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第8話 東京、追憶

 大型バイクが勢いよく角を曲がった。  宮人良二。黒いメットに黒い革ジャン姿。自宅前に男たちの姿が見えた。レイジもいる。良二はスピードを緩め、彫りの深いハンサムな顔に不安を滲ませた。最近少し痩せて頬が痩けた。そのせいか急に男臭さが増している。  バイクを停めて声をかけた。 「なにかあったんですか?」  白いダッフルコートをだらしなく着たレイジが、「チッ」と舌打ちをする。レイジのまわりを村上の部下たちが取り囲んでいる。ダボっとした地味なスーツを着たその男たちが、「おつかれさまです、若!」とゴツい声で頭を下げた。 「⋯⋯おつかれさまです」  小声で挨拶を返して、「行きましょう」とレイジを引っ張り家に入った。玄関でスニーカーを脱ぎながら聞く。 「どうしたんです?」 「外に出ようとしたら、あいつらが邪魔しやがる」 「外は危険ですよ」  男たちは「宮人組の精鋭部隊」らしい。レイジのボディガードとして村上が連れてきた。 「おまえさ」とレイジはジロリと良二を見た。「毎日、どこに行ってんだ? ひとりでずっと家の中じゃ退屈すんだろ」 「猫探しのネット事業はどうなりました?」 「順調だよ」 「利益が出てるんですね、よかったですね」 「まあな」 「どれぐらいの利益ですか?」  レイジの体に腕を回そうとすると振り払われた。それをもう一度絡めとるように抱き寄せる。 「触んな!」 「ナイフを買えますね」 「違うのを買ったから、もう金はない」 「なにを買ったんですか?」  逃げる体を抱き上げた。新婚の夫が新妻を抱くように両腕で抱えて、和室に向かう。 「下せ!」 「なにを買ったか教えてください、レイジさん」 「ネットで注文したから、もうすぐ届く」 「だからなにを?」 「教えねえ」  レイジを畳の上に下ろしてコートを脱がす。コートを下に引いたまま、細い体を抱きしめた。 「なあ、良二?」 「はい?」 「俺さ、本当にそのマフィアの男なら、香港に帰る。おまえもその方が楽になんだろ?」 「だめです」  ⋯⋯まだ、だめです。  強く抱きしめたまま白い首に唇を当てた。強く吸うと赤い跡がすぐにつく。首、胸、腹、下腹部。すべてに赤い跡がある。毎晩、ほんの少しでも薄くなるとその上に自分の印をつけている。痛みがあるはずだったけれど、レイジはなにも言わない。時々、きれいな顔をしかめるだけだ。 「今だけは俺のそばにいてください」 「だけど⋯⋯」 「お願いします」  残り時間はわからなかった。もしかしたら来週かもしれない。明日かもしれない。それとも、今夜、この瞬間にも記憶を取り戻して良二のことがわからなくなるかもしれない。 「また狙われるぞ。おまえさあ、俺の巻き添えで死んでもいいのかよ?」 「いいです」 「ったく、ガキだな」 「もしかしてレイジさん、ずっと外にいたんですか?」  水色のセーターの中に手を入れて肌を撫でると、冷たい。 「俺の帰りを待ってたんですか?」  レイジは返事をせずに、自分から唇を重ねてきた。長いキスを続けている途中で、 「⋯⋯ヤン?」  と、眉を寄せた。 「ヤン?」 「ヤンって知ってるか?」 「人の名前ですか?」 「今、ふと頭に浮かんだ」  考え込むレイジの細い首に、良二はまた赤い印をつけ始めた。 *  縛られている男たち三人が泣きながら何か言った。どうやら北京語だ。  良二は広東語はできる。母親が台湾出身だったからだ。男たちの北京語は農村部の訛りが強いらしく、良二にはよくわからない。良二と村上のそばにいる痩せた男が通訳をはじめた。 「香港マフィアのことはわからないと言っています。南の男たちは荒っぽい連中で、俺たち北の男たちとはやり方が違う⋯⋯だそうです」  村上が、「なかなか尻尾がつかめませんね」と苦い顔をする。  良二は倉庫を見回した。古くだだっ広い建物。荷物もほとんどなくがらんとしている。