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第6話

 社内コンペの当日になった。  俺と竜岡はお揃いの矢絣(やがすり)模様のネクタイを身につけて、戦いに臨んだ。緊張のあまり会議室が、初めて来た場所のように感じられる。   「次、竜岡さんと虎ノ瀬さん」 「はい!」  ふたりで作った資料に基づき、プレゼンを行う。 「『ステップ・アロー』は、ストリート・ダンサーという未開拓の客層にリーチする製品です」  沢木企画課長をはじめ、会議室に集まったメンバーから容赦のない質問が飛んでくる。 「ストリート・ファッションは流行のサイクルが短いですよね。その点についてはどうお考えですか」 「他社製品が持ち得ない機能性をウリにして、『ステップ・アロー』でなければダメだと思っていただけるように仕向けます」 「シューズのデザインを外部委託する理由は?」 「ミヨシギアが保守的だというイメージを刷新したいからです」  質問の矢が途切れることはなかった。タイムキーパーを務めていた女性社員が手を挙げる。沢木企画課長が言った。 「タイムアップね。竜岡さん、虎ノ瀬さん。ご苦労様」 「ご清聴ありがとうございます」 「いやあ、勉強になりました。ありがとうございます!」  次のチームのプレゼンが始まった。  俺と竜岡は聞き手に回った。  今はまだアイディアでしかないシューズが、やがて実現化される。そう考えるとワクワクが止まらなかった。俺は誰よりもミヨシギアの製品を愛している。  竜岡はいつになく真面目な表情で、他チームのプレゼンを聞いていた。 ◆◆◆  課内ミーティングでコンペの結果が発表された。 「今回採用になったのは、竜岡さんと虎ノ瀬さんの企画『ステップ・アロー』です」 「私たちの案が、採用ですか……?」  俺が半信半疑でいると、沢木企画課長が微笑んだ。 「ストリート・ダンサーという新たな客層に着目した点を高く評価しました」 「ありがとうございます!」 「やったな、虎ノ瀬さん!」  竜岡がガッツポーズをとった。俺は竜岡の拳に、みずからの拳を軽くぶつけた。 「ふたりは本当に仲がいいわね。その調子で、5月の役員会議でのプレゼンを乗り切ってね」 「お任せください! 僕たち必ず、役員のみなさんのハートを射抜いてみせます!」  企画のブラッシュアップすべき点を指摘されて、ミーティングが終わった。  会議室から引き上げようとすると、竜岡に後ろから抱きつかれた。 「嬉しすぎるなー、虎ノ瀬さん!」 「まだだ。役員会議で承認を得たわけじゃないし、開発課との調整作業だってある」 「大丈夫、僕らならやれるよ。『ステップ・アロー』は僕らの子どもみたいなものだ。今はまだ形になっていないけど、絶対に世に送り出そう」 「そうだな」  竜岡が肩を組んできた。  スキンシップ大好きだな、こいつ。俺は人とベタベタするのは苦手だが、竜岡からのボディタッチはなぜか許すことができた。  竜岡が耳元で囁いた。 「今夜って空いてる?」 「ああ」 「社内コンペの祝勝会をしない?」 「まだ正式に企画が役員会議で承認されたわけじゃないだろう」 「ダメ?」 「役員会議に向けた決起集会ということなら、いいよ」  俺は竜岡の背中に腕を回した。ぽんぽんと元気づけるように軽く叩いてやると、竜岡がとろけそうな笑顔を浮かべた。 「虎ノ瀬さん、愛してる!」 「言っておくけど、割り勘だからな」    デスクに戻った俺たちは、企画書をリファインした。 ◆◆◆  仕事帰りに、俺と竜岡はベイエリアにある焼き鳥屋の暖簾をくぐった。  焼き鳥屋を選んだのはライバル会社であるVバードを食ってやろうという、一種の願掛けだ。  竜岡はウーロン茶を注文した。 「下戸なのか?」 「いや。今日は飲まない」 「そうか。こっちだけアルコールというのも悪いしな。俺はレモネードにする」 「気を遣わせてごめん」  ホールスタッフにドリンクと盛り合わせを頼む。  周囲には酔っ払った客の話し声が響いており、やかましい。まあ、いいか。竜岡の悩みを聞きにきたわけではないし、多少うるさくても平気だ。  俺はネクタイを緩めた。  窮屈さが消えた喉元に、竜岡の視線を感じる。変な奴だな。男の喉仏なんて見ても楽しくはないだろうに。   「竜岡さんってよく俺のことをガン見してるよな。相手の姿をじっと見ちゃうの、クセなのか?」 「……視線が吸い込まれるんだよ、虎ノ瀬さんに」 「俺に? そんなに変な格好はしていないつもりだが」  竜岡はウーロン茶が入ったグラスを傾けた。 「僕って可哀想。折を見てアピールしても、全部なかったことにされてしまう」 「なんだよ、どうした。そんな寂しそうな顔して。俺がここにいるだろう? これからだって、一緒に仕事をしていくんだから。