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第137話
牢の扉を開け、洞窟のような地下を出る。ちょうど「兄」たちが住む施設の裏手だった。このまま上手いこと建物に忍び込んで兄を助け出し、あとは爆薬を使って……そんな考えは、建物の入口に差し掛かったところで砕け散る。
施設の扉が開く。もう職員に脱走の事実が暴かれたのだろうか。それとも鍵をなくしたセトが戻ってきた?こんなにも早く気づかれるものなんだろうか。そうだ。自分たちには何か装置が埋められてるんじゃなかったか。それが電波を発していて、自分たちが動くと連絡がいくようになっているんじゃないたろうか。
無意識に首に手をやった。行き場のなくなった足を、一歩後ろに下げる。ロウにぶつかった。
「落ち着け。こんなもんはただ、機械と繋げて数字を測るためだけの粒だよ」
リンの首に触れながら諭すように言う。
「昔は犬猫にそんな装置も使ったと聞くけどな、廃れた。外の国から入ってくる技術も素材もなくなったからだ」
ならば、目の前に現れた男は誰だ。知っている顔だった。背は高いが肉はそれほどついておらず、ひょろりとした印象を持つ。記憶の中では、そこそこの長さの髪を撫でつけたり結ったりしていた。
いつも通り背広を着ているが、糊がきいてぴしっと立つ、あるいは余裕を持って椅子に座るあの日の姿からはほど遠い。髪は振り乱したのかぼさぼさになり、服も汚れていた。どこで何をしていたのか、爪の間には黒々とした土がこびりついている。
「……やっと、見つけたよ」
黒い瞳が捉えているのは自分ではなく、後ろにいる彼だ。
「出資者サマっつうのは、よっぽど暇らしいな」
ロウの言葉で思い出した。目の前の男は、施設内で何度かすれ違ったことがあるのと……彼の記憶の中で、その姿を見た。施設の職員や彼自身の憶測が正しければ、この男は、彼と血の繋がった――
「そんな悲しいことを言わないでくれ。今日は、お前の誕生日だろう?」
「……そうなの?」
「違ぇよ」
正確には、ロウは自分の誕生日を知らなかった。物心ついた時には、独りだったから。
「孕ませた日から計算でもしたのかよ、気持ち悪ぃな」
「またいつものように、ふらふらと……親友の彼女に会いに行っていたのかい?もう止めなさい。諦めなさい。彼女はお前のことを捨てて、郊外に出るんだ。でも大丈夫だよ。私だけは、ずっとお前の傍にいるからね」
目の前の男は会話をしようとしない。彼の言葉など届いていないかのように、独り言のように自分だけで言葉を連ね続ける。けれど、その瞳はしっかりと彼の姿を捉えているのが、余計に不気味だった。
「ほら、ずっと本を読みたがっていただろう。今日持ってきたんだ。絵本だから大丈夫だとは思うが……分からない言葉があれば、私が教えよう」
「……とうとう狂ったかよ、オッサン」
「違う……彼女はもう……じゃあ目の前にいるのは誰だ……違う違う違う……」
その姿は、いつかの取り乱した兄を思い出す。幼馴染みの死に立ち会って、錯乱したロウを思い出す。感情を移さずとも、人間は許容値を過ぎれば簡単に壊れてしまうのだと、リンは思った。
「オレはさ、いつかコイツに聞いてみたいことがあったんだよ……」
ロウは目の前の男に言葉が通じるとは思っていないだろう。だからこれは独り言か、あるいはリンに向けたものだ。
「コイツがオレの本当の父親だったとしたら、オレの中に、ふたつの推測があって……」
喉がからからに渇いているのか、彼の声は掠れていた。
「コイツは、どっちのつもりだったんだろうな」
あの瓦礫が崩れた世界から抜け出して、ふざけた名前をつけられて、本を贈ってもらって、施設で特別待遇だった。
それは、抑制だった?こんな奴が自分と血が繋がってると知れたら恥だから、施設に閉じ込めて飼い殺そうと思ったのか?それとも、ほんのひと欠片だけでも、家族だと認める気持ちがあって、哀れみと親愛をない混ぜにしながら、せめて与えられるものは与えるつもりだった?
「でも、もう聞けねぇわ」
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