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第12話
施設に初めて来た幼い頃、リンはよく分からない注射を受けた。当時はその痛みを嫌がるばかりだったが、今ならあれは何らかの機械を植え付けられたんだと推測できる。おそらくそれは、感情の遷移を数値化して、施設に知らせる。
「少し澱んでいますね」
「弟」の所持する感情値が高いことを、施設職員の多くは「澱む」と表現する。透明な水底に汚泥が沈むように、何の感情も持たないことが正しいとされる「弟」の奥底に、不要な感情が溜まっているから。
今、リンに沈んでいる感情は何だろう。「仕事」をこなしたことによる優越感と油断。それから……自分勝手な大人たちへの敵意。
「綺麗にしてもらってきなさい」
分析してみたところで、これらは「兄」に全て移すのだから、あまり意味の無いことだ。
「兄」と「弟」の部屋は施設の別棟になる。近くに置いておくと無駄に接触が起きて、感情の値が面倒臭くなるからかもしれない。
別棟といっても、施設はどこも似たり寄ったりで、リンはセトの後ろにつく形で、無味乾燥な廊下を歩き、自分の部屋と似たような場所の扉を開ける。
部屋の造りもほとんど同じで、白い壁に囲まれた小さな空間と、必要最低限の家具がそこにあるだけ。リンと違うのは、部屋に窓がないこと、それと机の上に兄弟ふたりの写真が飾ってあることくらいだろうか。
「リョウ、澱みの吸収をお願いします」
「あ、ああ」
豊富な感情をもって何か考え事でもしていたのか、兄は驚いた表情を見せた。
「リンはもう仕事を終えたんだね。流石だ」
「兄さんの言った通りに動いただけだよ」
淡々と答えるリンをよそに、兄は両手を広げる。リンは躊躇うことなく彼の腕の中に身を任せた。
「……おかえり、リン」
「ただいま。兄さん」
兄は毎回、何を考えていようと、何を憂いていようと、「仕事」を終えて帰ってきた弟を抱きしめることを忘れない。安心とも喜びとも縁遠くなったリンは、単なる習慣としてそれを受け入れている。
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