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マイハニーミルク【5】

「お祖父様、ありがとうございました」  帰りの車に一緒に乗るよう指示され、望はその車中で肇に頭を下げた。 「望」  名を呼ばれ顔を上げる。 「強くなれ。精神的にも社会的にもだ」  衰えを感じさせない強い眼光で射抜かれるような視線を向けられる。 「お前が大事にしているものを守り抜くには力も金も必要だ。油断すれば簡単に掻っ攫われるぞ」  つい数ヶ月前まで劣等感を感じるからと避けていた祖父。しかしそうやって逃げていては駄目なのだ。八尋だけは何に変えても守らなくてはならない。 「はい」  望は肇の鋭い視線から逃げずに真っすぐ見返して返事をした。それを見て肇が満足そうに頷く。 「それにしても、望からの初めてのおねだりが『ミルキーオメガと暮らしたいからマンション買ってくれ』だなんてなぁ」  肇はからかうように、しかし嬉しそうに目尻を下げて笑う。 「本当に感謝しています。セキュリティも万全で安心して過ごせてます」 「これまで安易にねだらず我慢してきた甲斐があったな。これが(みつる)だったら了承しなかったよ」  充は望の兄だ。  中学生の頃から何かと肇にお願いごとをしていた。水泳専任のコーチをつけてもらったり、語学留学したり、アフリカへ医療チームと共にボランティアに行ったり……。  充だけではない。大金持ちの祖父を持つ従兄弟達は皆同様だ。そして肇はそんな孫たちにタダで金を渡す訳では無くそれなりの成果も求めた。兄や従兄弟達はαの才能を存分に生かしその要求にも応えてみせた。  望はそれが怖かった。やりたいことも無い。何か望んでも肇の求める成果を出せる自信も無い。だから願わなかった。しかし八尋が窮地に追い込まれた時、そんなことで迷っている場合ではなかった。  あの『ホワイトフリージア園』で八尋を見つけてすぐに肇に電話をし、援助してくれと頼んだ。二年間の会社勤めではそれほど金は貯まっていなかったし、学生時代から転がしている株などを足しても、セキュリティ万全のマンションを購入するのは無理だった。  肇からはどんな『成果』を求められるか分からなかったが、どんなことでも全力で応えるつもりだった。八尋を他のαに渡さない為ならなんだってやる覚悟でのお願いだった。  そんな切羽詰まった望に、肇は二つ返事で支援を決めてくれた。そして現状、肇から明確な『成果』は要求されていない。たぶん先ほど言われた『強くなれ』が要求なのかもしれない。 「それで、いつ籍は入れるんだ?」 「えっ?!」  肇の突然の質問に望の声が裏返った。 「え、じゃないだろう。先週八尋くんにヒートが来たんだろう? 番にしたのなら男としてちゃんと責任を果たすべきだ」 「え……っと……その……」  八尋にヒートが来たことすら把握していた肇に驚く。まあ望が一週間も休暇を取れば肇の耳に入ることもあるだろうが。 「なんだ? まだプロポーズしてないのか? 全くお前は……」 「じゃ、じゃなくて……まだ、その……番にしてません……」 「はあ? なんだ、まだ信用されてないのか?!」  Ωは番になるとその番相手のαとしか性交できなくなる。対してαは複数のΩを番にすることも可能だ。その為安易に番にならないようにΩはネックガードを付けている訳で、合意のなく無理やり番にする行為は強姦以上の重罪だ。つまりネックガードを外してもらい、番になることを許可してもらう為にはΩの信頼を勝ち得なければならない訳で。  だが望と八尋はその段階に進んではいない。 「あ、えと……そのこの前のヒートで、お互いの想いを確かめ合ったばかりでして……」 「は?」 「つまり、ちゃんとお付き合いしてまだ一週間で……」 「はあ?!」  腹式呼吸から発せられる大音量のその声を狭い車内でもろにくらい望は顔を顰めた。 「じゃあお前はっ! 告白もせず引き取ると八尋くんに言ったのか!」 「そ、そうですがっ! 下心があると思われたら警戒されて来てくれないと思って……!」 「『下心があると思われたら』って、実際あったんじゃないかっ!」 「い、いや、ですがっ! 変なことするつもりは……っ」  そう言いつつも、ついこの前の自身の行動を考えると『変なこと』しまくりだったと思い望は言葉を詰まらせた。 「まったく、想いを隠して家に招き入れるなんて不誠実だろうが。……まあ、そもそもあの八尋くんが、好きでもない男の家に転がり込むとも思えんがなぁ」  溜息交じりに吐かれた肇のその言葉に引っ掛かりを感じ、望は質問した。 「お祖父様は八尋さんをご存じなのですか?」 「当たり前だ。白駒八尋はうちの社員だぞ」 「グループの社員、全員覚えているのですか?!」  大賀峰グループの全社員をこのαの祖父は覚えていると言うのか……。望が驚いていると肇は「いやいや」と笑った。 「八尋君は長く勤めてるから。もう十年近いよな。それに、美人だし」  祖父であっても聞き捨てならないその言葉。望は無意識に眉を寄せ、肇を睨んでいた。 「お、望もそんな顏するようになったか。αとして大事なΩを取られないように警戒を怠るなよ」  肇は望の怒りを成長と喜んでいる様子で、その二十四歳になる孫の頭をポンポンと撫でた。

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