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第90話

「じゃあ、続きは楽しいことしながら話すか」 「楽しいこと?」 「そ、楽しいこと」 それが何なのかを具体的に聞きたいのに、ロウは言葉にすることなくリンの手を引っ張っていく。 部屋の外に出ると、廊下は真っ暗だった。いつもなら数人とすれ違うはずの場所でも、職員はひとりもいない。 「夜は、鍵がかかってるんだと思ってた」 被験体が勝手にどこかへ行かないように。実際、セトにも言われていた。夜は外に出ようとは思わないこと。出ようとしても出られないこと。当時のリンは何も思わなかったから、事実とだけ受け止めていた。言われて湧き出す感情なんて何も無かった。 「ま、かかってる部屋もあるかもな」 ロウさ曖昧なことを言って廊下を進んでいく。曲がり角や階段の踊り場に来ると、「ちょっと待ってろ」と彼は先導として少し先を見に行き、誰もいないと分かるとリンを手招きする。そしてまた進んでいく。 やっぱり、普通は部屋の外には出られないのかもしれない。それを何とかして、彼だけが出られる。だから職員に見つからないように、静けさの中足音を殺して進んでいくのだろう。見つかったら怒られるとか、その上で謹慎を言い渡されてしまうかもしれないとか、そんな不安よりも、彼と楽しいことをしているのだという胸の高鳴りの方が強いのだから、リンはリンで我ながら単純だと思う。 しばらくは順調に進んでいたはずなのに、あろうことか彼はあっさりと職員に見つかっている。リンを曲がり角の隅に隠していた時のことだった。 「……また貴方ですか」 その声は、自分の担当職員であるセトだった。 細かいことまでよくリンに言って聞かせる彼のことだから、何か言うだろうと思ったのに、ただ辺りを見回しているだけだった。 「アイツならいねぇよ」 「そうですか」 「ついでに言うと、ここに来るまで誰ともすれ違ってねぇよ。大変だよな。職員っつぅのも。出歩くはずのない「弟」の棟まで見回りしてんだから」 「……念の為ですから」 皮肉っぽく言うロウの言葉が響いているのか居ないのか、セトの冷静な声だけでは分からなかった。 「それより「兄」の方を念入りに見回っとけば?オレみたいな奴が他にいるかもしれねぇし」 「……誰もが、貴方のように自由でいるわけではないんですよ」 今度はセトが皮肉のように返すものだから、リンは驚いた。 「あまり、彼を振り回さないでください」 「貴重なモルモットだから?」 ロウからの問いに彼は答えなかった。 そして引き返していく。その足取りが、いつもの淡々と職務を遂行する彼とは違い、面倒臭さを滲ませたものだったから、また驚く羽目になった。 セトの背中が見えなくなってから、リンは尋ねた。 「なんで?」 なんで、この施設でロウは自由なの?見回りは「弟」の方には必要ないの?「兄」の方には必要なの? 本当はひとつひとつ聞きたいのに、舌の上に次々と疑問が乗ってきて、上手く回らない。 「今から話すよ」

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