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第9話

 5月になった。  本日、役員会議が開かれる。俺と竜岡は企画課の代表として『ステップ・アロー』の概要についてプレゼンをしなければならない。  俺たちはお揃いの矢絣(やがすり)模様のネクタイを締めて大一番に臨んだ。  重役が集まった大会議室は、雰囲気が物々しかった。まるで異空間に変化したかのようだ。  コの字型に配置されたテーブルに、吉田社長の姿があった。  入社式で見せてくれた優しい表情とは打って変わって、目つきが鋭い。まるで猛禽のようである。  ピリッとした空気に圧倒されている俺の背中に、竜岡が手を置いた。 「大丈夫。僕たちならやれる。タイガー&ドラゴン、出陣や」  そして俺たちのプレゼンの時間になった。  スクリーンにスライドが映し出される。「射抜け、きみのステップで」というキャッチフレーズを重役たちが無言のまま見つめている。  俺は口角を上げると、説明を始めた。 「新商品『ステップ・アロー』のコンセプトは革命です。これまで当社の商品がリーチしていなかったストリート・ダンサーをメインの顧客に想定しております」  次のスライドを映す。 「ミヨシギアの課題はユーザーの若返りです。『ステップ・アロー』はコストを抑えたエントリーモデルとして売り出し、若年層の取り込みを図ります」  続いて、カラーバリエーションは全7色、別売りの靴紐によりカスタマイズ可能というプランを提示する。吉田社長が腕組みをした。他の重役たちも険しい表情をしている。 「デザインは外部に委託します。具体的には、デザイナーのエニシ・コウセイ氏にお願いしたいと考えております」  大会議室が静まり返った。  俺は沈黙を跳ね除けるように明るい声を出した。 「ミヨシギアの新たな歴史を作る。そのために『ステップ・アロー』のリリースを提案します」  当初の予定どおり、俺は時間内にプレゼンを終わらせた。続いて質疑応答が始まった。竜岡がマイクを持った。   「エントリーモデルということですが、開発コストをどのように抑えるのですか」 「試作品の作成に3Dプリンターを使用して、コストを削減する予定です」 「デザイン重視というとトライヴァースと真っ向勝負になるね。どうやって差別化を図るつもりかな?」 「ミヨシギアらしい機能性の高さをアピールします。具体的には優れたクッション性やソールの耐久性です」  次から次へと飛んでくる質問に竜岡が詰まることなく答えていく。俺は相棒を頼もしいと思った。   「他に質問はございませんか」  竜岡が問いかけると、吉田社長が口を開いた。 「ミヨシギアで検索すると、どんなサジェスチョンが出てくるか知っていますか?」 「はい。『おじさんくさい』、『ダサい』などです」 「あれ、どうにかしたいよねぇ。きみたちのプランは開発コストの見込みは甘いし、外部デザイナーの招聘という不確定要素もあるし、正直、穴だらけだ。  でも、本気で革命を起こしたいのならば、このぐらい大胆な企画じゃないとダメかもしれないね」  吉田社長が重役たちに呼びかけた。 「私としては、今回の企画にチャレンジしてみたい。異論のある方はいますか?」  宇多川開発部長が言った。 「久々に開発担当者の負担をまるで考えない企画が出たね。竜岡くんと虎ノ瀬くん。この企画が通ったら、きみたちは開発課との折衝で大変な目に遭うだろう。それでもいいんだね?」 「はい! 私たちは是非とも『ステップ・アロー』を世に送り出したいんです」 「組織を変えるのは、馬鹿者、若者、よそ者のいずれかとはよく言ったものだ」  他の重役からは激励の言葉が飛んできた。 「やるからには、売り上げトップを目指そう」 「ミヨシギアの力を知らしめるんだ」  俺と竜岡は一礼した。  吉田社長が手を叩いた。他の重役たちも拍手を送ってくれた。 ◆◆◆  役員会議で『ステップ・アロー』の企画が承認された。  俺と竜岡の戦いの日々が始まった。俺たちは毎日のように開発課から呼び出され、質問攻めに遭った。  