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スモーキーミルク【7】

「白駒さんっ、ななな、なんでこんな所にっ?!」  大賀峰は動揺して辺りをキョロキョロと見回す。 「あ~、俺さ、こんな年でヒート来ちゃって。て、それは知ってるか」 「あ、は、はい……」  アハハ、と乾いた笑いを漏らす八尋を大賀峰は戸惑った目で見つめてくる。 「挨拶も無しで会社辞めちゃって……。Ωだってことも黙ってて……ごめん」  αの大賀峰にΩだと伝えず、さらにネックガードも着けず近付いていたのは事故番で玉の輿を狙っていたと思われても不思議ではない。 「俺、不完全なΩで今までヒートも無くてさ、βとして生きていけるかな、って思ってて。本当に不誠実だったよな。すまん」 「あ、謝らないでください! 白駒さんは何も悪くないです!」  誠意を込めて頭を下げた八尋に対して、大賀峰の表情に軽蔑するような色はなく喫煙所で会っていた時と変わらない目がそこにあった。 「ありがとう。もうお前に会うこと無いんだろうなって思ってたから、ちゃんと話せて嬉しいよ」 「白駒さん……」  八尋がホッとして笑顔を向けると大賀峰は泣きそうな顔をした。いつもの弱気な大賀峰だ。大賀峰には悪いがなんだか日常に戻ったみたいで八尋は嬉しくなり、ふと思い立った。 「あ、なあ、タバコ持ってる?」 「え、あっ、ありますよ」 「わりぃ。一本恵んでくれない?」  八尋が大賀峰の隣に座ると大賀峰はすぐに鞄を漁り始めた。慌てた様子でゴソゴソと探していると何か転げ落ちた。 「あ……」  パタッとベンチの下に落ちたのは見覚えのあるアルミ袋。八尋がそれに手を伸ばすと大賀峰が素早い動きで先にそれを拾い上げ鞄にしまった。  明らかにオメガミルクのパウチ袋だった。袋には識別番号がついているが、何番かまでは見えなかった。 (そりゃ、αがここに来るって……ミルクを買いに来る以外ないよなぁ)  八尋は先程までの晴れやかな気持ちが急に萎んでいくのを感じる。 「……あ、ありました。どうぞ」 「ん、サンキュ」  若干気まずい空気が流れる中、大賀峰がタバコを差し出す。八尋が一本貰うと高そうなライターで火も付けてくれた。  久しぶりに味わうニコチン。 「ああ、いいねぇ〜。青空の元で吸うタバコ」 「ここ、禁煙なんですか?」 「ああ。ミルクの味が悪くなるから、タバコなんて言語道断って言われた」  八尋は再びハハッと乾いた笑いを漏らした。  Ωである八尋がこの施設に居る意味を大賀峰は既に察しているだろう。ミルクを出してそれを売ってるだなんて恥ずかしいし知られたく無かったがもう今更だ。むしろ笑い話で愚痴として聞いてくれた方が良い。 「他にもさ、コーヒーもカフェインレスで、お茶もよく分からんハーブティー出てくるし、酒も甘い物も脂っこい物も控えろって。食事の見た目は豪華だけど、なんか飽きてきた。ああ、ドーナツ食いてぇなぁ」 「し、白駒さんも、もう……その、売ってるんです……よね……」 「まあ、らしいよ。買う奴いねぇだろうけど。ピチピチの美青年揃ってるし、売れ残りはミックスされて医療用だって」 「う、売れた数とか、わかるんですか?」 「んー、月末締めらしいから、そのうちわかるかなぁ。あ、なあカタログみたいなの見た?」 「カタログ……ですか? 見てないですが……」  大賀峰が不審そうな顔を向けてくる。八尋はネタ話の一つのつもりで話した。 「ファミレスのさぁ、タブレットメニューみたいなやつに美青年達が並んでんの。上半身裸でエロいポーズとって。客はそれ見てミルクを選ぶんだって」  大賀峰は本当に知らなかったようで口を開けたまま固まった。