もうずいぶん長い間使われてなさそうだった。縛られた男の一人がまた何か叫んだ。 「助けてくれたら、なんでもするって言っています」 「それは聞き取れました、ありがとうございます」  良二が通訳の男に礼を言うと、村上が「若⋯⋯」と苦笑した。「もっと跡目らしくしてくださいや」 「俺、ヤクザの跡取りになるなんて言ってないよ、村上さん」  倉庫には村上の部下たちもいた。村上も部下たちも、そして通訳も地味なスーツ姿。皆、目つきに険がある。良二だけが学生のような灰色のパーカー姿だった。 「警察を辞めたってことは後目になるってことでしょう?」 「そうじゃないよ。それにまだ正式に辞めたわけじゃないから」 「辞めるとなると、警察はうるさいですからね」 「そうだね」  一週間ほど前に休暇届けを出した。警察はすぐに辞められない。根掘り葉掘り理由を聞かれる。ワンクッションを置いてスムーズに止めるためにまずは休暇をとったのだった。 「ちょっと休憩するぞ」  村上が部下たちに声をかける。 「若、外に行きましょうか?」 「うん」  倉庫の外に出ると良二は大きく息を吸った。倉庫の中はかなり埃っぽかった。それだけじゃなく生臭い血の臭いも染み込んでいた。今日は日差しが弱い。冬の空はうっすらと雲に覆われている。村上が、 「俺たちは敵を攻め込んでいるんですが⋯⋯この状況、わかってらっしゃいますよね?」 「わかってるよ、村上さん」 「村上、と呼び捨てにしてください、跡目」 「だから跡目じゃないから、俺」  守っていたら必ず負ける、と村上は言う。確かにそうだと良二も思った。このまま何度も襲われていたら、レイジはいつか殺される。  ⋯⋯攻めますが、いいんですね?  村上が聞いたので、  ⋯⋯うん。  襲われた日の翌日、良二はうなづいたのだ。  だけどこうして目の前で男たちが縛られて殴られるのを見ると、自分は本当は何もわかっていなかったんじゃないかと悩む。 「こんなもんじゃないですよ、若」 「どういうこと?」 「殴ったり蹴ったりだけじゃないってことですよ。レイジ⋯⋯いや、レイ・リーを狙っている香港系の奴らを捕まえたら、若はどうするつもりです? まさか、『狙わないでくれ』と頼むつもりですか?」  頼むつもりだった。少なくとも最初はそうするつもりだった。良二が答えに詰まる。 「捕まえたら殺るしかないです。素人のままの若に、それがやれますか?」 「殺すってこと?」 「当然でしょう?」  いつになく村上の口調は強かった。覚悟はあるのかと聞いているのはわかったけれど、それに答えることができない。黙って、足元を見た。良二のスニーカーに殴られた男たちの血が飛んで赤黒く汚していた。 「少しだけ痛めつけて、それで⋯⋯」 「そんな甘いことをしていたら、どんどん次が出てくるだけですぜ。何回もいうように、それでは負けは決まりです」 「だけど、村上さん」と言いかけたのを村上が遮る。 「レイジの記憶が戻って香港に帰っても、あいつは敵だらけだ。味方が裏切ってるという噂も耳にしました」 「味方が? それってどういう意味?」 「さあ、調べているうちに入ってきた情報の断片ですから、まだなんとも⋯⋯。だけど若、はっきりさせたいんですが、ここで手を引くっていう考えはないんですね?」 「ないよ」 「わかりました。では、ここから先は俺に任せてください。なにも若が直接手を下さなくてもいいんですから。ひとこと、『殺れ』と言ってください。俺たちが殺します」 「殺すなんて簡単に言っちゃダメだよ、村上さん」 「俺は、ヤクザですよ、若」  倉庫の中から男たちの悲鳴が聞こえた。 *  枯葉を両手にいっぱい掴んで、レイジが「雪ってこういう感じだろ?」と空中に投げる。夕日がオレンジ色に染める狭い庭に、カサカサと葉が舞い落ちていく。 「香港には雪は降らないんですか?」 「俺に聞くなよ」 「雪がわからないんでしょう?」 「白いやつだろ?」  また枯葉を集め出す。子供みたいなレイジを良二は縁側に座って見ていた。