35 / 45

マイハニーミルク【1】

「八尋さんっ! 今晩ダイレクトさせてください!!」  勇気を振り絞り発したその声は思いのほか大きくなってしまい、玄関ホールに響き渡った。  いくらなんでもガッツき過ぎだと自分でも感じたが、きっと八尋なら『声でけーよっ!』とツッコみ、笑ってくれると望は予想した。しかし、恐る恐る顔を上げて見た愛しい人は白い肌を首まで真っ赤に染め、長いまつ毛で縁取られた切れ長の目を反らしながら蚊の鳴くような小さな声で「お、おう……」と答えた。 (ヤバい……引かれたか……)  朝から大失敗だったと猛烈に後悔しつつ、望は玄関扉に手をかけた。 「じゃ、じゃあ、行ってきます……」  しょんぼりとしながら、出ていこうとした時、 八尋が反らしていた目をちらりを向けて呟いた。 「し、搾らないでおくから……早く帰って来いよ……」  柔らかな薄茶の前髪越しに上目遣いでこちらを見つめてくる赤く染まった目元。  望はこの可愛い人を今すぐに寝室に連れ込みたい衝動をグッと堪えたが、その堪えた力は声へと反映された。 「はいっ!!!」  再び玄関ホールに響く声。 「声でけーよっ! さっさと行けっ!」  今度は予想通りに八尋のツッコミが飛び、望はマンションの部屋から追い出された。  望と八尋が両想いになったのはつい十日ほど前だ。しかしこの一週間、望は八尋に触れていなかった。理由は八尋がヒートでだいぶ消耗してしまったと望が感じていたからだ。  二週間前にも言った『ダイレクトさせてください』という同じセリフ。しかしあの時は完全に望から喧嘩を吹っ掛けた状態だった。  今思えば八尋は本当に望を思って『いいよ』と言ってくれたのに、望は『誰にでもそうするんだ』と思い込み、酷い態度をとった。その時の自分の行動を思い出すと自身を殴りたくなる。  あの時、あのままそこにいたら八尋を強姦してしまいそうで、望は逃げるようにマンションを出た。  タクシーを拾い最寄りのホテルで一晩過ごしたが、当然一睡も出来ず迎えた朝、多歌子から電話で八尋のヒートを知った。  自分が帰っても何もできないので、救急車を呼ぶように指示すると多歌子に怒鳴られた。 「八尋さんっ、望さんの部屋で、望さんの枕抱いて、望さんの名前呼んで泣いてるんですよっ!!」  それを聞いて、慌てて帰った。  八尋はどうやら夜にヒートを起こしてしまったようで、八尋自身の部屋や玄関、そして望の部屋と、マンションの中を動き回った形跡があった。ヒートの苦しさに耐えかね一人彷徨っていたのかと思うと、望は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。  申し訳ないとは思う気持ちも当然大きいのだが、望にとってヒート中の八尋はとにかく可愛かったのも事実だ。  年上でいつもは望が甘えている方だと感じていたが、朦朧とした八尋はとにかく「のぞむ、のぞむ」と縋りついてきた。  八尋は三十一歳で初めてヒートが来たかなり珍しいケースだ。医師からもホルモンバランスが安定していないので抑制剤は控えるように言われている。  事前にそれを聞いていた望はより強い抑制剤を飲んでいたので、いずれ八尋にヒートが来ても自分は冷静に対応できるだろうと踏んでいた。だが、好きな人がヒートを起こしているのはそれだけで破壊力があり、さらに八尋のミルクを口にしたらもう理性など吹き飛んだ。  本能の赴くままに八尋を抱いてしまい、いたるところにキスマークや歯型を付けてしまった。八尋が自費で購入したネックガードにも。ヒート終了後に八尋へ謝罪したら「ネックガードってその為のものだろう?」と笑って許してくれたが。  ヒート期間中、望がたまに部屋から出ると多歌子に「しっかり自我を保ってください!」「避妊は確実に!」「八尋さんにもちゃんと食事をとらせて!」と諭された。母親のような存在の女性から指摘されるのは恥ずかしいとも思ったが、八尋のフェロモンに当てられていた望には実にありがたい助言だったと今は思う。  しかし八尋は食事よりも性交を欲しがり、それでもなんとかなだめ、あやし、ゼリー飲料などを飲ませていたが、一週間でかなり痩せてしまった。  だからヒート後のこの一週間は八尋に触れていない。自制の為に一緒にも寝ていない。しかし、さすがにそろそろ望の方が限界だった。  二人は想いを通わせたばかりなのだ。  あの地獄のようなわだかまりから解放され、一緒に食事を取り、ソファに並んで座り他愛もない雑談をするだけでも幸せだと感じている。  しかし時折照れたように目元を赤く染め、こちらを意識している八尋を目の当たりにするともうたまらない。 (もう今夜は八尋さんと一緒のベッドで過ごしたいんだっ!)  望は固く決意していた。

ともだちにシェアしよう!