知らないでさっきのミルクはどうやって買ったのか疑問だ。いつも決めてる贔屓のΩがいるんだろか。 「し、白駒さんは、載ってないですよね?!」 「あはは、載ってる載ってる」 「の、載ってるんですかっ?!!」  大賀峰の大声が広場に響く。  カタログには全員載せていると言われ仕方なく八尋も応じたわけだが、当然セクシーポーズなどとるつもりは無く、直立の無表情で写っている。その姿はまるで捕虜か犯罪者のようだった。 「今度見てくれよ。マジで俺の笑えるから」 「わ、笑ってる場合ですかっ!」  ケラケラと笑う八尋と対照的に大賀峰は実に深刻そうな口調で八尋を責めてきた。 「いや、笑ってくれよ……どうしようもないんだからさ」  八尋はタバコを深く深く吸い込み、溜め息ように吐き出しなが、ネックガードの隙間に指を突っ込み掻く。そんな八尋から大賀峰は目を逸らしつつ尋ねてきた。 「だ、ダイレクト、してないですよねっ?」 「お、よく知ってんじゃん。買ったことあんの? ダイレクトで」 「な、無いですっ! 今は僕が質問してるんです!」 「何怒ってんだよ」  八尋はさらに笑いとばした。大賀峰が心配してくれてる。その気持ちだけで嬉しい。  八尋は肺を心地よく満たしてくれる煙をふぅ~と吐き出した。青い空に紫煙が溶けていく。 「やってないよ。こんな年食ってる男を買う物好きなんていねぇよ」 「い、いたら応じるってことですか?!」 「いやぁ、無理だなぁ〜。考えただけで鳥肌が立つ」  さっき声を掛けてきたようなオッサンに乳首を吸わせて、さらにセックスまで応じるなんて、歯を食いしばっても我慢できない。しかし、今は無理だと思うのだが、ここにいたらそうも言ってられない気がしている。  きっとここの経営はあのダイレクトでの儲けで成り立っている。客は一回で二、三十万の金を支払い、Ωは七割、施設側が三割を受け取るそうだ。中には一回で百万近くいくΩもいるとか。  ただミルクを医療用に売るだけのΩは施設にとって赤字物件なのだろう。だから施設は積極的にダイレクトを勧めている。『合意のもとですよ』と言いながら。 「ま、先のことはわからないけどな。すげぇ金持ちで俳優並みに男前だったら応じてもいいかもって思える日が来るかもしれないし!」  八尋は大賀峰に心配をかけまいと明るく軽い調子で答えた。しかし大賀峰は眉間をきつく寄せたままだ。  その顔は俳優並みに男前だ。  わかっている。大賀峰のような大金持ちで俳優並みに男前なαはきっと若くて可愛いΩを選ぶ。自分はここでこの先十年、神経図太く医療用だけに徹するか、割り切ってオッサンの相手を安く引き受けるか、だ。後者を選ぶにはまだまだ覚悟が出来そうにないが。 「白駒さんっ! だめじゃないですか!」  突然背後から呼ばれ振り向くと八尋の担当職員佐藤が鬼の形相で立っていた。 「ここはお客様のエリアです! どこから出たんですか! あっ、しかもタバコまで!」 「あー、はいはい。戻りますよ」  気分は老人ホームのおじいちゃんだ。  八尋は地面でタバコをひねり消すと大賀峰を見た。 「じゃ、行くわ。タバコ、ありがとな」  大賀峰は律儀に携帯灰皿で吸い殻を受け取りながら、真剣な目を八尋に向けてきた。 「白駒さん、自暴自棄にならずにいてください」  今まで散々励ましてきた大賀峰に励まされている。  大賀峰に会うのはもうこれが最後かもしれないと思うと鼻の奥がツンとしてきた。 「そうだな。大賀峰も部長、頑張れよ。じゃあ、またな」  さよならでは悲しすぎる。八尋は再会を願ってそう告げた。

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