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第104話

現場は血まみれだった。しかしロウが片をつける時とは打って変わって、ただただ静かだった。彼が抱いた余分な感情を早急に取り除きたいというのなら、いつかの自分のようにパニックを起こしていてもおかしくないのに。 リンは小さな血だまりの中にいた。そこでうずくまって、たまに背中が震えている。きっと声も上げずに泣いているんだろうと思った。 「仕事」の方は優秀と聞いていたから、おそらく彼の体には傷ひとつない。動けないでいるのは、体ではなく心が痛んでいるから。返り血や少量ずつ落ちて道を作っている血痕から察するに、「標的」を刺しはした。けれど致命傷には至らなかったといったところだろうか。 「珍しくリンが「失敗」しました。「仕事」中によそ見をした時点で珍しいことだったんですが……その際、何を見たのか……「標的」に逃げる隙を与えました。逃げた「標的」の処分は別の「弟」に追わせています。貴方は彼の方を」 いつもリンについている職員にそう言われ、ロウは一歩近づいた。足音で察したのか、彼が顔を上げる。涙で濡れているその顔は、こちらの姿を認識した途端、安心したような、困ったような複雑なものになった。いつの間にか、そんな表情もできるようになっていたのか。出会った時は、繊細な作りの綺麗な顔なのに表情は乏しく、能面みたいだったのに。 「僕、僕は……」 震える唇から震えた声が漏れる。嗚咽を漏らさないためにもう一度唇を固く結ぶ。そんなに噛み締めると血が出てしまう。握りしめた拳だって、とうの昔に皮膚にくい込んで、赤い痕をつけているというのに。 「そんなこと、しなくていい」 ロウはしゃがみこんで、視線を下に向けた。きっと彼は今の自分の顔を見られたくないだろうから。 「息しろ。ゆっくりな」 背中をさする。もう片方の手で、彼の拳を、強ばっていた指をゆっくりとほどかせる。冷たい手だった。かつて、冬場の貧民窟に積み上げられた死体みたいに。 熱を分け与えるように、ゆっくりと指先を擦る。しばらくそうしていると、ようやく顔があがって視線が合った。 「ほれ」 リンに向かって両手を広げる。きっと、感情という「澱み」を移すために唇を重ねる必要があると思ったから。 しかし彼は思いっきり胸に飛び込んできた。その勢いのまま後ろに倒れこむ。怯える小動物のような彼が離れてしまわぬように、動かず受け止める。髪が嫌な液体に浸かる感覚があっても。 最初はしゃくり上げる声だった。それがやがて、喚くような、悲鳴のような叫びに変わる。声が枯れても、咳き込んでも、嗚咽が止まることはない。 言葉にならない感情が、生まれ落ちたんだと思った。そして、膝を抱えて、彼はずっと兄を待っていたんだと。

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