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第29話

「別に、「前と違う」っつーのは立派な拒絶理由になるだろ。人間、いきなり違う環境に放り込まれたらびびるもんだ」 なんの慰めか分からないが、彼は頭をぽんと軽く叩いた。それは一回だけでなく、二回、三回と……髪の感触を楽しんでいるんだろうか。 「別に、びびってるわけじゃない……けど……」 語尾がごにょごにょしてしまうのは、先ほどのやけに説得力のある言葉が、彼の経験に基づいたものじゃないかと思い至ったからだ。 雑多で劣悪な貧民街から、無機質な研究施設へ。きっと拘束されながら。 それは保護なんて温かなものではなく、野生動物と同じ扱いの「捕獲」だ。 そして後の彼は、実験動物さながらいつも同じ部屋にいることになる。「仕事」の時以外は。 「びびってないなら、傷心ってとこか?」 次から次へと、彼の口からは単語がぽんぽんと飛び出してくる。案外、お喋りなのかもしれない。そして案外、頭は悪くないのかもしれない。そんな失礼なことをリンは考える。 今日の「仕事」にしてもそうだった。彼は別件に行くからと、リン用の計画はあらかじめ立てられていたものを伝え聞いただけ。 それでも、敵の行動の先読みは的確だった。もっとも、途中で屋根から飛び降りろとか予備のナイフを投擲して壁に突き刺せとか、無茶苦茶な指示は多かったけれど。 そういえば、そんなところさえ兄とは正反対だ。 「傷心……」 聞き慣れも言い慣れもしない言葉を、リンは口に出してみる。 傷ついていたのだろうか。自分は。心が。 「ま、ただ傷ついてるだけなら遠慮はいらねぇな」 そのうち傷跡になるだけだと彼は言った。消えると表現しないことが不思議だった。 「オレは、その傷口に塩を塗らなきゃいいだけだ」 「ちょっと、何して……」 胸ぐらを掴まれたのかと思った。しかし彼は襟元に手をかけただけで、乱暴を働こうとしたわけじゃない。ただ、おもむろに釦は外されていくけれど。
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