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第13話 ヤクザ
一番近くにいた男の首から肩を、レイ・リーは斜めに切りつけた。
ナイフの傷は勢いよく血が飛ぶ。噴水のように噴き上げる真っ赤な血を、レイは慣れた様子で右に避ける。それから二人目も、切る。レイの足元に二人の男達が転がった。
「次は誰だ」
低く聞く。
銃を構えた男たちが後ろに下がった。レイは前に踏み込む。距離をあけないのがコツだった。遠くからは撃てても、間近にいる人間は撃てない。銃とはそういうものだった。
レイが三人目の肩に深くナイフを突き刺した時、
「情けねえ⋯⋯」
と笑いを含んだ声が聞こえた。
男たちの後ろから、痩せた背の高い男が少し酔ったような足取りで現れる。
「シャオ⋯⋯」
レイは綺麗な顔を嫌そうにしかめた。
「どいつもこいつも情けねえ。金で雇った奴らはダメだな」と男は近づいてくる。シャオ家の裏組織を牛耳る、J・シャオ。女性のような柔らかい整った顔立ちをしていたが、目つきが荒い。「あんたんとこはいいよな、李家の王子さま。子飼いの男たちはいつも命かけてるもんな、あんたのために」
「よく喋るな、相変わらず」
レイはシャオの手から目を離さずに呟いた。内心、やばい、と思っている。シャオの武器はベレッタ92。躊躇なく撃てる男だった。この距離で撃たれたら命はない。シャオが、
「俺たちも腐れ縁だよな」
と、腰の後ろに差したベレッタ92に手を回した時、大きな影がレイとシャオの間に入ってきた。日本の極道、宮人良二だ。
「やめましょう、馬鹿なことは」
ヤクザらしくないことを言って、レイとシャオの両方を交互に見た。彫りの深い端正な顔は穏やかに微笑んでいる。
「二人とも睨み合うのもやめましょう、せっかくのお綺麗な顔が、台無しだ」
「いい男じゃん」シャオが赤い唇を舐めた。「誰、こいつ?」
レイ・リーはこのシャオが大嫌いだったが、それ以上に若いヤクザに苛立っていた。口の中にまだ、嬲られた指の感触が残っている。
だから、言った。
「シャオ、おまえにやろうか、こいつ⋯⋯」
*
香港島の北部のビル群は、すべて李一族の物だ。
その一番高いビルの最上階、全面ガラス張りのオフィスにレイはいた。長い足を組んでデスク前に座っている。デスクには『CEO』、つまり最高責任者の文字が刻まれた銀色のプレートが置かれている。
巨大企業リーカンパニーの若きCEOレイ・リーは、
「そうだな⋯⋯」と考え込んだ。人形のように整った、冷たい美貌で無表情に、「今日は気分がいいから生き埋めで許してやる。あの淫乱なシャオを、どっかの墓にでも埋めてこい」
と命じた。
GUCCIのピンストライプの細身のスーツに着替えている。シャツも黒だ。午前中の服は袖口が返り血でほんの少し汚れた。左手の包帯も血に塗れた。まだ傷口は塞がっていなかったけれど、面倒くさいので包帯を外してそのままにしている。その傷を、レイは形のいい眉をよせてじっと見つめた。
「機嫌が悪そうに見えますけど⋯⋯」
ボソッと呟いたのはアマンダ。黒い皮のジャケットにミニスカート。編み上げのブーツ姿だ。かなり小柄な、浅黒く美しい肌をしたインド系の女性で、レイの部下の一人。自分では「パートタイマー」だと言っていて、李家の子飼いになるつもりはないらしい。なかなか面倒な性格をしていたが、仕事ができた。だからレイは気に入っている。
「は?」
レイが睨むと、
「いえ、なんでも⋯⋯」
大きな二重の目を伏せた。黒い小さな手帳に何やら書き込む。
「では、下の方の誰か若い者を使って、やらせます」
「連絡は俺に直接しろ。ヤンには言うな」
「わかりました」
手帳をパタンと閉じ、それをふくよかな胸元に押し入れた。アマンダが出ていくのと入れ違いにヤンが入ってきた。じろりと、アマンダを睨む。
「あの胸はブラックホールか? なんでも入れるよな、あいつ」
レイがふざけた口調で言ったが、ヤンは厳しい顔を崩さない。
「若」
「なんだ」
「どうしてあんなことをなさったんですか」
「なんのことだ」
「日本から来た客人のことです。シャオ家に渡すなんて」
「あいつが喜んで行ったんだ。無理矢理じゃない」
確かにそうだった。若いヤクザは戸惑った表情になったものの、結局は大人しくJ・シャオについて行ったのだ。
「それはきっと、若とシャオ家の若との争いを止めるための手段でしょう。見ていた部下からそう報告を受けました」
「見てたのかよ。助けろ」レイは舌打ちをする。
