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第61話

先ほどからいい匂いはしていた。呼応するようにお腹も鳴る。それでも食べないでいたのは、野菜の味があまり好きではないからだ。そしてそれ以上に、中には肉が入っていたから。 以前、「餌だ」を与えられた物を食べたことがある。あの肉は酸っぱくて、つんとした匂いがして、でもあそこでもらえるどんな餌よりも食べ出があった。噛むとぐにゃぐにゃして変な味だったけど、初めてのご馳走だからと頑張って噛んで飲み込んだ。 しばらくして異変はすぐに現れた。お腹の中がぐるぐるして気持ち悪い。何度も吐いて、出るのが胃液だけになってもまだ吐いて。それでも冷や汗が止まらずのたうちまわった。 痛い。苦しい。もう死んじゃう。誰か助けて。 顔を上げると、自分に餌をくれた人間と目が合った。面白いものを見る目でにやにやと笑う。 ――ちょっとあんた、これに何かしたでしょ ――お恵みをあげただけだよ ――最悪。店先で吐かれると売り上げ減るの。 腕を組んでいた女は、決して可哀想とは言わなかった。だって自分たちは同じ持たないものだから。違うのは、彼女は上手くお恵みとやらをもらえて、自分は騙されたというだけ。 ――さっさとどきな。 もう動けすらしないのに。彼女の吐いていたヒールがうずくまる背をつつく。やがて痺れを切らしたのか背中を蹴って強引に退かし中に入っていった。 そうして嫌でも学んだ。変な匂いや酸っぱい味がする肉は食べてはいけない。騙されるのは自分が悪い。誰もここでは助けてくれない。騙された子どもなど、むしろ蹴っても見下してもいい玩具だった。 今目の前に出されたスープは、変な匂いはしない。でも油断はできなかった。一口食べて変な味がしたら吐き出す?そしたら目の前の子はどうするだろう。せっかく恵んでやったのにと怒り出すだろうか。 頭を迷わせているうちに、こちらの考えていることを知ってか知らずか、彼は自分の分も食べ始める。 「ほら、おいしいよ」 そう言って自分のお椀からわざわざ小さな肉のひとかけらをすくってよこす。そんな風に物を食べたことなんて一度もなかった。 雛鳥のように口を開けると、彼が肉を運んでくれる。筋張って固かったけど、変な味はしない。むしろ……噛む度に味がじんわりと広がっていき、もっと食べたいと思った 。気づけば自分の皿からがつがつと口に食べ物を運ぶ。取られるかもなんて危惧してたわけじゃない。ただ食べるものに夢中になっていた。 「おいしい?」 楽しそうに、でも前にお恵みとやらを与えてきた人間とは全然違う笑顔で、彼はこちらを見つめていた。初めて彼の顔を見ると、ぱっちりとした瞳を嬉しそうに細める。服だって、自分は薄汚い茶色をすっぽり被っただけなのに、彼は誰のお古でもなさそうな綺麗なシャツを着ていた。 ただ身綺麗な格好をしているだけなら、この場所ではすぐ食い物にされる。でもそうじゃないのは、彼がそれ以上の物を持っているからだ。 さっき、大人と仲良さそうに話していた。頭も下げられていたと思う。だから彼らはきっと少年の味方で、何かをされそうになっても、例えばそのシャツを売って小銭にしようとする人間がいたとしても、きっと助けてもらえるのだ。 こちらがじっと見ていたのをどう思ったのか、彼はぐいとお椀をこちらに寄せてくる。 「お腹すいてるなら、僕の分も食べていいよ」 「いい。……いっしょに食べたいから」 毎日一緒にいる人のことを、家族と呼ぶ。ずっと一緒にいるなら、ご飯だって一緒に食べるはずだ。今まで、誰かと一緒にご飯を食べたことなんてなかった。もしかして、家族ってこんな感じなんだろうか。 当時のロウは、「兄」という言葉をまだ知らない。
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