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第117話
家の転機が訪れたのは、子守唄を歌ってもらってしばらく経った頃。それが父の背中以外の唯一の記憶と言っていい。
家族だけで食事会をするとのことで、その日だけ、使用人は料理に掃除にと忙しそうに駆け回っていた。
大広間の長机についたのは、父と兄と自分。それから若い女性がひとり。
新たに自分たちの家族となる人だと紹介された。戸籍上は、兄弟の母となるらしい。ただその若さと噎せ返るような甘い香水の香りが、兄から聞いていた実の母とはかなり違う。リンには母と呼べる気がしなかった。
息子の戸惑いをよそに父はせっせと女性のグラスに酒を注ぐ。持ち手が繊細な曲線を描くそのグラスを、リンは今まで家で見たことがなかった。
彼女の細い指には、宝石が散りばめられた指輪がいくつもはまっており、彼女自身にも、酒を注いだ優美なグラスにもよく似合っている。
彼女のために用意されたグラスなんだと思った。くらくらするほど香る葡萄酒も、彼女のためのもの。まるでこの家にこれから彼女が君臨するみたいだと、幼心にリンは思った。
家族が増えたといっても、兄弟の暮らしは変わらなかった。
新しく母となった女性の方にも歩み寄る気はなく、兄は空気を読んで適度な距離をとっていた。幼いリンだけが何も知らなかった。
その日、彼女は煌びやかな衣装に包まれていた。
夜会、というものに行くらしいということは周りの大人に聞いていたが、リンには夜会が何なのか分からない。
ただ、照明の光を受けてきらきらと光る装飾品が気になった。
手を伸ばして裾を掴む。すぐに彼女自身に振り払われた。せっかくの衣装が汚れてはたまらない、と。
リンは小さな拒絶の視線を浴びて、呼びかけることもできず固まったままだった。
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