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スモーキーミルク【12】

 それから八尋は部屋に戻りリモート出社用にワイシャツとスラックスを着た。  リモートワークをする上でオン・オフが曖昧になるのを防ぐため、出来るだけ出社していた時と同じスタイルでいくことにした。  しかし鏡を見て確認した時、以前とは違う大きな変化に気付いた。ネックガードだ。  試しにワイシャツのボタンを上まで閉めてみる。しかし隠し切れず、白い襟から黒いネックガードが覗いてしまう。  ふと、今は一人なのだからネックガードを外していても問題無いのではないかと考えがよぎった。しかし望の世話になっていると社内でも知っている者もいる。『番にしてもらったのか』などと思われたら望にも迷惑がかかりそうだ。  八尋は諦め、ワイシャツのボタンを二つ外した。隠しても仕方ないのだ。もう皆、八尋がΩだと知っている。  そうこうしているうちに時刻は十時になった。八尋はデスクに座り、社内チャットにログインすると挨拶文を打ち込んだ。 Shira:おはようございます。白駒です。 本日からまたお世話になります。  すると間髪入れず動画通話の表示が出た。通話をクリックすると画面に先輩の女性社員、高橋が映った。 『白駒くん! 久しぶり〜!!』 「高橋さん、ご無沙汰してます。色々とご迷惑をお掛けいたしました。またよろしくお願いします」 『うんうん、帰って来てくれて嬉しよぉ〜!』  高橋は涙ぐみながら喜んでくれた。さらにカメラの向こうで他の社員も集まり、『白駒さん、おかえりー』『待ってたよ!』などと声を掛けてくれた。 「皆さん、ありがとうございます。以前とは違う形にはなりますが、頑張りますので宜しくお願いします!」  八尋は画面に向って頭を下げた。 『よーし、白駒くん。君が抜けて一カ月。我がチームは今絶賛パンク状態ですっ! ガツガツ案件回してくので宜しくね!』 「あは……ですよねぇ……」  明るく怖いことを言って動画通話を切った高橋。案の定、八尋のブランクなど気遣うこともなく、怒涛のように仕事を振ってきたが、久しぶりの忙しさには心地よい充実感があった。  時刻はあっという間に十二時となり、昼休憩に入った高橋がプライベートチャットで話しかけてきた。 Takaha4:大賀峰くんと付き合ってるなんて知らなかったよ!もう、教えてよ〜!(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)キャー♪ Shira:違います。お世話になっているのは事実ですが、そういう関係じゃないです。 Takaha4:えーー??? Shira:本当ですよ。大賀峰くんの善意で助けて貰ってるだけです。 Takaha4:だって一緒に住んでるんでしょ?お金もかかるでしょうし。恋人でもないのにフツーそこまでするー?(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠) Shira:それは私も思う所ではありますが……。金銭感覚が我々庶民とはかけ離れているのは事実です。 Takaha4:そなんだ〜(⁠;⁠^⁠ω⁠^⁠) じゃあ大賀峰くんに恋人に出来たらどーすんの??? 彼、絶対モテるでしょ? Shira:そしたら、私は施設に戻りますよ。 Takaha4:えー!!(⁠(⁠(⁠;⁠ꏿ⁠_⁠ꏿ⁠;⁠)⁠)⁠) Shira:でもリモートワークが出来るって分かったので施設でも仕事出来るはずです。ご安心を! Takaha4:うーん、そっかぁ。なんかごめんね。突っ込んだこと聞いて(´・ω・`) Shira:全然、大丈夫ですよ。  チャット画面から目を離し、八尋は自室から出た。既に来ていた多歌子がキッチンにいた。 「多歌子さん、おはようございます」 「八尋さん、お仕事お疲れ様。お昼出来てますよ」 「わぁ、美味しそう」  おにぎりと卵焼き、タコさんウインナー、ほうれん草の胡麻和えなどがワンプレートで盛られている。せっかくなので多歌子も誘い二人で昼食をとった。 「望さんて、ウインナーをタコにすると喜ぶのよ。口には出さないけど表情に出てるの。分かりやすいのよね」  ダイニングテーブルの向かいに座った多歌子が箸でタコウインナーを摘みながら教えてくれた。 「あー、なんとなくわかります」 「ふふ、望さん、外では気を張って大人ぶってるでしょう? 八尋さんみたいに甘えられる人が出来て良かったわ」  多歌子はやはり八尋が望の恋人に近い存在だと思っているようだ。八尋はただの愚痴の聞き役なのだが。  昼食後はタバコを吸いにバルコニーに出た。  デッキチェアに座りスマホでニュースを確認しながら一服する。心地よい春空に紫煙が溶けていく。  ニュースを見ながらも先ほどの高橋とのチャットや、多歌子との会話を思い出した。  望は大賀峰一族の人間で、現在二十四歳。恋人など引く手あまただろう。  この先、望に真に甘えられる恋人が出来たら、Ωの八尋はいくら友人だと言ってもこの部屋にいる訳にはいかない。そうなった時は、施設でリモートワークを続け、オメガミルクを売れば、ダイレクト無しでも暮らしていけるはずだ。  現に施設にいた一カ月弱の期間、八尋のミルクは個別販売で完売していたのだ。自分の出したミルクを八尋だと認識して買った客がいて、それを飲んでいるのだと思うと気持ち悪さが這い上がってくるが、一般医療用よりも格段に良い金額が入った。 (大丈夫。ここを出ることになっても何とかなるだろう)  八尋はそう自分に言い聞かせるが、胸の奥に燻ぶる不安な黒い気持ちは消せそうになかった。

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