玄関のベルが鳴ったので出ると、運送会社の青年が組員たちに囲まれて震えていた。レイジがネットで頼んだ荷物が届いたのだ。  縁側で、「いったい何を買ったんですか?」と小箱を見せると、「おまえへのプレゼント」笑いながらまた枯葉を宙に投げる。  開けてみると、高そうな包丁のセットだった。 「その包丁でさ、美味いものをたくさん作れよ」 「今夜はおでんでいいですか?」 「あの茶色いのが色々入ってるやつ?」 「そう、それです」 「俺、あれ好き」  枯葉が舞う。  髪の毛を枯葉だらけにしたレイジが、 「おまえが作るのはなんでも好きだけどな」  笑って、ちょっとだけ照れた顔をした。 *  12月の半ばになると、六本木のビル街も良二が暮らす下町も、一気にクリスマスムードに包まれた。どこに行ってもジングルベル。偽物のツリーと綿の雪だらけだ。  良二は宮人グループの本社ビルに行くと、豪華な応接室で村上と向かい合って座った。 「若、青い顔をしてますね?」  真っ白な髪の若頭、村上が心配そうな顔をする。 「村上さん、俺を宮人組に入れてください」  良二は頭を下げた。村上が慌てる。 「俺なんかに頭を下げてはいけませんや!」 「お願いします」 「本気ですか? 戻れませんよ」 「わかってます」  村上は黙り込んでしばらく考えた。笑顔がひっこむと、途端に得体の知れない顔になってしまう男だ。「ちょっと待っていてください」と部屋から出ていき、すぐに盃を一つと酒を持ってきた。 「馬鹿馬鹿しいと思われるかも知れませんが、これがしきたりなんです」 「義兄弟とかそういうの?」 「若と俺の場合は親と子の盃です」 「村上さんが俺の親になるってこと?」  そう聞くと村上は笑って、いつもの柔和な顔になった。 「違いますよ、若。若が親で俺が子です。そして俺の子たちがすべて若の子になります」  村上は盃に酒を注いだ。 「俺、バイクだから水じゃだめかな?」 「水盃(みずさかずき)は、死にに行く覚悟の盃ですよ」 「そうなの?」 「そうです。もっと極道のお勉強をしてください」村上は嬉しそうだった。笑顔で「三口と半分で飲んでください」と言う。良二が言われた通りに飲むと、今度は自分も酒を注いで飲んだ。静かに頭を下げて、 「跡目、これからは命かけさせて頂きます」  と言う。  良二は短い髪を撫で上げた。「困ったな」と呟く。それから、「俺、刺青を入れたいんだけど」と言った。 「え?」 「そんなに驚かなくても⋯⋯。ずっと前に勧めたのは村上さんだよ」 「それはそうですが⋯⋯。わかりました、痛いのでちょこっとだけ、肩あたりに入れましょうか? 腕のいい彫り師を紹介します」 「うん」 「それからこれからは『村上』と呼び捨てにしてください、若」 「わかった、村上⋯⋯さん」  だめだなあ、と二人で笑った。 「若が跡を継いでくださったら、親子3代の夢が叶うかもしれませんね」 「なんの夢?」 「リトル東京ですよ。ほら、中国人たちはあちこちに中華街を作っているでしょう? あれの日本版ですよ。戦前はあったんですけどね、今じゃ全くない。若と俺で作りましょうや。まずは香港から取りに行きましょう!」  村上が夢見るように笑った。 *  刺青師は組員の一人だった。  長い髪をポニーテールのように高めに結んでいる。若いが、足が悪いらしく杖をついていた。 「佐々木です」  頭を下げようとするのを良二は止めた。杖をついて頭を深く下げようとするので、転びそうになった。  仕事部屋と住まいが一緒になっている。古いマンションのリビングに畳みが置かれていた。先の尖った針のような束がテーブルの上にある。 「最近は使い捨てなんです。病気が移らないように」  そんなことを説明しながら、美容室のヘアカタログのような『刺青画集』を持ってくる。 「跡目にはこういうのはどうでしょうか?」  両肩に花が舞う絵を見せてきた。  良二はパラパラと捲って最後のページにあった絵を指さした。 「これにします」 「これですか?」  