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第60話
顔は逆光でよく見えない。ただ丁寧に切りそろえられた髪が印象的だった。ここにいる人間は、かつて少年が住み着いていた建物の中の女を除けば、髪はみんな汚れでべたべたする。髪に指を通そうとすればぎしぎしという音が聞こえていそうなほどに傷んでいる。
なのに、彼の髪は太陽の光を閉じ込めたような明るい金色で、風に吹かれてさらさらと揺れていた。
差し出された手を掴もうか迷っているうちに、彼の方から掴んできて、空腹で力が入らない体を無理やり立たされる。そのまま引っ張って表通りへ。そこは裏通り以上に来たことのない場所で、影もなく蒸し暑い。なにより頭上に出ている太陽の眩しさにくらくらして以降、足を踏み入れていなかった。
「ここに座ってて」
案内されたのは簡素な椅子とテーブルのある場所。その椅子は座っただけで、ぎしぎしと古い木の軋む音がした。脚の長さも合っておらず、今にも壊れそうにがたがた揺れる。
少年は大人の方に向かっていく。こっちを指さして何やら話している。それだけでびくついて体がすくんだ。値段を聞かれたことを思い出したから。俯いて目を閉じる。どこかで虫がじわじわと鳴いている。
「はい、これ」
しばらくして差し出されたものからは、湯気が上がり、いい香りがした。
「野菜くずと塩のスープ。お肉が入ってたら運がいいほう」
どうぞと渡されても、手を伸ばすことは躊躇われた。
「……おれ、何も持ってない」
この世界に生まれ落ちて学んだこと。それは、何かが欲しいならお金が必要だということだ。具体的な数字は分からないけど、人の顔が書いてある紙か建物が掘られている硬貨が必要。自分はそのどちらも持っていない。
「そんなんいらないよ。ここね、毎週末に無料でやってる。たきだしっていうんだって」
お腹空いてそうだったから。無理やりつれだしてごめんね。そう言いながら、怪しくないから大丈夫だと怯える自分に活動のことを話してくれた。
彼は貧民窟と呼ばれるここと、比較的富裕層が暮らしている都市部の間、いわゆる郊外に住んでいる。母ももとはここの出身で、娼婦という仕事をしていたという。
「あそこをずーっといった川向こうで働いてたんだって」
それは少し前まで自分がいたところに近い場所だった。
「ぼくね、時間があったらあの辺見て回ってるの。たまに赤ちゃんが箱の中にいるらしいから。そしたら君がいたんだ。赤ちゃんではないよね。何歳?」
「……知らない」
そもそも、どれだけ経てば一年なのかすら、自分にとっては定かじゃなかった。
「今はね、夏っていうの。虫がたくさん鳴いてて太陽が一番眩しい時。それから、葉っぱがひらひらする短い期間が秋。白い雪が降る時もある寒いのが冬。ぽかぽかしてあたたかくなるのが春。ぼくたちが生まれるずっとずっと前から、この国にあるんだって」
雪というのが降った時のことはよく覚えている。寒くて、でも体を覆う布は一枚しかなくて。何度も眠たくなったから。そんな季節は、覚えているだけで5回はあった。
「じゃあ5歳?覚えてない時も合わせると6歳とかなのかなー。だと、一個下か同じ歳だよ!」
自分は、同い年だったとしても全然体格が違う方に意識がいっしまう。だって自分を引っ張った彼の手も、前を歩いていく彼の背もとても大きかった。
手を握ってはほどくを繰り返す。思っていることが伝わったかどうかは分からない。ただ「いっぱい食べなよ」と手をつけかねている椀をこちらによこす。
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