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第54話
血まみれの姿に、最初は大怪我をしたんじゃないかとぎょっとした。だから元気がなく、虚ろなのだと。
しかし、立っていられるということは、それなりには無事のはずだった。腕も足も、怪我をしている様子は見られない。であれば、彼の衣服を染めているのは返り血か。
リンが近づくと、唸るような、呻くような声を上げる。同じ人間とは思えない。彼にそんな感想を抱いたこともあったが、今の方がずっと、獣みたいだ。
ずっと苦しそうな顔をしている。体が痛むとか、何かが不快だとかいう表情じゃない。きっとよくない感情を、「仕事」の相手から意図せず摂取してしまった。
暴力にあふれた現場で、これだけ血と肉が散らばっているのなら、口を開けた瞬間に、もしくら返り血を拭った時に、付着した他者の体液が摂取されることもあるだろう。
彼が、自分以外の血を飲んだ。どこの誰かすら分からない人間の感情を知った。それは初めてじゃないはずなのに、どうしようもなく胸が騒いだ。今すぐ彼の胸ぐらを掴んで問いただしたいくらいには。
違う。今はそんな身勝手なことを考えている場合じゃない。いつもの彼に戻って欲しいという気持ちも、確かに自分の胸にあるはずなのに。
せめて、彼をここから引き離そう。そう思って近づいた。足音がしても、彼はもはやこちらを見ようともしない。何かをずっと呟いている。
なんで。
どうして。
かろうじて、唇の動きからそう読み取れた。
「全部壊してやる……全部、全部、全部……ッ!」
手を伸ばしたらもう届く距離まで近づくと、彼はリンに気づき叫んだ。誰かが来たことは分かっているはずなのに、それがリンだと認識していない。
「ぼくにも、アンタにも、価値なんてないんだからさあ」
「ぼく」も「アンタ」も、彼が口にするのを聞いたことがない。混乱している。他者の感情と記憶で、彼という人間がどんどん薄まっていく。嫌だと思った。虚ろな目でどこを見てるの。僕がここにいるのに。
「ふざけるな……!やめてくれ……もう勝手にアンタらがオレの価値を決めるな!そうやって決めつけて、また殴るのか!?」
誰も、彼を殴りなどしない。「仕事」の時以外には。たとえその逆はあっても。だからこれは彼本人の感情なのかどうか判断がつかない。ただ、誰のものであれ、本気で叫んでいるという事実だけがあった。
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