男が顔を上げる、切長の目がじっと良二を見て、「全身に入れる人は今はいませんよ」と細い声で言った。「想像以上に痛いです。それに全身に針を入れるとなると、体に悪い。長生きできないし、体のあちこちにヒビが入るような痛みに一生苦しみますよ」  黙って聞いていた良二は、 「これにします。お願いします」  服を脱ぎ始めた。 * 「刺青?」  レイジの箸から商店街自慢のコロッケが落ちる。 「見せろ」 「途中は見せないものらしいですよ、全部できたら見せます」 「はあ?」 「コロッケ、拾ってください」 「おまえなあ⋯⋯」  スマホが鳴った。村上からで「全員、捕まえました」と言う。 「俺も行きます」 「こっちでカタをつけますよ、若」 「俺が行くまで待っててください」  切ると、レイジが「俺もいく。当事者の俺を外すなよ、いいかげん怒るぜ」と立ち上がりかけ、「⋯⋯ッ」と頭を押さえた。 「大丈夫ですか?」 「フラッシュカードみたいにさ、何かいろんなシーンが⋯⋯」 「レイジさん?」 「いろんなシーンが次々に浮かぶんだよな」  こうしたことが頻繁に起こるようになっていた。そしてそのあとはかなり眠いらしい。この時もまだ夕食の途中なのに「眠い」と目を閉じかける。寝室に連れて行き布団に寝かせる。しばらくして規則正しい寝息を確認すると、良二は家をでた。  今夜の見張りは吉岡という男だった。良二と同じぐらい背の高い体格のいい男で、村上のお気に入りの部下らしい。「こいつだけは信頼できますから」と村上が言うその吉岡にレイジを任せて、良二はバイクで夜の六本木を走った。  場所は曰く付きの本社ビルの地下。  バブル時代の終わりに建てられたこのビルで、地下には殺された男たちが埋められているという噂がある。良二が行くと、五人の男が目隠しをされてコンクリートの床に転がっていた。血走った目をした宮人組の二人の男が黙って良二に頭を下げた。 「こいつらを始末すればすべて終わりです。後は俺たちに任せてください」 「村上さん、ちょっと来てくれるかな」  地下から一階の途中まで階段を上がっていく。二人きりになると良二は聞いた。 「どうやって殺すの?」 「銃ですよ。これでも情けはありますからね、苦しまないように一発でやります」 「じゃあ、その銃を貸してください」 「若?」 「俺がやります」 「本気ですか?」 「こんなの冗談で言えないよ、村上さん」  笑おうと思ったけれどできなかった。だけど手は震えてはいない。村上から銃を受け取る。警察では定期的に銃の訓練がある。ある意味、持ち慣れた感触だった。 「トカレフです。フィリピン製の偽物ですけどね」 「うん⋯⋯」頷いたあとは、しばらく無言で立っていた。そして、 「行きましょう、村上さん」  静かに言うと、良二は地下に下りて行った。 *  二月——。  この日は朝から粉雪が舞っていた。  窓を閉め切った縁側で、レイジは猫のようにじっと庭を見つめる。 「そんなに水色が好きですか? 他のセーターも着ればいいのに」  良二は和室から声をかけた。背中から肩にかけて鋭い痛みが走り、顔をしかめる。 「刺青、見せろよ」 「もうすぐ仕上がるからそしたら見せます」 「ケチ」  全身に彫り物を入れたのは、そうでもしなければ耐えられない気がしたからだ。人を殺し続けるのも耐えられない。レイジを失うのも耐えられない⋯⋯。 「もう一回、します?」 「寝起きにやったろ」 「もう一回」 「若い奴にはついていけねえ⋯⋯」  そう言いながらもレイジは立ち上がり、笑みを浮かべて和室にきた。水色のセーターを脱ぐと白い肌。赤い点々が淫らに散っている。良二は灰色のトレーナーを着たまま冷たい裸体を抱きしめた。数時間前に開いた体はまだ緩く、良二のそれをすぐに飲み込んだ。横向きに抱いて突くと甘い声を出す。長いまつ毛が震えて、目尻が赤く染まっていく。苦しそうな表情をしたので、 「大丈夫ですか?」  突くスピードを緩めた。 「そうじゃなくてさ」掠れた声が、「気持ちいいから、もっと、やれ」  良二は笑いながらぶつけるように激しく腰を振る。