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第3話

 4月1日になった。新しい部署での仕事がスタートした。  企画課のオフィスはあちらこちらに観葉植物が飾られており、雰囲気が柔らかい。 打ち合わせテーブルのそばに置かれたホワイトボードは随分と使い込まれている。スチールラックに詰め込まれたファイルは膨大な量である。  俺は果たしてここで成果をあげることができるだろうか。  緊張しながらデスク周りを整頓していると、声をかけられた。 「よろしくな、虎ノ瀬さん」  竜岡だった。奴は、俺の隣の席である。 「本社は広いな。迷子になりそうや。それに、物品が置かれている場所もよう分からん」 「早く慣れるしかないな」 「せやなぁ」  いつものように柔らかく微笑んだあと、竜岡は「しまった」と言った。 「関西弁は封印するって決めたのに……」 「どうしてだ」 「僕なりのケジメかな。ふるさとを引きずって横浜で暮らすのは女々しいって思ったんだ」 「竜岡さんはずっと関西だったのか」 「うん。出身は東大阪で、大学は京都。虎ノ瀬さんは……横浜生まれの横浜育ちでしょ?」 「よく分かったな」  俺にとって竜岡が異質に感じられるのは、育った環境の影響もあるかもしれない。 「生活面で困ったことがあれば、なんでも聞いてくれ」 「いいの? 助かる!」  ホーム・アドバンテージがある状態で竜岡に勝っても嬉しくない。俺は竜岡がスムーズに新生活を送れるよう、助けることにした。  10時から、ミーティングが始まった。  沢木企画課長が取り仕切るなか、自己紹介が行われた。 「大阪支社から来ました、竜岡光流です。よろしくお願いします」 「虎ノ瀬拓斗です。以前は営業部配属でした。よろしくお願い致します」 「期待してるわよ」  朗らかな微笑みを浮かべながら、沢木企画課長が俺と竜岡を見ている。なんだか嫌な予感がする……。 「竜岡さんと虎ノ瀬さん……タイガー&ドラゴンか! 面白そうな組み合わせね。ふたりはペアになって新型シューズの企画書を提出してください」  待ってくれ。俺には竜岡を倒すという目標がある。共闘しろと言われても困る。  一方、竜岡は嬉しそうである。 「僕らふたりとも企画業務は初めてですからね。虎ノ瀬さんと一緒なら心強いです!」 「斬新な企画、期待してるわよ」 「……頑張ります」  沢木企画課長がスケジュールを発表した。 「企画書の提出期限は4月18日。その後、社内コンペを行います。そして社内コンペの勝者には、5月の役員会議でプレゼンをしてもらいます」 「あの……スピード感が掴めないのですが、いつもそのようにタイトなスケジュールなんでしょうか?」  俺が疑問を呈すると、沢木企画課長が言った。 「いえ、このスケジュールで動くのは今回が初めてよ。経営戦略室からお達しがあってね、前年度よりも商品企画のスピードを上げないといけないのよ」  沢木企画課長は他にもクリアすべき課題を挙げた。  「うちはこれまで開発課の発言力が強すぎたわ。それに、競合他社のトライヴァースがデザイン性をウリにして市場を開拓している。プロダクトアウトではダメ。みなさんにはマーケットインで企画を考えてもらいたいの」  ブランドイメージに関するアンケートの調査結果をはじめとして、市場分析のための資料はすでに出揃っているとのことだった。あとは企画担当者である俺たちがデータをどう活かすかにかかっている。 「企画書は何本も出していいんですか?」  竜岡の発言に俺はのけ反りそうになった。こいつ、何を考えてるんだ? 企画のビギナーなのにそんなにネタを出せるわけがないだろう。  沢木企画課長は嬉しそうである。 「もちろん! うちは千本ノック方式だって聞いてるでしょ」  俺も負けじと質問をした。 