本日はデザイナーのエニシ・コウセイ氏との初めての打ち合わせがある。エニシ氏は人の好き嫌いが激しくて、はっきりモノを言うタイプらしい。もし失言でもすれば商品デザインの話は受けてもらえなくなるだろう。  俺たちはゲンを担いで、お揃いの矢絣模様のネクタイを身につけた。  エニシ氏の事務所は、代官山の一等地にあった。  約束の時間どおりに、エニシ氏がやって来た。スケッチブックを携行している。 「どうもどうも。わざわざ来てもらっちゃってごめんね」 「こちらこそお忙しいところお時間をいただき、ありがとうございます」 「本題に入るけど、ボク、シューズのデザインってやったことがないんだよね。それに大手さんと組むといろいろと制約が多いイメージがあるなー。自由にやらせてもらえるのかな?」 「もちろんです。開発担当部署との調整は私どもにお任せください」 「商品名は『ステップ・アロー』か。強さを全面に出した方がよさそうだね」  エニシ氏はスケッチブックにシューズのラフスケッチを描きつけた。真っ白だった紙の上に、シャープなデザインのシューズの絵が現れる。 「ストリート・ファッションといえばVバードみたいな風潮にボク、飽き飽きしてたんだ。みんなで新しいことを仕掛けようよ」 「是非ともよろしくお願い致します!」 「へえ。おふたりのネクタイ、お揃いなんだ。矢絣模様? 『ステップ・アロー』にかけてるの?」 「はい。縁起のいい柄だとも言われていますし。エニシさんも日本の伝統的な柄をデザインに取り入れていらっしゃいますよね」 「よく知ってるね。ミヨシギアからオファーをいただいた時は、ミスマッチじゃないかなって思ったけど、ボクたちぐらい違うカルチャーを持った者同士がタッグを組んだ方が面白いものができるかもね」  納品日を相談して決める。エニシ氏は予定がびっしりと書き込まれた手帳をめくった。 「この日なら大丈夫」 「では、よろしくお願い致します」  後日、デザインのデータが届いた。   「完璧だな……」  俺は感嘆した。  厚めのソールに、矢をイメージしたロゴ。7色あるカラーバリエーションの全てを揃えたくなるほどにカッコいい。  開発課にデータを提供する。すると、鳥谷開発課長が俺たちのもとにやって来た。 「リテイクだ! こんなに厚いソールで軽量化を実現しろだと? 無理を言ってくれる」 「いえ、ソールの存在感がデザインの肝なんです。そこは譲れません」  俺は研究所から上がってきたレポートを広げた。 「新しい熱可塑性樹脂の開発により、ソールの軽量化が可能になったらしいです」 「新技術に飛びつくつもりか? 耐久性はどうだか分からないじゃないか」 「耐久性に関しても従来品を上回る数値が出ているようですよ」  竜岡がレポートをめくって、該当する箇所を鳥谷開発課長に見せた。 「……ふん。まあまあ勉強しているようだな。だが、これは企画課発の案件だということを忘れるなよ? もしもコケたとしたら……責任を問われるのはきみたちだ」 「重々承知のうえです」 「僕ら、何としても『ステップ・アロー』をヒットさせるつもりです」  鳥谷開発課長は「口だけなら何とでも言える」と吐き捨てて、企画課のオフィスから去っていった。 「竜岡、チョコくれ。石頭の相手をして疲れた」 「はい、どうぞ!」 「変わるのって難しいよな。未来に飛び込むのは誰だって不安だし、過去の栄光にしがみつきたくなる気持ちも分かる」 「そうだね。でも僕は虎ノ瀬さんと一緒なら、チャレンジできるよ」 「俺だって」  竜岡と微笑みを交わす。  俺には頼もしい相棒がいる。この先、どんな試練が降ってこようとも怖くはない。『ステップ・アロー』を世に送り出すんだ。  今の俺には怖いものなど何もない。人より優れていなくてはいけないという思い込みからも自由になった。俺には俺のよさがある。心身に負担をかけてまで他人と争う必要などない。  それを教えてくれたのは竜岡だ。  竜岡のおかげで、俺は真の強さを手に入れた。

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