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第4話
その後、時間があっという間に過ぎていった。
もう4月の第二週の金曜日だ。
俺は市場分析の資料をまとめていた。竜岡は隣の席で企画書を作成している。安価だけれども機能性が高いエントリーモデルというのが俺たちの企画のコンセプトである。
「進捗はどうだ?」
「16時には完成しそう。虎ノ瀬さんは?」
「俺もあとは誤字脱字をチェックするだけだ」
順調にいくかと思ったその時、メールが届いた。沢木企画課長からだった。
『トライヴァースの新作に関する情報共有です。5月上旬に安価ながらも機能性を備えたエントリーモデルを発売するそうです』
俺はメールの末尾に添えられたリンクをクリックした。トライヴァースのプレスリリースが表示される。
低めの価格帯、機能性という付加価値。若者をターゲットにしたエントリーモデル。すべての要素が俺と竜岡の企画と被っている。
竜岡が言った。
「先を越されてしまったなぁ」
「そうだな。どうする? このまま企画を進めるか?」
「僕らのプランが商品化できたとしても、最短で半年はかかるよね。その頃にはトライヴァースが一定のシェアを獲得してるんじゃないかな」
「別の案を出そう」
俺と竜岡は打ち合わせテーブルに座った。
ブレストを行っていると、体格のいい男性が企画課のオフィスに現れた。
沢木企画課長がにこやかに男性を出迎える。
「鳥谷開発課長。お疲れ様です」
「疲れているのは、おたくたちのせいだ。トライヴァースのプレスリリースを見たか? なぜあの程度の企画が考えられない?」
「エントリーモデルの案は昨年度にも出たけれども、コスト面で難しいという判断になったじゃないですか」
鳥谷開発課長は「ふん」と鼻を鳴らした。
「研究所のレポートを読んでいないのか? 最近、新素材が開発されたらしい。製品に用いた場合、製造コストがだいぶ下がるそうじゃないか。やはりプロダクトアウトで商品を考えるべきだ」
「ですが、それでは従来のやり方と同じになってしまいます。経営戦略室が打ち出している、新規ビジョンをご存知でしょう?」
「マーケットインか。そんなのは幻想だよ。商品開発は結局、実際にモノを作れるかどうかにかかっている」
大きな体が俺と竜岡がいる打ち合わせテーブルに近づいてくる。鳥谷開発課長が言った。
「きみたちは新人か?」
「今年の四月から企画課に配属になりました」
「そうか。アイディア千本ノックだなんて非効率的なことをする必要はない。研究所の話をよく聞いて、私たち開発課との根回しを大事にすれば商品を世に送り出すことができる」
「……お言葉ですが、それでは企画課という部署の存在意義がないのではありませんか?」
俺は鳥谷開発課長を見上げた。
「私たちは市場分析を通して知ったお客様の声をもとに、ゼロベースで新商品を考えたいと思っております」
「そうです。あくまでマーケットインを貫きます」
「きみたち、名前は」
「虎ノ瀬と申します」
「僕は竜岡です」
「私の意見に反論するとは、ふたりともなかなか度胸があるな」
鳥谷開発課長はニヤリと笑った。俺も微笑んだ。
「怖いもの知らずなのは若輩者の特権かと存じます」
「面白い。きみたちがどんな企画書を出してくるか楽しみにしてるよ。企画が採用になる保証はどこにもないがな」
豪快な笑い声を上げると、鳥谷開発課長は去っていった。
沢木企画課長がため息をついた。
「売られたケンカ、買っちゃったわね」
「大丈夫ですよ! 社内から反発が出るぐらいのインパクトがある商品の方がヒットするって言いますし」
「私も竜岡さんと同様、負ける気はありません」
「分かったわ、タイガー&ドラゴン。ミヨシギアに革命を起こしてちょうだい」
俺と竜岡は声を合わせて言った。
「承知しました!」
◆◆◆
鳥谷開発課長にプレッシャーをかけられたことによって、俺の闘争心に火がついた。
「広報室から最新のお客様アンケートの結果をもらってきたぞ」
「虎ノ瀬さん、張り切ってるねー」
時刻は21時を回っている。
竜岡の顔には疲労が色濃く滲んでいた。
「竜岡さん、調子悪そうだな。先に帰ってもいいんだぞ」
「虎ノ瀬さんこそ寝不足っぽいけど?」
「夜も部屋で市場をリサーチしてるからな。でもいいんだよ、多少不調だって。成果を出さなきゃ」
「それは断じて違う」
竜岡がいつになく強い口調で言った。
「人間は壊れものだ。心身を酷使してまでやらなきゃいけない仕事なんてない」
「……竜岡さん」
「僕ね、子どもの頃、虚弱体質だったんだ。学校行事はいつも欠席、体育も見学。3歳上の兄に心配ばかりかけていた」
俺は目を見張った。
「……俺も体が弱かった。母は俺にかかりっきりで。弟は随分と寂しい思いをしただろうな」
「虎ノ瀬さんも病弱だったの?」
「中学に上がる頃にはだいぶマシになったけどな。それで陸上を始めたんだ」
「僕もバスケと出会ったのは中学の時だったよ」
「俺はそれまでの遅れを取り戻すため、必死で頑張った。そうしたら、周りの目が変わった。俺は可哀想な奴から、すごい奴だと認識してもらえるようになった」
竜岡が微笑んだ。
「そっか。それで虎ノ瀬さんは強さにこだわるんだね。僕は逆だな。人間はいつかは死ぬ。だから、生きているあいだは自分を痛めつけたりしてはいけない。そう思うようになった」
「なるほど。俺たち、つくづく考えが合わないな」
俺は廊下に出て、自販機の前に立った。竜岡もついて来た。
エナジードリンクのボタンを押そうとした瞬間、腕を掴まれた。
「それはあかん。夜にカフェイン摂ったら眠れなくなるで」
「関西弁、封印したんじゃないのか」
「大事なことは関西弁で伝えたい」
竜岡がいつになく怖い表情をしているので、俺はエナジードリンクを諦めた。
「何ならいいの?」
「果汁100%のりんごジュース」
「竜岡さんも飲むだろ? 奢るよ」
俺が笑いかけると、竜岡がうつむいた。いつも飄々としている男が切なそうな表情を浮かべているので、俺はドキッとなった。竜岡はどうしてしまったのだろう。
「あんまり優しくしないでほしい。勘違いしちゃうから」
「……竜岡さん?」
「鈍いお人やなぁ。定時で上がりたい僕がどうして残業してると思う?」
「開発課を黙らせるような、いい企画を出すためじゃないのか?」
「それだけじゃあらへん」
竜岡が俺を抱き寄せた。何が起きるのかと戸惑っていると、髪を撫でられた。
「……虎ノ瀬さん。もっと自分のことを大事にして。虎ノ瀬さんが倒れたら僕、どうにかなってしまう」
「俺だって、竜岡さんがいなくなったら困る……」
「企画書を提出したら、聞いてもらいたいことがある」
「今じゃダメなのか?」
「僕は……臆病だから」
長いまつ毛が震えている。
いつもマイペースで堂々としている男なのに、まるで迷子のように頼りない表情ではないか。一体、どうしてしまったのだろう。竜岡の意外な姿を見て、俺は驚いた。
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