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スモーキーミルク【8】

 もう会うことは無いかもしれないと思っていた大賀峰との再会はそのわずか四日後だった。  その日、八尋は佐藤に呼ばれ応接室に案内されるとそこにはなぜか大賀峰がいたのだ。 「大賀峰、どうしたんだよ!」  八尋は思わず声を上げた。  入室してきた八尋を見て、大賀峰が応接ソファから立ち上がる。  大賀峰はいつもより高そうなスーツを着ていた。喫煙所で会っていた平社員ぽい大賀峰ではない。もっとも、大賀峰一族の一員である大賀峰望は元々庶民では無いのだが。 「白駒八尋さん、僕は貴方を引き取りたいと思い、本日ここに参りました」  大賀峰が突き刺すような真っ直ぐな視線でそう告げてきて八尋は固まった。 「は?」 「まま、お二人ともどうぞお座りください」  担当職員の佐藤と共に男性幹部職員が手を揉みながらニコニコとしている。八尋はここの職員にそんな顔を向けられたことなどない。 「白駒様は大賀峰様とお知り合いだったのですねぇ」 「あ、はい。同じ職場で……」 「通常、退所される際はその後の生活が安全かどうか調査させていただきますが、白駒様を保護されるのが大賀峰様でしたらまったく問題はごさいません」 「白駒さん、セキュリティ万全の部屋があります。外出の際はボディガードをつけます。だから安心して来てください」 「いや、ちょっ……そんないきなり言われても」  八尋は動揺した。  大賀峰と職員は当然のように話すが、八尋には話が急すぎて飲み込めない。 「すみません、彼と二人で話したいのですが」 「あ、左様でございますね。では一旦失礼いたします」  大賀峰に促され職員の二人はそそくさと応接室を出ていった。大賀峰と二人きりになると同時に八尋は口を開いた。 「大賀峰、ありがたい申し出だが、お前にそこまでしてもらう理由がない」 「り、理由はっ、その……」 「そもそも、セキュリティ万全の部屋って家賃いくらすんだよ」 「そこは僕が既に住んでるマンションなので気にしなくていいです。祖父から譲られた購入物件なので家賃も無いんです」  さすが大賀峰一族。入社三年目の若造でも既に家持ちなのだ。驚きつつもここでじゃあと甘えるわけにはいかない。 「ボディガード代だってバカにならないだろう」 「大賀峰グループの護衛チームからこさせますので外出時だけなら問題ありません。本当は自宅にも常時付けたいくらいですが……」 「いや、だが……」  八尋は困った。とても嬉しい申し出で飛びつきたくなる。しかし他人の大賀峰にそこまで甘えていい理由が無いのだ。 「白駒さんは、僕と暮らすの嫌ですか?」 「嫌とか良いとか、そういう問題じゃないだろ」 「どういう問題ですか? ここの方が良いんですか?」 「そりゃこんな所よりお前の家の方が百倍良いだろうけど!」 「だったら!」  大賀峰の顔に期待があふれる。 (なんでそんなに嬉しそうな顔するんだよ……)  八尋は照れそうになりながらも必死に冷静さを保とうと静かに話した。 「大賀峰、お前と俺は単に同じ会社で、喫煙所でちょっと会話するだけの関係だった。部署も違うし同期でもない。そんな後輩にそんな大金を払ってもらうわけにはいかないだろう」  八尋がきっぱりそう告げると、大賀峰は捨てられた仔犬のようにもの凄く寂しそうな顔をした。 「白駒さんにとって僕はそんな存在なのでしょうが、僕にとって白駒さんはとても大きい存在なんです。僕があの会社で弱音を吐けるのは、あの喫煙所だけでした……。いえ、僕の生きてる世界の中で本当の僕を見せられるのは白駒さんだけなんです!」 「大賀峰……」 「そんな白駒さんが、こんな、み、身売りみたいなことになってるって知ったら、どうにかしたいって当然思うじゃないですか! お願いです、白駒さん。僕の精神安定の為にも僕の元に来てください!」  大賀峰に一気にまくし立てられ八尋は言葉を詰まらせた。  正直、嬉しい。  こんなにも必死に大賀峰が自分のことを心配してくれているなんて、そう思うと八尋の胸にじんわりと暖かいものが広がった  『喫煙所でちょっと会話するだけの関係』と言ったが八尋だって大賀峰が入社してからはあの喫煙所に行くことが楽しみになっていたのだ。 「……ちょっと、考えさせてくれ」  なんとか絞り出した八尋の現状での答え。しかし大賀峰は被せてきた。 「資金面が気になるならば、働いてもらいます。元の部署にリモートワークで復帰しましょう。それと、その……ミルクを医療用に売却しましょう。あとは日々僕の話し相手になって貰えれば十分です。四月から部長になって正直参ってます。助けて欲しいんです」  リモートでも元の仕事に関われるのはかなりの魅力だった。将来的にミルクが出なくなって社会復帰するにも『十年無職でした』よりかなり有利だ。  八尋の気持ちはかなり傾きつつあった。でも自分の将来、そして大賀峰の将来にも関わる。安易には決められない。 「わかった。それも含めて検討するから……」 「白駒さんっ! タバコも吸えますよ!」  大賀峰は応接テーブルに手をつき、前のめりで八尋を見つめる。 「もうミルクは医療用でしか売らないから、味とか気にしなくていいです! タバコもコーヒーもお酒もドーナツも、好きにできます!」 「大賀峰……お前……」 (俺を何だと思ってるんだ……?)  大賀峰はどうやら八尋がタバコや食い物で釣れると思っているらしい。確かにそれら嗜好品は魅力的だ。たが八尋の中では人生を賭ける選択に重要な要素でも無い。  しかし、そんなことを言ってまで一緒に来て欲しいと思っているらしい大賀峰が可愛く思え、何よりその気持ちが嬉しいと感じてしまう。  八尋はフハッと吹き出した。 「白駒さん……?」 「ん、わかった。わかったよ。大賀峰の世話になるよ」 「ほ、本当ですか!」  大賀峰の黒い瞳が光り輝く。  八尋は立ち上がると腰を折り深く頭を下げた。 「大賀峰望さん、不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」  そう挨拶をしながら八尋は(なんか嫁入りの挨拶みたいだな)と思った。 「はいっ! よろしくお願いします!」  大賀峰は部屋中に響き渡る声でそう返し、飼い主の帰宅を喜ぶ大型犬のように目を輝かせた。

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