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第84話
リンの記憶が、感情が混濁する。自分と、彼のと、それ以外の人のと、本から得た知識と。混ざって、次第に自分という輪郭すらぼんやりしていくようだった。
やがて問いかけるような言葉が浮かぶ。
寂しかった?
ずっとひとりでいる生活は。アルといて疎外感を覚えた時も、部屋でひとり本を読んでいる時も。
感情に寂しいという名前がつくことも知ってしまって、彼の期待は薄れることはなかった。
今まで寂しさが薄れたことなんてないのに。次の「弟」こそは、リンこそは、家族にれなるんじゃないかと。
血を吸っても怯えなかったから。
撫でると嬉しそうな顔をするから。
お互いに人殺しと人殺しで、歪で、薬漬けで、きっと幸せで平穏な家族とはいかないんだろうが。
リンとなら、家族になれる道があるんじゃないか。
記憶を色づける感情の渦。その中心に自分がいて、一気に現実に引き戻される。
キツい。貧民窟の饐えた匂いが漂ってくるようで。いや、そんなことはまだいい。彼の生きてきた場所だと思えば、まだ堪えられた。
感情がぐるぐる回る。しかも強迫観念にも似た自責。
何度も吐いた。胃液しか残ってない。それでも伝えたいことがあった。
目の前で呆然としているロウからナイフを奪う。その手はがたがたと震えていたから、何も切れやしないだろうけど。切っ先が彼の首に向いていたのが気に入らない。
もう一度、彼をからっぽにしなければ。ぶつかるようにくちづけて、思いっきり唾液をすすった。まだ足りない、もっと欲しいとねだるように。
感情を移し終えた彼は、目の焦点も合わないままにぼーっとしている。ナイフも手から取り落とした。よくない傾向かもしれないのに、「生きてちゃ駄目だ」と呟く声が止んだことにほっとする。地面に落ちたナイフを拾い彼から遠ざける時間すら惜しかった。
彼の頬を両手で包んで無理やりこちらを向ける。何も見ていない瞳が自分の姿を捉える。そのまま見ていて。空っぽの瞳を自分でいっぱいにして。
そうしてやっと、伝えたいことを口にできるから。
「生きて。生きてよ」
言葉が、また彼のどこかにある感情の引き金を引く。
「なん、で……」
アルのような持っている側の人間が死んだのに、何も持たない、壊すことしかできないオレだけが生きる意味なんて、どこにあるんだ。そんな一言だった。
自分を見ているのに、その瞳には自分だけが映っているのに、感情が他人の方を向いている。そのことがリンには我慢できない。
「理由なんてないよ」
「……だったら、別に、生きなくていいだろ」
別に。それは自分がよく使っていた言葉だった。感情を移した後に、本当に、すべてがどうでもいいと思っていた時に。
「欲しいなら、理由をあげる」
空っぽになったアンタに、僕をあげる。空っぽの心を、僕が感情で満たしたい。
「アンタがいないと、僕は独りになっちゃうんた」
自分はこんなに勝手だったっけ。何かを想うのが久々の感覚で分からない。
でもさっき吸い取った記憶と感情でわかる。泣いてた彼が言う。みんな勝手だ。
「僕は勝手に、アンタの隣にいたい。だからアンタも、僕といて」
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