「若い世代の遊びには、各家の長老たちも頭を痛めてます。そのうち、お叱りを受けますよ。まさか、アマンダに変なことを命じてませんよね」
「知らない」そっぽを向き、「昼飯」と腹を押さえた。
ため息をついて、ヤンが隣の部屋に行く。オフィスには本格的なキッチンがついていた。オフィスと同じようにガラス張りで、広くて明るい。スタイリッシュなイタリア料理店のような雰囲気で、大きなテーブルが中心にある。ヤンの腕はプロ級だった。スリーピースのジャケットを脱いでベスト姿になると、手際良く香港の家庭料理を作り始めた。エビの卵が練り込まれた蝦子麺を茹でながら白ネギを刻む。鶏がらの出汁で香港風火鍋、ハニーマスタードをベースに魚介を炒めた餡をかけたチャーハンなどを手際よく作っていった。
「日本から取り寄せた鯛を使ってみました」
ハニーマスタードチャーハンの皿を中心に、いくつもの湯気の立つ料理をテーブルに並べた。
レイはチラリと赤い唇に笑みを浮かべると、象牙の箸を手に取り、待つ。ヤンは動かなかった。いつもならすぐに毒見を始めるのに、じっと窓際に立ったままだ。ため息まじりに、
「J・シャオは高台の屋敷でパーティ中らしいです。お行きになって、日本人の若者を連れて帰ってきてください」
「⋯⋯部下に行かせろ」
レイは箸を持ったまま不機嫌に言った。どうやらヤンは、レイが承知するまで毒見をしないらしい。ふざけるな、と思いながらレイは箸でチャーハンの中の鯛の切り身ををつまみ、口元まで持っていく。いきなり吐き気が襲ってきた。箸を投げるようにテーブルに置く。
子供時代、飢えと恐怖がいつも食卓にあった。食べれば死ぬ。食べなくともいつかは死ぬ。そんな日々を物心着く前から送ってきた。母親は過保護だったが、興味の対象は数多くの愛人の方にいつも向いていた。レイが15歳の時に母親が亡くなり、その亡くなった日に、ヤンがレイの側近として現れた。それからは一度も血を吐くこともなく、意識を失うこともなく、食べることができている。ヤンが全てを完璧に取り仕切っているからだ。
そのヤンが、
「部下を行かせれば、騒ぎになります。若がお行きになってください。お願いします」
と頼んでいる。
「宮人家は『リトル・トウキョウ』を世界に作る気でいます」
「どうせ、また失敗する」
リトル・トウキョウ。日本人たちが作り上げようとしては失敗している日本人街のことだ。中国勢は、各国にチャイナタウンを作りあげてきた。李家も、ロサンゼルス、ロンドン、ベルギーと、武器や金融の中心地には全て拠点となる陣地を押さえている。その拠点となる場所を戦後の日本人は得ることができないでいる。
「まずはこの香港、その一歩目を作るためにあの若者はきたんですよ、若」
「俺たちには関係ないだろう」
「シャオ家に取られたら、こっちの利益が減ります」
「チッ」とレイは舌打ちをした。宮人グループは傘下に半導体メーカーを持っている。それが欲しい。もしシャオ家と手を組めば、李家に取っては間違いなく損だ。そんなことはわかっていた。
ヤンはまたため息をつき、テーブルに来ると銀のスプーンを取り出して一皿ずつ丁寧に毒見をしていった。「すいませんでした、お待たせして」と謝る。
「行くとは言っていない」不機嫌に言うと、
「お嫌なら結構です。別の手を考えます。さ、どうぞ召し上がってください。この鯛、美味しいですよ」と丸いレトロな銀縁メガネの奥の目が優しく笑った。
レイは食べ、食べつづけ、チャーハンの皿をきれいに平らげた後でボソリと、
「行く」
と言った。
*
シャオ家の邸宅はビクトリア湾が見下ろせる高台にあった。斜めの土地を生かして建てられた階段状の豪邸で、リビングも玄関もほぼオープン。窓ガラスもなければ扉もない。地下には個室があり、乱行パーティが開かれた時にはそこであらゆる性技が楽しめる。そういう噂は、レイ・リーも知っていた。
知っていたので、
「なんで俺が」
と、苛つきながら黒い高級車から下りると、目に入る人間すべてを鋭く美しい目で睨みながら、外か室内か曖昧な作りの階段を登っていく。
「レイ・リー?」
crazy richと呼ばれる、ハイブランドで身を固めた金のある客たちが囁く。レイがこういう場所に姿を見せるのは滅多にないことだった。若い白人女性の二人連れが、「Doll boy!」、人形のような男と言いながらレイに近づきかけたのを、事情通たちがさっと止めた。
屋敷中、あちこちで大音量の派手な曲が流れていて、その音に負けないほどの声で客たちが騒いでいたけれど、レイが行くと静かになった。誰かが曲すら止め、あたりは静まる。さっきの女性たちのように何も知らない者が「誰?」と聞こうとすると、