「過去に却下された案も資料として残っているんでしょうか? どういった点がダメだったのか参考にしたいです」 「業務用サーバーの『不採用』フォルダを探してみてちょうだい。開発課から寄せられたイチャモンの数々、怒りを通り越して笑えるわよ」  開発課を黙らせるような企画を考えないといけないのか。プレッシャーが跳ね上がる。   「自由な発想でプランニングしてみてちょうだい」 「タイガー&ドラゴンにお任せください!」  竜岡は新しい仕事を前にビビっている様子はまるでない。むしろ楽しそうだ。  俺も負けるわけにはいかない。 ◆◆◆  ミーティングが終了した。企画課の課員が引き上げていく。  デスクに戻ろうとした俺を竜岡が引き留めた。 「この部屋は12時まで空いてる。残って、ブレストしよ」 「分かった」 「相手の発言を否定しない。自分にブレーキをかけない。このルールでいこう」 「了解。それじゃあ、始めようか」  竜岡はホワイトボードに『安さ』というキーワードを書き記した。 「僕らは社販があるからいいけど、うちの商品は価格がお高めだ。エントリーモデルをリリースして、若いユーザーにアピールした方がいい」 「そうだな。それに加えて、デザイン性も重要だ」 「『Mスタイル』で検索すると、サジェスチョンに『ダサい』、『おじさんくさい』って単語が出てくるんだよなー」  俺はスマホをチェックしてみた。確かに、ネガティブな検索候補が並んでいる。 「ネットの口コミは怖いな」 「そうだね。機能性をアピールして、ミヨシギアのモノづくりに賭ける情熱を分かってもらいたいよね」  ブレストを続ける。  ホワイトボードが真っ黒になる頃には、アイディアが固まってきた。 「よし。これでいこう!」  従来の製品よりも価格帯が下の、デザイン性と機能性が高いエントリーモデル。俺たちはこのアイディアを企画書にまとめることにした。 ◆◆◆  昼休みになった。  俺と同じように、竜岡も弁当派らしい。  竜岡のランチボックスには色とりどりのおかずが綺麗に詰め込まれている。俺は彩りまで手が回っていない。  弁当作りでも竜岡に負けたのか。悔しさを噛み締める。 「あー、好きな人が作ってくれたお弁当、美味しい」 「……竜岡さん、恋人がいるのか」 「脳内に」 「なんだそれ。むなしいな」  俺は思わず吹き出した。  竜岡の瞳が輝く。 「虎ノ瀬さんって笑うと印象が柔らかくなるよなー! いっつもニコニコしてればいいのに」 「俺ってそんなに無愛想か?」 「クールビューティーって感じ」  鶏の唐揚げを咀嚼する。自分としてはお高くとまっているつもりはないのだが、周囲からはそう見えているのだろうか。  弁当を平らげた俺たちは、洗面所に行って歯を磨いた。  デスクに戻り、パソコンに向かう。  すると、竜岡が言った。 「ダメダメ。休憩時間はちゃんと休もう?」 「メールチェックだけでも済ませておかないと」  受信トレイをチェックすれば営業第一課の後任から質問が届いていた。返事をしなければいけない。  竜岡は俺の横で、文庫本を開いている。読んでいるのは新進気鋭の作家によるホラーミステリーだった。竜岡だって引き継ぎがあるだろうに随分と余裕だな。  返信を済ませた俺は、竜岡を睨みつけた。 「どうしたの?」 「いや。別に……」 「虎ノ瀬さんも本を読もうよ。リラックスした方がいいアイディアが出るよ」  やはり竜岡とは相容れない。こいつのやり方で仕事の成果が出るなんて信じたくない。  俺は努力を重ねる。そして竜岡に勝つ。  午後の業務に向けて、俺は気合いを入れた。 ◆◆◆  昼休みが終わった。  俺と竜岡は作業の分担を決めた。 「市場分析の結果をまとめるのは虎ノ瀬さんに任せてもいい?」 「ああ」 「僕は、デザイン性と機能性が高いエントリーモデルの企画書を作るね」  手分けして業務に取りかかる。  俺はミヨシギアのブランドイメージに関するアンケート調査から、お客様のご要望をピックアップした。