰?」  色素の薄そうな雪肌に焦げ茶色の前髪から覗く黒い虹彩。中性的な雰囲気を持つ男性は、どこか日本人離れした美しい相好で、那生の位置からでも周が動揺しているのが分かった。 「あ、あの俺……」 「患者か? それとも見舞いに来たのか? ここに病室はないよ」  雪解け水を想像する澄んだ声で、男性は諭すように周に声をかけている。  周本人と言えば、いざとなると、何を話せばいいのか分からず、陸に上がった魚のように口をパクパクさせている。  見守っていた那生は、緊張のあまり嘔吐きそうなのを必死で堪えていた。 「いや、か、患者じゃないです。あの……お、俺、周だよ、葦津周。宮古島で一緒だった。小学校の時からずっとずっと一緒だった……あまねだよ」  周の質問に男性は黙して語らずの状態で、しどろもどろに言葉を重ねる周を観察している。 「ね、君、伊織だろ? 小六の時転校してった。それまでよく一緒に遊んでたんだよ」  必死で話しかける周を訝しげに見る眼差しは、那生から見ても懐かしい幼馴染かも……などではなかった。  質問に答える事なく、男性は無言でエレベーターへと足を向けてしまった。 「俺、約束通りお前に会いに来たんだ。会いたくて……ずっと伊織に会いたかったんだ」  切なく叫ぶ声が去って行く背中を引き止めようとしても、振り返る気配を微塵も感じられず、上階へ行く到着ランプが無情に点灯してしまう。 「伊織! 俺はずっとお前を探してたんだ! 伊織っ」  扉が開くと、一言も発さないまま男性は無駄のない所作で、周の存在を無視するようにボタンを押すと、静かに扉は閉まった。 「伊織……」  呟いたと同時に力が抜けたのか、膝から崩れ落ちる周の側に那生はゆっくりと歩み寄った。 「周君……平気か?」  那生はそっと肩に手を置いた。熱を帯びた身体が発酵しそうな程熱く震えている。 「さっきの人は……伊織です。絶対に伊織なんです。俺にはわかるんです。うぅううぅ……」  溢れる雫を拭おうともせず、本能のまま悲しみをカーペットに落下させ、水滴は吸い込まれては消えていった。 「取り敢えず、さっきの部屋に戻ろう。ここにいたら怪しまれる」  那生は強引に周の腕を抱えると、応接室へと戻った。

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