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スモーキーミルク【16】

 三人でマンションに戻り、八尋が玄関で靴を脱いでいるちょうどその時だった。 「八尋さんっ!」 「おー、望、おかえり。ちょうど俺達も今帰った所で……」  八尋が明るくそう言うが望は尋常でない様子だった。 「どうした? 何かあったのか?」 「それはこっちのセリフですっ! 襲われたって!」 「そんな大層なことじゃないよ。……ちょっと、変なヤツに絡まれただけだ」  どうやら先ほどのトイレでの件がもう望に報告されていたようだ。珍しく帰りは相田が運転しているなとは思っていたが、どうやらその間に岩村がスマホで報告していたらしい。 「だって、む……胸触られたって!」 「そんだけだ。大したことじゃねぇよ」 「大したことですっ!」  八尋のビクリと震えるくらいの大声で望が怒鳴った。 「白駒様、望様、我々の警護不備でした。大変申し訳ございません」  二人に割って入るように相田が頭を下げた。岩村も一歩後で同じように頭を下げる。 「警護対象者を不審者に触らせるなんて……何のためにお前たちがいると思ってるんだっ!」  望の怒りは収まらず、謝罪している相田をさらに詰める。普段と違いすぎる望に八尋は怯んでいたがさすがに口を挟んだ。 「の、望っ、本当に大丈夫だって! 岩村さんが止めてくれたんだ。一瞬であいつの腕捻り上げてさ、凄かったんだから!」  八尋は笑顔で岩村の武勇伝を語り、何とか望をなだめようとしたが、望はきつく眉間に皺を寄せる。八尋がもう一度、苦笑いで取り繕うように言葉を探すが、望の怒りは収まりそうにない。 「望様。今回のことを踏まえ今後の警護方針を今一度見直し、またご報告いたします」 「ああ、そうしてくれ」 「白駒様、本当に申し訳ございませんでした」  望の返事を受け、相田と岩村は八尋にさらに頭を下げ退出して行った。  ガチャンと重い音を立てて扉が閉まり、二人きりになると玄関ホールは静寂に包まれた。その静寂を破るように、八尋は望に近づくとむくれている望の頬を摘み唸り声をあげた。 「望ぅぅ〜っ!」 「な、なんれふゅか……痛いれふよっ……」 「二人はちゃんと仕事してくれてたんだ。なのにあんなに叱るなんて〜〜〜!」  すると望は頬を(つね)る八尋の手を取ると、強く握り返してきた。 「だって、胸を揉まれたのでしょう? 許せるわけがない……!」 「揉まれるほど出てねぇよ。俺、男だぞ。ったく、どんな報告されたんだよ……」 「八尋さんっ……」  望は手を握ったまま苦しそうな顔をしてくる。これではどっちが痴漢に遭ったかわからない。 「望……心配してくれてるのはありがたいよ。俺も自覚が足りなかったし、これからはもっと注意する」  八尋はさらに言おうか言うまいか迷った。迷いながらも望になら少しの弱音を吐いてもいいように思い、視線を床に落としながら気持ちを吐き出した。 「……正直、すげぇ気持ち悪かったし、すげぇ腹立ってる。だから……もう忘れたい」  早くこのモヤついた不快感から脱出したい。そんな八尋の心情を察した望は静かに「……わかりました」と呟いた。 (よし、切り替えていこう!)  心の中で決意を固め、八尋は顔を上げた。 「そうだ望、あんな高いネックガード、俺に買ってやろうとすんなよ」 「えっ! 気に入るのありませんでしたか?」  突然の話題の方向転換に望が驚きつつ答える。  八尋は百貨店の紙袋を持ってリビングへと歩いていった。望も当然ついてきた。  リビングのテーブルで紙袋から化粧箱を出しつつ八尋は言葉を返した。 「高すぎて気に入らん。七万のヤツを自分で買った。俺だって九年会社員してんだぞ。一応貯金もあるし……プライドもある」 「……す、すみません」  しょんぼりと謝る望。なんだかさっきから叱ってばっかりだ。 「でも寿司は望くんのお金で食べちゃいました。美味しかったです。ご馳走様でした」  ちょっと冗談ぽく言うと望は表情を少し明るくし「どういたしまして」とほほ笑んだ。 「今のネックガード、病院で貰ったヤツそのまま使ってたけど黒だろ? 変に悪目立ちしてる感じがなんか嫌でさぁ。相田さんは紺も良いって言ってたんだけど、岩村さんは茶色が良いって言って。俺も茶色が良いって思って。ああいう感性ってやっぱ男女で違うよなー」  八尋はペラペラと喋りながら今つけている黒のネックガードを外し、化粧箱を開けた。そして中から取り出した茶色のネックガードを首につけ、望にむけて「どうだ! 似合うか?」と明るく尋ねた。すると望は真っ直ぐに八尋を見つめ、目を輝かせた。 「かわいいっ!!」 「そこはカッコいいだろ!」  間髪入れず、八尋はツッコミを入れると望の頭を拳でグリグリ締め上げた。  望は「イテテテッ」と言いつつ「すみません、カッコいいですっ!」と笑っていた。

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