「レイ・リー」
静かに教えた。
かなり細身の黒いスーツに黒いシャツ姿。整った顔には表情がまるでなく、静まり返ったオープンエアーの屋敷を歩く姿は、見るだけでも祟る、美しく禍々しい人形のようだった。地下の、個室が並ぶエリアに下りて行こうとした時、右目に黒い眼帯をした穏やかな顔の男が現れた。
「李の若さま、お久しぶりです」
丁寧に頭を下げたのはシャオ家の若頭、朱(シュウ)だ。
「日本人はどこだ?」
「⋯⋯下かと。今、お連れします」
「俺が行く」
レイが下りていくと、朱もついてくる。地下の奥の部屋のドアを叩いて、「若? 李の若さまがおいでです」とシュウが声をかけたが返事はない。レイはドアを蹴り開けた。横でシュウが苦笑する。
「今、一番いいとこなのに」
腹立たしげな声がベッドから聞こえた。絡み合っているのは4人の男たち。シャオは一人の腹の上に座って、腰を振っている。残りの二人はシャオの股間に前と後ろから顔を押し付けている。レイはベッドのそばまで行って男たちの顔を確認した。白人ひとりにアフリカ系がひとり、下にいるのはタイ人らしい。ひっきりなしにタイ語で喘いでいる。
「日本人はどこだ?」
「知らねえよ、誘ったけど振られた。好きな女に操を立ててるらしいぜ、笑うだろ?」
シャオは白く骨張った体を上下にリズミカルに動かす。白人がしゃぶっているシャオのそれは半立ちだった。男たちの交わりをレイは見つめる。
「楽しいか、シャオ?」
「楽しいに決まってるだろ。一緒にやるか?」レイの手に触れた。「冷え手だな。俺より冷たいのはおまえぐらいだぜ」
「触るな」
振り払ってレイは部屋を出た。男たちのSEXをみてもなにも感じなかった。ドア口にシュウが待っている。
「探せ」
自分の部下かのように命じた。
後ろでシャオが、
「俺んとこの若頭を勝手に使うな」
と叫んだ。嫉妬めいた声にレイは薄く笑ったけれど、シャオが続けて、
「いつか犯してアンアン言わせてやる!」
と言ったので、振り向いてポケットに手を入れた。
「若さま、日本人はプールの横にいるようです」
シュウがそっと声をかけてくる。レイはナイフを戻した。
「案内しろ」
「⋯⋯はい」
「使うなって言ってんだろ!」
後ろでシャオがまた叫んだ。
*
最上階にあるプールのまわりは屋敷のどこよりも賑やかで、レイが行っても気がつく者はいないほど誰もがハイになっていた。どうやら妙な葉っぱでも回しのみしたらしい。
南国風の木々の大きな葉を振り払いながらプール横を進むと、宮人良二はいた。ビクトリア湾が見下ろせる位置で、ゆったりとした白いソファが並んでいる。その一つに座って胸のあたりを押さえていた。顔色が悪い。砂漠の民の王子のような、端正でどこか気高くすら見える顔が、苦しげに歪んんでいる。
「怪我でもしたのか?」
レイが声をかけると、パッと振り向き、笑顔になった。
「ただの胸焼けですよ」それから立ち上がって、190はありそうな長身から見下ろしてくる。「むかえに来てくれたんですか? 嬉しいな」
「喜んでついていった癖に」
「嫉妬してくれるんですか? あなたがそんな顔をすると、泣けてくるほど嬉しいです」
「は?」
どういうつもりなんだ、とレイは眉を顰めた。
「好きな女がいるからシャオと寝なかったんだろ? そんなこと俺に言っていいのかよ?」
「好きな女?」笑う。それからビクトリア湾に目をやった。「確かにいます。きれいで優しくて、ちょっと⋯⋯いや、かなりドジな人です。俺の大事な人です」
「へえ⋯⋯」
「香港の景色は本当に素晴らしいですね。あのあたり全体があなたの一族の物でしょう?」と指差す。
「そこに切り込んんで来る気なんだろ? リトル・トウキョウなんてムリだぜ。何回も日本人は失敗してる」
「今度こそ、俺たち宮人がやって見せますよ。手を貸してくれますよね?」
「⋯⋯さあな」
遠くに水面が光っていた。昼下がり、遠くから見下ろす香港の街は静かだ。夜になるとギラギラと夜景ですらも凄みを増す。そんな独特な地域を見つめていた時に後ろで騒ぎが起こった。
「危ないな」
良二が呟く。
ハイになった若い女性たちが半裸になってプールに飛び込んで遊んでいた。どうやらそのひとりが沈んだまま上がって来ないらしい。まわりで騒いでいる客たちに判断力は残っていないのだろう。騒ぐだけで助けようとするものはいない。
「助けないと⋯⋯」
良二はジャケットを脱ぎ捨てた。プールまで走ると勢いよく飛び込む。客たちから歓声が上がる。
「バカか」
レイはