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マイハニーミルク【3】
望が八尋を好きになったのはほとんど一目惚れに近かったが、その後二年間、望はろくなアプローチをかけることも出来ず過ごしてきた。下手に告白して八尋が喫煙所に来てくれなくなることが怖かったのだ。
そんな平坦な二年がこの三ヶ月でびっくりするほど変わった。
あの白駒八尋は望の恋人になり、望の家に住んでいるのだ。なんという奇跡だろうか。
「大賀峰部長、おはようございます」
会社に到着してエントランスを歩いていた望に一人の女性社員が挨拶してきた。
「あ、高橋さん、おはようございます」
声のした方を見ると八尋の同僚の高橋がいた。高橋はそのまま望と並んで歩きつつ声を少し落として話してきた。
「白駒くん、体調大丈夫そうですか?」
望は八尋の許可を得て会社に二人がパートナーであることを報告した。今後八尋にヒートが来た時は必然的に望も休暇を取る必要がある為だ。高橋は八尋と同じチームで働いているため、当然そのことを既に知っている。
「だいぶ回復していると思いますが……仕事中、つらそうでしたか?」
「仕事はいつも通りこなしてくれてて。でも昨日のウェブミーティング、音声のみの参加だったから、なんとなく……」
「ああ……」
望はどう答えるべきか悩んだ。たぶん望が我慢できず八尋の首筋などの見える部分にキスマークを付けてしまったせいだろう。
「えっと……たぶんちょっと痩せちゃったから気にしてるのかもしれません」
「そっかぁ」
完全に嘘ではない答えを見つけつつ、望はふと思い出し高橋に向き合った。
「あの、高橋さん。やひ……白駒さんが会社でヒートを起こした時、高橋さんが助けてくれたと聞きました。その節はありがとうございました」
改まって頭を下げる望に高橋は慌てた様子で手を振った。
「いえいえ! 私は救急車呼んでーって叫んでただけだから!」
「いえ、指示が的確だったと聞きました。本当に感謝してるんです」
あの時は会社に救急車が来るほどの騒ぎだった。望も何ごとかと八尋の所属部署まで見に行った。八尋は既に運ばれた後だったが、望には匂いでヒートを起こしたのが八尋だとすぐに分かった。八尋の微量な体臭を十倍にしたような強い香りとΩのフェロモンが騒動後のフロアには立ち込めていたからだ。
開けられる窓はすべて開けて換気されていたが、匂いが濃い段階で嗅いでしまったらしいαの社員が三、四人、トイレに駆け込んでいた。皆、八尋のフェロモンに当てられて性的に興奮していたのだ。
『いや〜、白駒で抜くことになるとはなぁ』
『でも白駒ってなんか色気あるなって思ってたんだよね。Ωだったってなんか納得だわ』
『まあ、確かに顔整ってるし、イケるっちゃイケるよな』
αの男たちがスッキリした顔で手を洗いながら、下卑た会話をしているのを聞いてしまった望は、その場で全員を絞め殺したくなった。
だからこそ初期段階で迅速にα達を部屋から追い出してくれた高橋には感謝してもしきれない。
「ふふ、すっかり旦那様ですね」
そんな望に高橋がニヤリと笑顔を向ける。
「えっ、いやぁ……」
望が照れつつもどう言ったら良いものか悩んでいると高橋が続けた。
「白駒くん、ずっと『彼氏じゃないです』なんて言ってたのに、『大賀峰、部長職どうですか? 何か知ってますか?』って凄い心配して聞いてきたんですよー」
「え、そうなんですか?」
「でも『最近愚痴ってくれない』って淋しそうでしたよ。もう好き好きオーラがウェブカメラ越しでも分かるくらいでしたもん」
フフフと笑う高橋。望は耳が熱くなるのを感じた。
(ヤバい。嬉しすぎる……)
「やっと金曜日ですね。明日は二人でゆっくりしてください」
「ええ。『早く帰ってこい』って言われたので定時であがります」
「あらあら、白駒くんでもそんなこと言うの? ふふ、ご馳走様です」
そんな話をしつつ高橋と別れ望は自分の部署へと向かった。
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