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第18話

 二十畳と広い宴会場には、申し訳程度に座卓が並び、カラオケセットやブラウン管のテレビがオブジェのように鎮座している。  だがマメに掃除をしてくれていたようで埃っぽさはないのが救いだ。  座卓に並べられた豪華な食卓は感謝の表れだろう。山の幸と海の幸を存分に用いた料理の品数の分だけ、従業員みんながイリヤをおもてなししようとしてくれたのが手に取るようにわかる。  「どれも美味いな」  「いいでしょ。うちの自慢」  「彩りもいいし、種類も豊富だ。SNS好きな若い子に受けるだろう」  さすが食事中でも仕事モードが抜けないイリヤだと内心笑った。  事前に予約しておけばジビエも食べることができると伝えると顔を顰めた。  どうやら苦手らしい。  「温泉も悪くなかった。やはり立地がネックか」  炊き込みご飯をじっと見下ろしたイリヤは経営者の顔をしている。本気で建て直そうとしてくれる気概を感じる。  「車がないと来れない場所だからね。若いカップルだと難しいかも」  「じゃあ最寄りの駅まで車で迎えに行くサービスをやれば来やすくなるだろう」  「確かに。考えたこともなかった」  客は勝手に来るものだ、というのが父の信条だった。だがそれは昔の話でいまは客がどれだけ負担なく旅行を楽しめるかが大事だ。  リフォームすれば客が来るわけではない。  他にもサービスを改善させる必要があり、考えることは山積みだ。  イリヤは箸を休めながら何個か提案をしてくれる。来て半日程度なのによくそれだけ案が出るのだと驚いてしまう。  「イリヤはすごいね。よくそれだけ思いつくよ」  「俺は外野だからとやかく言えるだけだ。実際にやるのは三毛たちなんだからよく考えた方がいい」  「うちのことたくさん考えてくれてありがとう」  こんなこと言うのは照れくさい。でもちゃんと伝えたかった。  イリヤと氏家の力がなかったら、三毛屋は廃業していた。いまも首の皮が一枚繋がっただけで万全とはいえないだろう。  それでもわずかな希望が目の前にある。  「三毛がうちで真面目に働いたからだ」  「そりゃスーツ代を返すためだし」  「そんなの無視してもいいだろ。誰よりもお客様と向き合った三毛がいたから、俺も力になろうと思ったんだ」  正面に座るイリヤに見つめられると落ち着かない。まだ耳は出たままでピクピクと細かな音を拾ってしまう。  イリヤの心音が早くなり、自分のものと重なる。  綿菓子に包まれたように甘ったるい空気が広がっていた。  瞬きもせずに見つめているとイリヤはゆるゆるとこちらに来て、隣に座った。膝の上に置いた手を重ねられると飛び跳ねそうになる。  「いいか」  なにを、なんて訊かなくてもわかる。小さく頷くとキスをされた。  唇の表面が触れ合うだけで心まで抱きしめられたように満たされる。その甘さに酔いしれていると舌が隙間を割って咥内に侵入してきた。  畳の上に倒されそうになり、慌てて腕を突っぱねた。イリヤの顔に不満が広がる。  「なんだ」  「料理下げてもらわないと誰かきちゃうかも」  「……それもそうだな」  内線で呼び出すとすぐ女将たちが来てくれてさっと食器を片付けていった。意味深な笑顔を向けられてしまい、恥ずかしさで尻尾が揺れてしまう。  「ごゆっくり」  襖をとんと閉められて足音が小さくなるまで微動だにできなかった。砂利の音と女将たちの楽しそうな笑い声が遠くなっていく。ほっと息を吐く暇もなく、唇を重ねられた。  「ま、待って」  「もう待てはできない」  「犬だってもう少し言うこときくのに」  ぴたりとイリヤの動きが止まる。犬に例えたのがよくなかったのか眉間に小山ができてしまった。  指の腹でぐりぐりと撫でてやるとがぶりと噛まれた。  「痛い!」  「俺を焦らすからだろ」  「焦らしてなんか」  「焦らしてる」  抱きしめられるとイリヤの下半身を押しつけられた。熱く猛ったものの存在感にごくんと唾を飲み込んだ。  イリヤの首筋から発情の匂いがしてくる。三毛が苦手だったもの。けれどイリヤのだと特段いい香りになるのはなぜだろうか。  その匂いを全身に浴びると身体が疼いてしまう。三毛の性器もぐんと硬くなってしまい、イリヤは舌なめずりをした。  「なんだおまえも乗り気じゃないか」  「緊張してるんだよ!」  生まれて二十三年。  初恋はおろか誰かと付き合った経験がない。人の発情の匂いは苦手で恋愛事とは縁遠いところにいた。  手が小刻みに震えてしまう。得体のしれないことは誰だって怖い。  男女の営みの知識くらいはあるが男同士はない。どうやってするのか調べる暇すらなかった。  「悪い。三毛の気持ちまで考えてなかった」  真綿みたいにやさしく抱きしめてもらえて強張っていた心が解けていく。  怖い。でもイリヤとなら乗り越えたいと思える。  「なにもわからないから教えてくれると助かる」  「ゆっくりしような」  「うん」  中央にある布団まで手を引かれてその上に座らせられた。部屋は豆電球だけが蛍のようにポツポツと灯っている。  それでも夜目の効く三毛にはイリヤの髪の靡きすら手に取るようにわかってしまう。  瞬きの回数や表情からイリヤも緊張してくれているのが伝わる。だから安心できる。  (きっとこの人は俺を大切にしてくれる)  自分からキスをするとイリヤは毛を立てた猫のように驚いている。これじゃどっちが猫憑きなのかわからない。

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