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第11話
出口に向かうお客様たちの笑顔を見るとほっとする。その顔を見送れると満足ゲージが上がり、頬が勝手にニヤけそうになってしまう。
だらしがない顔をしないように頬を抓っていると高田は目を丸くした。
「眠いの?」
「いえ、お客様の笑顔を見ると嬉しくなっちゃって」
「わかるよ。フロントってキツイけどお客様の反応がダイレクトに見れるもんね」
クレームも多いけど、と高田は付け足したので笑ってしまう。お客様とホテルの窓口でもあるから仕方がない。
それからは軽口を言う暇もなく、チェックアウトの行列を捌くのに集中した。
ゴールデンウィークを目前とした土曜日は連日多くの観光客が来てくれる。普段は休みだが、この日は混むから出勤して欲しいと頼まれていた。
(ん……この匂いは)
一息ついたタイミングで気になる匂いが三毛の鼻を掠めた。
匂いの出どころは列の横にあるソファからだ。ここらからじゃ柱に隠れてしまっている。
運悪く、出入口とは反対側なのでチェックアウトを済ませたお客様も他の従業員も気づいていない。
すぐにでも駆けつけたい気持ちをぐっと堪えた。
(どうしよう。声かけたいけど、ここも抜けられないし)
チェックアウト作業をしながらチラチラと柱の様子を伺った。
「三毛、なにか気になる?」
振り返るとイリヤがちょうどフロントに入ってくるところだった。あまりに混雑していたのでヘルプに来たのかもしれない。
事情を説明しようと口を開くがここから死角の場所にいるお客様のことをどう説明すればいいのだろうか。
匂いがするからだ、なんて言えるはずもなく猫憑きだと暴露もできない。
「えっと……あの、ちょっと外の様子を見てきてもいいですか?」
「理由は?」
笑顔なのに額に青筋が浮かんでいるのが見える。また性懲りもなくフロントを出ていこうとしているのかと無言の圧を感じた。
「俺じゃなくてもいいんです。できれば女性で」
「女性と二人で仕事を放って逃げ出したいと?」
「そうじゃなくて」
ダラダラと背中に冷や汗が伝う。うまい言葉が出てこない。
「柱の影に隠れてるソファが気になるというか」
「ソファ?」
「イリヤさん、見てきてもらえませんか?」
なんで俺が、と顔に書いてある。じっと見上げているとイリヤは小さく溜息を吐いた。
「わかった」
イリヤはフロントを抜けて中央のソファに近づいた。もうここからでは見えなくなるが、三毛にはしっかりと聞こえる。
「お客様、どうされましたか?」
「つわりで気持ち悪くて……」
「すぐ医務室に案内しますね」
慌ててこっちに向かってくるイリヤはスーツのジャケットを脱いでいた。女性にかけてあげたのかもしれない。
女性従業員を二人連れてイリヤは再びソファの方へ行った。二人に支えながら女性はゆっくりと歩いている。その顔は色をなくしたように青白い。
彼女の鞄にはマタニティマークのついたストラップがぶら下がっていた。
騒然としたフロント内にお客様の動揺が広がり、一人一人丁寧に笑顔で対応した。
戻ってきたイリヤは抜けた穴を埋めるためにチェックアウトの作業に入ってくれた。
全部の対応が終わり、レジも締めた。やっと休憩に入れる。
気を緩めると疲労が追いついてきてどっと身体に重量が増す。
「どうして彼女のことがわかったんだ?」
イリヤに問われ、高田を始めとした従業員たちも興味深そうにこちらを見ている。
「チラッと見えた気がしたんです。顔色も悪そうだったので心配で」
「ならそう言えばよかっただろう」
「確信が得られないのに騒ぐのも失礼かなと」
まさか妊婦の匂いがしたからとは言えない。じっと見つめると高田が間に入ってくれた。
「でもあの妊婦さんもご家族が迎えに来てくれるっていうからよかったじゃないですか」
「それもそうだが」
「救急車騒ぎにならなくてよかったですよね」
高田に合わせで頷くと他の従業員たちからも労りの声をもらえ、この件は終わりを告げた。
イリヤだけは納得してなさそうな顔をしていたが、無視を決め込んだ。
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