竜岡さんは独りじゃないよ」 「……残酷なお人や」  どうにも話が噛み合わない。  今夜の竜岡はなんだか傷心気味で、元気がない。決起集会なのだから、もっと盛り上げなくては。  俺が口を開こうとした瞬間、竜岡が立ち上がった。 「ごめん、ちょっと行って来る」  竜岡はカウンター席にいた男性に近づいた。そして頭を下げた。 「あの話、前向きに考えてくれよ」 「……はい」  俺は席に戻ってきた竜岡に、相手が誰か訊ねた。 「あの人は、和泉さん。大阪支社時代にお世話になった先輩」 「うちの会社の人か?」 「もう退職されてる。今はベンチャー企業の社長だ」  和泉さんは会計を済ませると、店の外に出ていった。竜岡がホッとしたような表情を見せる。 「もしかして苦手な人だったのか?」 「少しね」 「竜岡さん、誰とでもうまくやってる感じなのに」 「キャラを作ってるだけだよ。本当に心を許している相手は虎ノ瀬さんだけや」 「俺もそうかもなぁ。素の自分を見せてるのは竜岡さんだけかも。昔、病弱だったこととか会社の誰にも話したことがない」  俺がそう言うと、竜岡が座卓に身を乗り出し、顔を近づけてきた。 「ほんま? ほんまに僕に心開いてくれてるの?」 「最初は竜岡さんのことを敵視していた。俺は負けず嫌いだからな。同期で自分より結果出してる奴とか、むかつくだろ」 「今は違うの?」 「大切な仲間だと思ってるよ。竜岡さんの発想力と俺の実務スキルがあれば、この先もバンバンいい企画を出せるんじゃないか」  竜岡が座っている側に移動して、握手を求める。 「これからもよろしく。俺の相棒」 「虎ノ瀬さん……。僕は……」  俺が差し出した手を、竜岡は両手で包み込んだ。まるで壊れ物を扱うような繊細な手つきである。  竜岡は俺の手に頬ずりをした。その表情があまりにも切なげなので、俺は動揺した。 「……竜岡さん? なんだかさっきから様子が変だぞ。調子でも悪いのか」 「ちょっと限界かも」 「そうだよな。ずっと仕事が忙しかったわけだし。もう出よう」  会計を済ませた俺たちは、外に出た。  夜風がふたりの髪を撫でていく。 「浜風には慣れたか?」 「うん。山下公園に寄って行ってもいい?」 「もちろん。せっかくベイエリアに来たんだからな」  俺たちは山下公園を歩いた。  明かりが映り込んでいる夜の海を眺めていると、竜岡が体を寄せてきた。竜岡が指先を絡めてくる。 「どうした? カップルごっこをして遊びたいのか?」 「……いい加減にせぇ。どんだけ鈍いんや」 「なんだよ、いきなり声を荒げて」 「虎ノ瀬さん。僕は……虎ノ瀬さんが好きや」    唇を奪われた。同僚にキスされている。しかも、そいつはずっとライバルだと思っていた男だ。 「んっ、……ふ、……」  息継ぎの合間に艶めいた声が漏れてしまい、俺は狼狽した。竜岡の舌遣いは巧みだった。口蓋や舌の付け根をちろちろと舐めて、俺を溶かした。臀部を撫でられた瞬間、俺は思わずふるりと肩を震わせてしまった。  かつて憎いと思っていた男に激しく求められている。  それなのに、俺の体は嫌悪ではなく歓びを感じていた。 「竜岡さん……、それ、やめろ……っ」  耳たぶを食まれて俺は窮地に陥った。このままでは勃起してしまう。 「どうして? 虎ノ瀬さん、すごく気持ちよさそうだよ」 「あっ、そんなところ……触るなっ」  竜岡が俺の臀部をまさぐった。  涙目になった俺をぎゅっと抱きしめたあと、竜岡は体を離した。 「僕……虎ノ瀬さんが好きや。入社式の時から」 「……竜岡さん」 「でも、片思いはもう終わりにする。虎ノ瀬さん、妙な真似してごめん。僕のこと、ぶっ叩いてほしい」 「ば、馬鹿野郎! いきなりキスなんかしやがって……!」  俺は竜岡の頬を張った。痕が残っては気の毒なので、力加減はセーブした。  竜岡が悲しそうに目を伏せる。 「思いっきりビンタしないところが虎ノ瀬さんの優しさの表れやな」 「なあ。これでもう、いつもの竜岡さんに戻ってくれるんだよな?」 「うん。虎ノ瀬さんをエロい目で見たりしない」 「えっ、エロい目っておまえ……。俺は男だぞ?」 「そうだよね。まごうことなき男子だよね。でも好きなんや。虎ノ瀬さんの誇り高いところが。強い意志を宿したまなざしが」  これまでに女性に好意を向けられたことが何回かあった。彼女たちは俺のスペックに惹かれているようだった。  でも竜岡は、俺のダメなところも含めて好きだと言ってくれている。そんな気がした。 「今日は本当にごめん。お先に失礼します」  竜岡はダッシュで俺のもとから去っていった。  俺は、その場に立ち尽くした。  唇には竜岡からのキスの感触がまだ残っていた。

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