やはり、価格に言及している方が多い。  作業をこなしているうちに15時になった。 「これ、よかったらどうぞ」  竜岡がチョコレートをくれた。俺は甘党なのでありがたく受け取った。球形のチョコレートにはプラリネが入っていて、濃厚な甘さが口の中に広がった。俺は思わず目を細めた。 「美味しそうに食べるね。チョコ好きなんだ?」 「糖分を摂ると疲労に効く」  俺はお返しにのど飴をあげた。竜岡は「ありがとう」と言って喜んだ。 「待って。今のイントネーション、いかにも関西人って感じじゃなかった?」 「別にいいんじゃないか、関西弁を使ったって。柔らかい響きとか、俺は結構好きだぞ」 「……虎ノ瀬さんって優しいね」  竜岡は微笑むと、仕事を再開した。俺も資料作りの続きに取り掛かった。 ◆◆◆  定時になった。  俺としてはもっと仕事をしていたかったのだが、沢木企画課長からストップがかかった。 「慣れない環境で疲れたでしょ。明日のために、今日はもう上がってください」 「承知しました」 「ほんと、疲れましたよー」  竜岡が屈託のない笑顔を浮かべる。  俺たちは社屋から出た。帰る方向は一緒らしい。 「竜岡さんもあざみ野在住なのか」 「うん。地下鉄の始発駅だし、住みやすいって聞いたから」 「そうか」  地下鉄に乗り込む。  座席がふたり分、空いていた。俺は竜岡と並んで座った。竜岡のまぶたは随分と重たげである。 「眠いなら寝ていけよ。起こしてやるから」 「いいの?」 「そっちは引っ越しがあったりして、大変だっただろう」 「やっぱり、虎ノ瀬さんって優しいね」  竜岡は目を閉じた。  そして、すぐに小さな寝息を立てた。  まつ毛が長くて、あどけない寝顔だ。   ……いや、待て。相手はあの憎たらしい竜岡だぞ? 無防備な姿を晒されたからといって、可愛いと思うなんておかしい。  俺はビジネスバッグの中から文庫本を取り出した。  閉ざされた山荘というクローズド・サークルで発生する連続殺人事件。古きよきミステリーの香りが漂う作品に意識を向ける。 「ん……っ」  竜岡が俺の肩に頭を預けてきた。  思いがけず竜岡と密着する形になる。無理に引き剥がしたら竜岡は起きてしまうだろう。俺は竜岡のぬくもりと体の重みを受け取った。  慣れない横浜暮らしで疲れが溜まっているのかもしれない。本人はそんな様子はおくびにも出さないが、エース社員として注目されているというプレッシャーだってあるに違いない。  ゆっくり休めよ、竜岡。  疲労でふらふらしてるおまえに勝っても嬉しくない。  やがて終点であるあざみ野駅に着いた。 「竜岡、起きろ」 「……ふぁあっ。ガチで寝てたわ」 「少しは疲れが取れたか?」 「うん。虎ノ瀬さんの肩借りちゃってごめんね」 「別に気にすることはない」  地下鉄の駅を出て、歩道に踏み出す。どうやらアパートの方向も同じらしい。 「××2丁目か。俺と近所だな」 「うん。奇遇だね」 「風邪引いた時は連絡しろよ。飲み物と食料を届けてやる」 「虎ノ瀬さんって情が深いなぁ。大好き」  竜岡が肩を組んできた。  俺は急なボディタッチに驚いた。もともと人懐っこい男だと思っていたが、竜岡は随分と俺に気を許している。 「虎ノ瀬さんは? 僕のこと好き?」 「嫌いだよ」 「即答ですか。傷つくなぁ」 「自分よりも仕事ができて周りから評価されてる奴なんて、好きになれるわけがない」  竜岡の腕を振りほどく。 「俺は一番になりたいんだ。竜岡さんは俺にとって、倒すべきライバルだ」 「……僕も一番になりたい。虎ノ瀬さんの一番大切な人になりたい」 「それは……どういう意味だ?」 「さあね。推理してみて」  小さく手を振ると、竜岡は俺の目の前から消えていった。

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