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第3話
アケミは扉の方へ数歩歩き、こちらに振り返る。思わずその場で突っ立っていると、困ったように人差し指を宙に立てた。
「一緒に来てくれないか? ベッドのシーツ洗濯してくれただろ。天使ちゃんが替えをくれないと寒くて寝らんない」
「あ。あぁ、そうでした」
宴の準備に追われて、すっかり忘れていた。冥王のことは会場の者に任せ、小走りで彼の後を追った。
洗いたてのシーツを持ってきて、ベッドメイキングをする。一日で枯れてしまう儚い花を替え、アロマランプも用意した。その間五分。一番の主より甲斐甲斐しく世話をしてる気がする。
「いやー、早い早い。天使ちゃんは良いホテルで働けそう」
「ホテルって、泊まるところでしたっけ」
「そ。あ、でも、いっそお嫁さんになってもいいかもな。専業主夫とか」
アケミは真面目な顔でなにかブツブツ言ってたが、特に
触れずに窓を閉めた。
「もう寝ますよね? 明かり消しますね」
「あぁ。よく飲んだし……君は?」
「俺は……」
「また人間を攫いに行くの?」
照明のスイッチに伸ばした手が、止まった。
怖いほど冷めた思考のまま、彼の方を見る。
「それが仕事で、何とも思ってないなら構わない。でも君は夜になるといつも辛そうだから、ほんとは嫌なんじゃないかと思って」
アケミは徐に立ち上がり、半開きだった扉を閉める。
「───もしそうなら、今夜はここに閉じ込めちゃおうかな」
顔のすぐ横に手が伸ばされる。触られるかと思って反射的にビクッとしたが、壁につくだけだった。
そもそも人間相手に怖がるのもおかしい。……けど、相手が彼だと思うだけで体がすくみ、頭が真っ白になる。これは何故なのか。
「一晩ぐらいサボったって平気でしょ。俺から冥王様に頼んどくよ」
「そ、そんなことする必要はありません。仕方ないことですから」
拳を強く握り、あくまで突っぱねる。
「幸い傷つけたりすることはないし、ほとんどの人が下界に戻される。……こんな簡単な仕事を嫌がるわけないでしょう」
嘘だ。
ぺらぺら勝手に喋る口が憎い。
こんなこと、本当はしたくないのに。
「力のない者が、強者に好き勝手されるのは当たり前のことなんです」
はっきり言った。でもわずかに声が震えた。
音にした言葉がそのまま自分に跳ね返ってきたようで、苦しい。
アケミはそれを見逃さず、顎を掠め取る。
「そ。じゃあ君が俺に好き勝手されるのも当たり前。ってことで良いのかな」
「え?」
「いちお~俺は冥王様の一番の愛人だし? この城では従者は逆らえない、って他の執事が言ってたよ」
「……っ!」
どこの誰が教えたのか知らないが、最悪だ。よりによって、このお調子者にそんなことを言うとは。
それよりどうする。抵抗はできないし、下手に拒絶すれば冥王に告げ口されて灰にされるかもしれない。
でも……そうなったとしても仕方ないか。もう自分に帰る場所なんてないんだから。
力無く手を下ろす。瞼を強く閉じて待っていると、唇をそっと触られた。
「何されても仕方ないって感じか。本当にそれでいいの?」
震える手を隠しながら見上げると、アケミは今までにない険しい顔付きでこちらを見下ろしていた。影もかかって、何となく怖い。
「嫌ならそう言うべきだし、言えないなら逃げればいい。力なんて関係ない。俺のことが嫌いなら、今すぐ突き飛ばして逃げて良いんだよ」
「……」
何でそんなことを言うのか、純粋に疑問だった。
自分から追い詰めてきたくせに、今度は逃げ道を示してくる。
この人は何がしたいんだろう。いや、何を言わせたいんだろう。
息苦しさに耐え兼ねて顔を逸らすと、腰を強く引き寄せられた。
「や……っ」
「ちなみに俺の世界じゃこれは立派なセクハラで、手加減なくぶん殴るところ」
緊迫した状況とあまりに場違いな説明をされ、思わず彼を見返す。すると彼は吹き出し、手を離した。
「だからさ、何でも受け入れようとしないでよ。マジで襲いたくなる」
しないけど、と付け足して、彼はベッドに大の字で寝転がった。
急に解放されて呆然とする。頬はもちろん、彼に触れられた部分が酷く熱かった。乱れた襟を整え、ぬれた瞳で彼を捉える。
「受け入れようとするのは当然です。貴方は俺を好き勝手する権利がある。だって、無理やり元いた世界から拐かしたんだから!」
これは贖罪だ。そもそも拒否する資格なんてない。
彼を誘拐した自分は、彼の言うことを全て聴く義務があるんだ。彼を地上に帰す以外、この罪が消えることはない。
しかしほとんど逆ギレのような形で怒鳴ってしまった。
気まずさのあまり死にたくなってると、アケミは横になったまま、顔だけこちらを向けた。
「……分かった。じゃあ、一つだけ言うこと聞いてもらう」
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