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スモーキーミルク【14】
五月に入った。
世間はゴールデンウィーク真っ盛り。しかし八尋は混雑した場所に出かけるわけにもいかず、変わらず引きこもり状態だった。
望には「俺に遠慮せず出かけてくれ」と言ったが、望は「行きたい所も無いので」と言い、リビングで互いのお勧め映画を見たり、バルコニーでタバコをふかしながら簡易ピクニックを楽しんだりと、望は八尋と共に過ごしてくれた。
八尋の性格上、他人と長時間つるむと嫌になってしまいそうだったが、望とは全く苦にならなかった。むしろミルキーオメガになってから毎日ほぼ一人で過ごしてきたので、望が一緒に居てくれることに安らぎと喜びを感じていた。
連休も終わり、浮かれた世間が落ち着きを取り戻した頃。八尋はネックガードを見に行きたいと、初めて望に外出のお願いをした。
「通販で良いかと思ってたんだが、やっぱりつけた感触とかみたくて」
「ええ、もちろんいいですよ! 僕も一緒に行っていいですか」
「ああ、もちろん」
ということで、土曜日にボディガードの相田と岩村を呼び、百貨店へ行くことになった。
「おはようございます。白駒様」
土曜の午前に現れた相田は白のパンツに黄色のカーディガンと春らしい装いで、岩村もチノパンに紺のジャケットとカジュアルだった。
「おはようございます。私服ですか? 良いですね」
「ええ、いかにも護衛という感じですとかえって目立ちますので」
相田が親しみやすい笑顔で応えてくれる。
たしかにΩ一人に黒服が二人も付いていたら『自分、オメガミルク出せます!』と公表して歩いているようなものだ。
「お気遣いありがとうございます」
礼を言いつつ、四人でメルセデスに乗り込み、マンションを出た。
私服姿の護衛二人に望と八尋。友人グループで出かけるような雰囲気と、久しぶりの外出で八尋は気分が良かった。
「どこかでランチもしましょう。八尋さんは何が食べたいですか」
「んー、何でも食べられるぞ」
「お寿司か、イタリアンか……まあ、その時のお腹と相談ですね」
なんだか望も嬉しそうだと感じた。
その時、望のスマホが鳴った。望はスマホの画面を見て眉を寄せる。
「失礼。……はい、大賀峰です」
望は電話に出ると「はい、ええ……」などと控えめに相槌を打ち、最後に「わかりました。これから向かいます」と言って通話を切った。それと同時に盛大な溜息をつき天を仰ぐ。
「あぁ、最悪……」
「何かあったのか?」
八尋が確認すると望は思いっきり不貞腐れた顔をむけた。
「会社に行かなくちゃいけなくなりました」
「そう、か……」
「八尋さんは百貨店、行ってきてください。せっかくなので三人でランチも」
八尋は風船が萎むように気分が下がるのを感じた。後日に改めるべきかとよぎる。しかしボディガードを付けてもらうのも金が掛かっているのだ。今日済ませてしまったほうが良いだろう。
「ん。残念だけど行ってくるよ」
顔には出さまいとしたが、レジャーからただの所用に成り下がった気分だった。
それから望を会社まで送り、三人で百貨店に向かった。
相田の案内でネックガード売り場へ行くとすぐに店員が静かに声を掛けてきた。
「白駒様、いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」
「え……」
「ささ、参りましょう」
戸惑う八尋を相田が店員と一緒になって店の奥へと誘導してきて、商談室らしきスペースに通された。テーブルには様々な形や色のネックガードが並べられている。
「……普通に展示してあるヤツで良いんですけど」
八尋は店員の隙を見て相田に耳打ちした。
「試着はうなじを晒すことになりますので、他の方がいる場所では危険だと判断いたしました」
相田はにっこりと微笑みながら八尋を優しく諭してくる。しぶしぶ八尋は目の前にあるネックガードを手に取り値札を確認した。
(二万七千円……いや、二十七万?!)
八尋は飛び出しそうになった叫びを飲み込み、平静を装い店員に尋ねた。
「あの、もっとリーズナブルなのがいいんですが……」
すると店員はほほ笑みながら「かしこまりました」と言いその場を離れた。少し恥ずかしい。
「白駒様、望様から支払いの方は仰せつかっておりますので、どうぞお好きなものをお選びください」
相田にそう耳打ちされて八尋はさらに驚いた。
「こ、こんな高いもの望に買ってもらう理由が無いです!」
静かながら強い八尋の言葉に相田は一瞬驚き、だが優しく頷いた。
「白駒様は謙虚でいらっしゃいますね」
現状でも望にかなりの経済的負担をかけている。望は恋人でもないただの職場の後輩で、八尋は居候に過ぎない。さらに何か買ってもらうなんて八尋としては有り得なかった。
相田とヒソヒソ話していると店員が何点か別のネックガードを持ってきた。価格帯は十万以下。正直八尋の予算は一、二万。あわよくば一万以下。しかしそこまで安いのは恥ずかしくなってきて、この中から選ぼうと覚悟を決めた。
試しに一つ試着させてもらう。今のものより格段に軽く肌なじみも良い。
「おぉ、軽い。着けてることを忘れそうです」
「こちらは牛革製で、お色も七色ございますよ」
「へぇ、何色がいいかなぁ」
八尋は試着しながら相田と岩村にも意見を求めた。
「紺色、良くお似合いですよ。このワインレッドも素敵だと思いますが」
相田が買い物を楽しむ女性らしく楽しそうに助言してくる。
八尋は鏡で自分の姿を見つめながら考え込んだ。
紺色は今つけている黒のネックガードとあまり変わらない気がする。ワインレッドも紺とは色の系統は異なるが、肌の色からはかけ離れていて目立つことは変わらない。
「あまり目立たないのが良いんですよね……リモート会議でカメラに映る時、前と違ってネックガードが目立って見えるのが……なんか嫌で……」
Ωの中には派手で目立つネックガードを着ける者もいる。
ネックガードはΩの象徴だ。宝石やスタッズ、レースが付いた派手なネックガードで、自分自身をセクシーに飾りαを煽る。つまりは勝負下着ならぬ勝負ネックガードなるものがこの世には存在する。
しかしながら八尋の場合は必要に迫られ、仕方なく着けているに過ぎない。できるだけ目立ちたくないのだ。
「なるほど。確かにご覧になるのは望様だけではございませんものね……」
どうやら相田もまた多歌子同様に、八尋と望が恋人関係であると思っている様子だ。だから八尋のネックガードを望が買うことに違和感を感じなかったのだろう。
αの望が惹かれるようなネックガードを選び、身に着ける。そうイメージした途端、八尋はものすごく恥ずかしくなってきた。
「め、目立たなくていいんですっ! あ、コレいいかも」
そう言いながら手に取ったのは明るい茶色。試着してみると黒や紺よりも格段に目立たない。
「どうです?」
相田と岩村に再び助言を求めた。
「自分は、それくらいの方がいいと思います」
岩村が低い声で賛同してきた。
「そちらもお似合いですが……あぁ、紺色も捨てがたいです!」
相田が必死に紺色を勧めてくるが、やっぱり紺色はなんだかちょっとセクシーな感じがするので着けるのは恥ずかしい。
ここで意見が割れたのは、男女の差なのだろう。八尋は自分自身がΩであるより男であると感じた。
八尋は結局、相田の意見を押しのけ、茶色を選んだ。そのお値段、七万三千円也。
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