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第64話

アルの母は、炊き出しの他にも、柱を立て周囲を布で覆っただけの小さな小屋の中で、この地域の子どもたちに授業を行うこともあった。 そしてそんな母の志を受け継いだのか、彼は困っている人を見つけては、炊き出しに授業にと誘っているようだった。 ただ読み書きのできない子どもに字を教えるといっても、いろんな奴が集まっていた。貧民窟の周囲に住んでいて、ちゃんと家族がいて、子どもでもひとりの働き手として数えられていたから読み書きを教えられなかった奴。自分と同じ貧民窟に住んでいるけれど、家がある奴。たいてい母が娼婦で、誰かの愛人。父はこの辺りで暴力と小競り合いを繰り返す集団のひとり。もしくは、小競り合いの最中に命を落としてもういない。 そんな子どもたちは、一箇所に集まれば集まるほど、序列をつけて相手を見下すことを覚えた。そして、いずれまた、自分のような子どもに餌を恵むか、躊躇いなく暴力を振るうような大人になっていく。わずかな経験から、彼はそう学んだ。 集団の中で、序列の一番下にいるのがが自分だったからだ。だから、授業の合間にはよく小突かれた。 「くさい!」 「ばいきんがうつった!」 そう言って子どもたちは蜘蛛の子を散らすように駆け回り、やがては鬼ごっこをし出す。そんな様子を見て悲しくはなった。でも止めようとは思わなかった。そうしたらまた小突かれるから。 しばらくすると、アルが駆けつけ、子どもたちに思いっきり怒鳴った。立てかけただけの教室の壁が揺れるくらいに。 初めてのことで全員が目を丸くする。 「なんで怒るの」 怯えた子どもたちを前に、アルの袖を引っ張りながら問いかけた。 「家がないことも家族がいないことも、本当のことなのに」 「君こそなんで何も言わないんだ!?言っちゃいけないことを言われたのに……っ!」 最初に抱いたのは些細な違和感だった。自分に関する事実は、言っちゃいけないことなのか。からかわれたことよりもそっちの方が悲しくて、しかし上手く言葉にすることができずに、ただただ泣いた。アルはきっと意地悪を言われて泣いたんだと思っていた。 だから自分が泣き止むまで、飽きもせず頭を撫でてくれていた。
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