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スモーキーミルク【15】

 昼は望が予約してくれたという寿司屋に入った。  カウンターでの寿司かとやや緊張した八尋だったが、通されたのは美しい日本庭園が臨める個室で、それはそれで緊張する。八尋の貧相なイメージでは、お見合いなどで使う場所と言う印象だ。  ほとんど懐石のフルコースのような寿司ランチを相田と岩村と一緒に食べた。  八尋の緊張を察したらしい相田がフレンドリーに話しかけてくれ、八尋は望がいないながらも充実した休日を過ごせていると感じていた。  食事を終え店を出る前に八尋がお手洗いに行きたいと言うと、当然のように岩村が付いてきた。相田まで男子トイレの前で待機すると言う。 「白駒様、個室をお使いください」  小便器に向かった八尋を岩村が止め、個室の中をチェックしてから「どうぞ」と促された。お手洗い一つ気軽には行けず、他人の手を煩わせている。申し訳ない気分になるし、実に面倒。自分の置かれた立場が以前と変わっていることを実感させられた。  それが起こったのは八尋が個室を出て手を洗っている時だった。  男子トイレに入ってきた男が「あれぇ?」と声を上げた。反射的に声の方を見ると見覚えがある男がこちらを見ていた。 「久しぶりだねぇ」 「……どうも」  名前は知らないが顔は知っているその男。施設で八尋にダイレクトはやらないのかと声をかけてきた五十代半ばの客だった。  喧嘩腰に無視するのも大人げないと感じ一応返事はした八尋に倣い、岩村も警戒しつつ見守る。 「身請けされちゃったんだって? 残念だなぁ」 「身請けって……」  不躾で失礼な言い方に八尋は鼻で嗤った。もっともこの男にとってはあの施設にいるΩ達はまさに娼婦なのだろうが。  男は八尋に近づくと八尋を頭の先から脚の先まで舐めるようにジロジロと眺めながらニヤリと笑う。そして、 「君のこのちっちゃい乳首、僕が初めて吸いたかったのになぁ」  男はそういうと突然八尋の胸を鷲掴みにし、人差し指で乳首を探り当てグリッと引っ掻いた。 「なっ!」  驚き一歩後ずさる。ザワワワッと全身を走る悪寒。それと同時に岩村が八尋の前に出て男の腕を掴んだ。 「痛ててててっ!」  岩村が無言で男の腕を捻りあげ、男は呻き藻掻くが圧倒的な筋肉の差で岩村はびくともしない。 (なんなんだっ!?)  八尋は後退り掴まれた胸を押さえ、硬直したまま二人を見た。 「如何されましたか?!」  騒動を察して相田が男子トイレであるにもかかわらず飛び込んできた。 「岩村さん、いいよ。行こう」  八尋はそう言って男子トイレを出た。相田が慌てて付いてくる。 「どこかお怪我は?」 「大丈夫です。ちょっと絡まれただけです。すみません」  八尋は苦笑いで答えた。しかし全身を染み込んでくるような不快感は消えなかった。  帰りの車中でも、八尋の胸にはあの男の指の感触が残っていた。肌の奥に鋭い爪を残されたような、嫌悪と羞恥がじわじわとせり上がってくる。怒りや悔しさより先に、まず自分の身体が反射的に強張ったことに腹が立った。 「白駒様、どこか痛みを感じる場所はございますか?」  運転していた相田が心配しルームミラー越しに確認してきた。 「いえ、全然。本当に大丈夫ですよ」  八尋は明るく手を振り笑顔を作り応えた。 「自分がついていながら本当にすみません……」 「い、いえ! 本当に大丈夫なんで!」  岩村にも神妙に謝られ、八尋はむしろ申し訳ないと思った。

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