58 / 82
第58話
やがて少年には物心以上に思考というものが備わり、自分には家も家族もないことを知った。
雨が降れば雫のかからない廃墟に避難する。しかし先客の大人がいると追い出された。それだけならまだしも、怒鳴られたり殴られたり蹴られたりと、八つ当たり紛いに玩具代わりにされた。
そんな時は逃げるように這いずって、娼館の庇の下で雨も夜も明かす。寒さに耐えかねて死体から衣服を剥いだことが何度もあった。
そんな環境でも生きていられたのは、娼館の客が気まぐれに餌を与えていくからだ。余った小銭をばら撒いていくこともある。
少年はそれを生活の足しにした。毎日飯を食うのにも困っていたけれど、小さな銅貨が一枚でもあれば、虫と混ざった米が買えた。それと雨水で、運悪く腹を壊しさえしなければ3日は凌げる。
さすがに「このガキ、いくらだ?」と近くにいた女に聞いている男を見た時は、意味は分からずとも嫌な予感がして逃げたけど。ねっとりとまとわりつく視線を振り払いながら、空腹を訴える霞がかった頭でその意味を考えた。
この世界には、自分に餌を与えるような、持っている人間がいる。かと思えば、何も持たず明日を生きていけるかすら分からない自分のような人間もいる。
自分が庇の下に住み着くようにしているあの建物の中にいるのは、きっとあまり持っていない人。そんな人と、餌を与えてくる持っている人が、腕を組んで建物の中に入っていくのを見たことがある。
石壁の建物はどこもかしこも茶色に変色しており、ところどころの壁は穴が空いたり崩れていたりする。
少し前、興味本位でそこを覗いてみた。男と女が入っていった後、甲高い獣の呻くような苦しむような声が聞こえたから。壁の向こうでは、裸の人間二人がくっついて、足や腕を絡め一匹の虫のようになっていた。
「ちゃんとしてよ。子どもができたらどうするの」
「そしたらここを出て一緒に暮らしてくれるかい?お金なら出すから」
冗談のように、くすくすと笑いながら囁き合う。
そうすることで、子どもができるんだろうか。自分も、その結果生まれたんだろうか。母親は彼女のようにお金を出してもらえず、一緒に暮らしてももらえなかったんだろうか。それとも――ふたりは一緒に暮らしても、自分は要らなかったんだろうか。
ふと、壁の向こうにいる男と目があった。気のせいかもしれないが、自分をいくらだと尋ねた男の目に似ていた。怖くなってその場を駆け出す。もう、ここにはいられないと思った。涙は出なかった。そういうのは、殴られたり蹴られたりして、体が痛い時に出てくるものだから。
ともだちにシェアしよう!