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第17話

 「気持ちが落ち着いたからよ」  「氏家様!?」  旅館の方からやってきた氏家にも驚いたが、なにより彼女の容姿に目を剥いた。  白い三角耳がぴょこんと顔を出している。  「私も猫憑きなの」  いたずらっぽく氏家は笑った。  「三毛ちゃんが猫憑きだと気づいてたんだけど、なかなか言い出すタイミングがなくて。こんな形でごめんなさいね」  「いえ、そんな……イリヤは知ってたの?」  「少し前にな」  猫憑きは希少で、本人も周りも隠したがる。そのせいで全体の数は把握できない。だから父親は年々減っているだろうと言っていた。  「猫憑きは商売繁盛の象徴とされてるけど、実はちょっと違うの。猫憑きが商いをすれば繁盛するってことなの」  「だからうちの旅館は潰れかかってしまったんですね」  三毛は直接旅館の経営に関わっていなかった。フロントもバイト感覚でやっていたにすぎない。  「じゃあ俺が社長になれば三毛屋は安泰ってことですか?」  「難しいわね。少し旅館を見させてもらったけど、施設は古いしアクセスも悪い。それに猫憑きは万能ではないの」  「そうですか」  もう手遅れということなのだろう。今日までのうのうと生きてきた罰だ。  従業員たちのやさしさに甘えていたせいで、みんなの首を絞め続けていたのだ。  「さて、麓のアウトレットの名前は言える?」  氏家からの変化球に首を傾げる。助けを求めるようにイリヤを見上げたが微笑まれるだけだった。  「確か氏家ショッピングプラザ」  ぱっと顔を上げると氏家は妖艶な笑みを浮かべた。  「実は周辺の土地をうちが買ったの。いずれ大きなテーマパークを作るつもり。遊園地にはホテルも必要でしょ?」  「この辺一体のホテルは俺が買収する」  膨大な話に頭が回らない。いつのまにそんな話が水面下に進んでいたのだろう。  毛糸が絡まるように話の筋がまったく見えてこない。  「三毛屋をうちの傘下にはいってもらう」  「そんな……じゃあ三毛屋はなくなっちゃうの?」  ここの温泉街は古い。他のホテルや旅館も老朽化が進んでおり、どこも同じように観光客は来ていない。  この一帯を更地にして新しいホテルを建てれば若者たちも来やすいだろう。  「建て直すだけだ。ここを新たな観光地に仕立て上げる」  「そんなことできるの?」  おとぎ話のよりあり得ない話だ。いったいいくらかかると思っているのだ。  それにホテルや旅館の社長たちが難色を示すに決まっている。そうホイホイと話が進むわけない。  イリヤは自信満々ににやりと笑った。  「無理だな。いまは。だが時間をかけてやっていくつもりだ」  胡桃色の瞳には強い信念が見える。やると言ったらやると有言実行な男は闘志を燃やしていた。  「だから手始めに一番歴史のある三毛屋から懐柔するんだ」  「そんな言い方しかたまた三毛ちゃんが勘違いしちゃうでしょ」  氏家の苦言にイリヤは罰が悪そうに唇を尖らせた。  「元々、この辺は私が所有している土地なの。自然豊かで温泉もあるし素敵でしょ。その話をどこからか聞きつけたイリヤくんが乗ってきてね。まぁ手を組んだって形になるのかしら」  「でもシュペルユールはどうするの?」  イリヤは次期社長としてシュペルユールで働いている。彼がいなくなったら困る人は多いだろう。  「俺は妾の子だからな。元々弟が継ぐと決まってるんだ。俺は俺のやりたいようにやると決めている」  「それで許しは出たの?」  「許しもなにも俺の人生だ。誰にも口出しさせるつもりはない。言っただろ。シュペルユールだけにはおさまらないと」  まるで三毛が間違っているかのような自信たっぷりな言葉に開いた口が塞がらない。でもイリヤらしい。そうやって我を通してこそ彼らしく、三毛が惹かれた部分でもある。  周りに愛想笑いをするのは似合わない。  「じゃあ三毛屋はなくならない?」  「そうだ。少し改装はするがな。その話し合いをするためにここまで来たんだ」  「……でも銀行への負債があるし」  「それはこっちで肩代わりをする。その話もちゃんとしよう」  「うん」  曇っていた空に一筋の光が刺すように未来が明るくあけてくる。  旅館に戻り三毛、イリヤ、氏家と父親の四人で話し合いを進めた。イリヤたちが提案してくれた通り条件を飲んだ。  日が暮れて氏家は帰って行った。本当は泊まる予定だったのだが、元旦那の新内が会社に来てしまったらしい。  「困った人よね」と言いながらもどこか嬉しそうにしていた。仕事はできるし頭もいいのだが、男運は悪いのだとイリヤがこっそり教えてくれた。  「じゃあ私も帰ります」  「ここまでご足労だったな」  「灰谷さんも泊まればいいのに」  運転席に乗り込んだ灰谷は困ったように笑った。  「子どもが産まれたばかりですし……それにお二人の邪魔をするつもりはありませんよ」  「それってどういう……」  「失礼します」  車は滑らかに走り出してしまい、残された三毛はイリヤを見上げた。  「本当に泊まるの?」  「視察も兼ねてな。離れを用意してもらった」  「離れって」  元々宴会場として使われていたところだ。部屋は二十畳と広く、バブル時代は社員旅行でよく重宝されていたらしい。  だがここ数年はほとんど使われていない。  「なんでそんなとこにしたの。他にも部屋は空いてるのに」  「誰がいつ来るかわからないだろ。それにここは壁も薄い」  「騒ぐつもり?」  イリヤは酒に酔って暴れるタイプではない。  甘い発情の匂いにかっと頭が熱くなった。  「……俺をこのまま帰していいのか」  意味を理解して三角耳がぴょこんと出てしまった。  (それってつまり、そういうことだよな)  半ばパニックになっているとイリヤは声もなく笑った。

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