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第79話
決まった「弟」のいない「兄」になって、施設のいう「仕事」とやらをこなして、しばらくが経った頃だった。施設の職員と、名付けの時以来会うこともなかった出資者が自分を尋ねて来た。
殺風景な部屋で向き合うことを厭ったのか、なぜかこちらから応接室に出向く羽目になる。革張りのソファに座るよう促される。どしりと腰掛けて足を組む。職員がそれを注意する。かと言ってこちらに手出しできないし、したとしても殴り返すことくらいはできるし無視した。やたら据わりの悪い椅子だな、んて考えていたりした。
「何が欲しい?」
そう施設の奴らが言う。そして出資者が続ける。
「「仕事」もする「兄」なんて、最初はどうなることかと思ったが、人を傷つけることに躊躇いがない。流石だな」
「うるせぇ」
躊躇いがないなんて、目が節穴にも程がある。ロウは、暴力を奮ったことはあっても殺人なんてしたことはなかった。
「仕事」をこなす度に施設の奴らがよくやったと、この行いは正義なんだと言わんばかりの視線を向けてくるのも気味が悪かった。恐怖も後悔も焦燥もあった。
しかし生憎と死体自体には慣れていたし、「弟」たちから感情を受け取るにあたって、次第にどれが自分の感情だったのか、ぼんやりと輪郭が失われて分からなくなる。だから気にすることも少なくなった。しかし、それも所詮本人にしか分からない感覚か。
実際、彼らは自分なんて駒程度にしか思っておらず、言ってるのはいつも現場を散らかす自分への嫌味だろう。最近では、護衛に気づかれずに突っ込んで行って予定外の人間も刺した。ついでに静止しようとする施設のヤツらも殴って振り切ったし。
それ以降、いや、「弟」たちが取り乱して自分の前を去った後から、施設の奴らは自分のことを遠巻きに見るようになった。明らかに持て余しているようだった。コイツらはそれを出資者の男に報告していないんだろうか。
「……何もいらねぇよ。今さら何か手に入るとも思えない」
特に、自分が本当に欲しいものは。
「本当に何もないのか?物じゃなくてもいい。君の手助けになるものを用意させてもらおう」
それでも、なぜか出資者の男は引かないようだった。鬱陶しくなってきた。かと言って適当にでっち上げようにも何も思い浮かばない。
金はいらない。食い物ももういい。だって自分はもう困っていないから。生まれ育った地域の奴にあげてくれとも思えなかった。いまさらそこまで善人にはなれない。あそこにはもう見ず知らずの奴しかいないから。
「……本」
それは、諦めのつもりで口にした言葉だった。
「本が読めれば、それでいい」
アルがよく読んでいたのを思い出したからだ。ただの真似事で、どうしたって自分は彼にはなれないのに。
それでも、自分は何も知らない。知らなかった。
彼と家族になれないこと。自分のような人間と彼は対等ですらいられないこと。
知っていれば、「弟」を紹介される度にかすかに疼く胸につかえた感情を放っておけるだろうか。期待なんて持つだけ無駄だと嗤いながら。
「それはいい」
呟くように言った言葉を出資者が肯定する。
「「兄」は「仕事」として作戦の立案も行うと聞いてる。知識はあればあるだけ役に立つだろう」
後日、彼からは歴史やら心理学やら、真面目で分厚い本ばかりが届けられた。
まずは文字の理解から始めなければならなかった。本を開いたところで、そこに並ぶ言葉を半分も理解できなかったからだ。
「仕事」と「実験」以外、本を開いて過ごした。歴史の本には文字の成り立ちも載っていたから、そこから単語を推測して、なんとなくで読む。
内容はどうでもいい。「仕事」や「実験」の役に立つかなんて、知らないしどうでもよかった。
ただ感情に追い詰められて眠れない夜に、暇を潰せる文字列があればそれでよかった。
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