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第71話

その正体は、アルが自分で決断し、男の家に貰われていく時にはっきりとわかった。 「あなたは若いから大丈夫。幸せになれるわ」 母が息子を抱きしめた後、送り出す。そんな場面なのに、何故か彼女はよそよそしく「あなた」と言い、目を合わせなかった。幸せになれるとは言えど、幸せになってとは言わない。 彼女が彼を抱きしめると、彼の後ろにいた自分と目が合った。彼女は泣いている。目は口ほどに物を言うとは、彼女に教えてもらった言葉だった。 その目が言っている。私は中途半端な場所までしか行けなかった。けれど、この子はどこまでもいける。嫉妬のような、諦めのような、瞳の揺らぎ。 複雑な感情の機微は分からないが、唯一、自分と彼女に共通しているものがあると思った。 対等だと思っていた人間が、そうじゃなかった。その時の、どこに身を寄せればいいか分からない心もとなさが。 他の生徒たちも泣いている。彼はみんなに一言ずつ「元気でね」と声をかけた。 自分も何かを言うべきなんだろう。おめでとう。頑張れよ。何でもいい。今までのよそよそしさなんてなかったことにして、笑顔で握手して別れればいい。 しかし、上手く笑えなかった。言葉も出てこなかった。代わりに、泣き崩れた彼の母親を支えることに徹した。 そんなふたりを見て、はにかみながら彼は言う。何も気づいてないみたいだ。 「よろしく頼むよ」 母親を、この場所を。ただしはっきりと約束なんて出来そうもなかったから、ただ頷くだけ頷いた。 男に促され、アルは馬車に乗り込む。都市部にいったら、こんな治安の悪いところには帰ってこないだろう。でも人がいいから、世話を焼いた少年たちとは手紙なりなんなりで連絡を取り会うのかもしれなかった。 「……私は何がだめだったのかな」 小さくなる馬車を見送ってぼんやりと彼女が言う。いつもの教師然とした口調とは違う。一介の少女のような、ふわふわとした頼りない言葉だった。 それは聞く人が聞けば、自分が息子を愛するだけでは、彼の可能性に報いてやれなかったのかと、そんな母の慈愛に満ちた懺悔に思えただろう。 でも自分にだけは違って聞こえる。そしてきっとこちらが正解なのだろうという妙な確信もあった。彼女も自分と同じ、勝手な人間だと。人に哀れまれて生きながらえた癖に、人と対等になりたいとわがままをこねる。 どうして自分と彼は対等にはなれなかった?家族として一緒にいられなかった?自分がなにか悪いことをした? 生まれが違った。救いを見いだした年齢が違った。皮膚についた傷の数が違った。それはほんのわずかな、けれど決定的な差だった。
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