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第49話
それでも、逃げられない時は来る。むしろ、この短時間でも彼と一緒にいられるならと、自分は待ち望んでいたのではなかったか。だから、今日は自分から彼の本だらけの部屋を訪ねたのではなかったか。
しかし、数日ぶりに彼と向き合って立っているだけで、身の置き所がなくなるなんて思わなかった。
ずっと押さえつけていたはずの心臓が暴れだして苦しくなる。恋人同士の口づけとは意味合いが異なると、これはただの実験だと分かっているのに、思わず彼から目を逸らしてしまった。
「お前なぁ……」
彼は呆れたようにため息をつく。それでも今まで本当の意味の、拒絶に似た呆れを示したことは無かったし、むしろ二人の間にある張り詰めた空気を解くようなため息に、少しだけ緊張が解れたのも事実だった。
しかし、それもほんの一瞬だけ。
「いい加減にしろよ!?」
大声を出され、心臓がばくばく鳴る。少ししても、残響と重なって聞こえるくらいには落ち着く素振りを見せなかった。いきなり大きな音を出されて驚いたということもある。
でも、それ以上に、彼との距離が近いことに、どうしようもないほどの緊張を覚えている。
ふたりで向き合っている間に、気づけばリンの方が後ずさりしていたのか、壁を背にして逃げ場がなくなっていた。
ロウは獲物を追い詰める動物みたいに、さらに念を入れて、両腕でこちらを囲み逃げ場を無くす。以前読んだ少女漫画にも似た場面はあったし、リンも最初はうっかり勘違いしそうになったが(そして、認めたくない事実として、勘違いでさらに胸が高鳴ったが)、目が合うと本気で問い詰めようとしているのが分かった。
「オレを嫌ってるならそう言え。ちゃんと、理由も込みで」
「違……っ」
嫌ってなんかない。むしろ……。
そう言いたいのに、続きは唇が震えて声にならなかった。自分がたった数文字を言葉にすることができないと自覚した瞬間から。
「ほれ。続き、言ってみ?」
リンを追い詰めたのは最初だけで、責めるような表情ではなかった。ただし、体勢を変える素振りは見せず、明らかに言うまで逃がさないという圧力をかけてきている。彼に見つめられるだけで、ただでさえ覚えたばかりの言葉がどこかへ行ってしまう。
「……言えない」
言いたくない、じゃなくて言えない、と口にしたのは、察しのいい彼に伝わることを望んだからだ。言いたくないだけじゃなくて、言うのが怖いんだと。
叶うことなら、すべてぶちまけてしまった方が楽になる。ならばいっそのこと、自分の心ごと吸い取って欲しい。
「お前なぁ……」
「……っ!」
ため息をひとつ。けれど先ほどの呆れとは違う。何かを観念したため息だった。そして、唇を奪うのは、不意打ちのように急だった。
「んっ、ぅ……」
舌を食まれ、吸われ、唾液ごと持っていかれる。その後、少し躊躇って唇を離そうとして、もう一度軽く口づけた。
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