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第63話

少年はアルと名乗った。物騒な地域だというのに、そこに蔓延る暴力の網目を潜り抜けていくのが上手かった。 「母さんがね、活動家なんだ」 かつてここで過ごし身を売ったという彼の母。しかし彼女には確実な才覚があった。次頭の良さ勤勉さか、あるいは運か。 「勉強して、国が認める教師って職業についたの」 彼は自分が知らない、世界の常識とやらをたくさん知っていた。そして聞かなくてもそれら自分に教えた。 時に炊き出しの汁物を口にしながら。時に郊外と貧民窟の間にある人目のない空き地を駆け回りながら。 彼が言うには、この国は国交を断絶して、食物も技術も経済も、全ては自国で賄っている状況らしい。 それを今日は沼のほとりに寝転がって聞いている。釣りを教えてくれるという話だった。それを知っていれば、炊き出しがなくても食べ物を得られるから。 といっても、沼の水は茶色く濁っているし、たまに腐りかけた動物の死体が捨てられている。生き物がいるなんて思えなかった。靴でも引っかかればいい方だ。 糸を垂らしたら待つしかないから、彼は聞いてもないのに色んなことを教えてきた。 「でね、他の国と交流しなくなったら、たいてい開けてくださいって色んな人が来る。でもここは島になってて、あんまり人が来られない」 「……?」 「んー、むずかしくてわからなかったかな。全部をこの島だけでやらなきゃいけないから、難しいこともいっぱいあるってことだよ」 ただしその分、持つ土地職業の差によって財産の違いが発生する。それはれっきとした身分差になる。仕事の内容によっては、子どもに教育の時間とお金を割いてはいられない大人もいるのだろう。 「そんな人が頑張って都市部にいっても、仕事がないことが多いんだって」 そうした人々が略奪を繰り返し、そのねぐらにした場所として始まったのがこの地域ということらしい。 社会や組織からこぼれ落ちた脱落者。後暗い理由があって家を追われた者。様々な人間が集まって、この場所を形成した。 「お母さんはここにいた時、すっごく苦しかったって言ってた。だからそんな人を少しでも減らせるように活動しているんだって」 そして、教育者として、都市部に移り暮らせるほどの富を持ちながら、都市部と退廃地域の間である郊外に住んでいる。大人たちの間で、彼ら親子はそう噂されていた。 大人が話すような言葉を使うアルの話は難しい。 相槌を打っているつもりだったが、途中から分からなくなって、ただ首を縦に振るだけになってしまった。 魚は一匹も引っ掛からなかったので、お腹が空いて余計にわけが分からなくなる。 そんな自分を見て「しょうがないな」と笑いながら、アルは飴玉をひとつくれた。内緒だよと言われたし、持っていても誰かに盗られてしまうから、すぐそれらを口に放り込んで噛み砕く。 腹は膨れないけど、汚い川に棲む魚をひとりで食べるよりは、よっぽどいい。

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