甘い声が途切れがちになり、「⋯⋯ッ」と赤い唇を噛み締めた。振り向いて、背後から抱きしめる良二の唇を求めてくる。焦れている顔を見るとたまらなくなって、良二は唇を重ねながら深いところを攻めまくる。レイジの細い指が自分の首元で彷徨い、シルバータグの鎖を千切る。二人はほぼ同時にイった。 「修理に出さなきゃ」息を整えながら、レイジが千切れた鎖を指に絡めた。 「俺が持って行きます」  良二の家の住所が書かれたタグ。レイジが迷子になった時ようにと作ったけれど、もう、必要はないのかもしれない。ぼんやりとタグを見つめていると、腕の中のレイジが、 「腹、減った」  呟く。 「昼はオムライスを作りましょうか?」 「俺、ケチャップで絵を描きたい」 「レイジさん、意外とそういうの上手ですよね」 「意外とって、どういう意味だよ」  笑いながらキスをし、また二人とも高まってくる。結局、2回目に突入した。怠惰な、ゆるい出し入れを繰り返している時に、村上から連絡が入った。繋がったままスマホに出ると、 「跡目、御隠居に挨拶に行きましょうや!」  明るい声が聞こえた。 「1時間ほどでお迎えに参りますから、この間作ったスーツを着てくださいよ」  良二と若頭の村上はここ数日、もうすでに隠居している極道の男たちに挨拶回りをしていた。いつまでもトレーナー姿じゃ箔がつかないと言って高級なスーツまで着せられている。 「すっかりヤクザだな、おまえも」 「マフィアとヤクザ、似合いだと思いませんか?」 「マフィアねえ⋯⋯」面白くもなさそうにレイジが笑う。「俺さ、ずっとここにいることに決めた」と自分から腰を振ってくる。 「気持ちいいかよ、良二?」 「すっごくいいです」  細い首に顔を埋めて甘い感覚に浸った。  「⋯⋯ッス!」と独特の声で挨拶をする男たちにもすっかり慣れ、良二は黒塗りの高級車に乗り込むと御隠居のところへ向かう。隣には上機嫌の村上が、真っ白な頭をきれいに後ろに撫でつけ新品のスーツを着ている。良二も髪に櫛目を入れジェルで固めている。黒い高級スーツは肩幅の広いがっしりとした体を際立たせ、白いシャツのボタンは胸元まで開けている。  ⋯⋯立派にヤクザだな。  良二は自分の姿に肩をすくめた。  挨拶回りが終わったこの日の夕方、自宅に戻る車に村上の部下から連絡が入った。 「若⋯⋯。計画通りにしますか?」 「うん」  レイジには内緒だったけれど、実は医者を含めた数人を自宅付近に待機させていた。「発作のように記憶は突然クリアーになる」と言うのが医者の考えで、もしそうなったらレイジをレイ・リーに戻す。  六本木の李カンパニー本社ビル。そこに連れて行く計画だった。    黒塗りの高級車が粉雪の舞う道に止まり、背の高い男が下りてくる。良二だ。  あたりを見回しレイジを探す。一気に入れた刺青のせいで、ズキズキする痛みが全身に走っていた。だけど心の奥にそれ以上の痛みがある。顔をしかめながら探す。 「レイジさん⋯⋯」  見つけた。反対側の歩道だ。水色のセーターを着てフラフラと歩いている。コートを着ていない。良二は思わず駆け寄りそうになった。駆け寄って自分の胸に抱き締めて寒そうな身体を温めてやりたくなった。だけど⋯⋯。 「レイジさん⋯⋯」  車道を挟んで、レイジのあとをついていく。  ビル風が吹く。粉雪が勢いよく舞い上がる。レイジの柔らかい黒髪が風に乱れて、白い顔がよく見えない。良二はじっと見つめながら、ついていく。  レイジが歩道に座り込んだとき、李カンパニー本社ビルから男たちが出てきた。  ⋯⋯終わった。  良二は思った。  ⋯⋯これであなたとの生活も終わってしまった。  黒い高級車が良二の横でとまり村上が下りてきた。 「村上」 「はい、跡目」 「香港、取りに行くぞ」  良二は低く言って、雪空を見上げた。

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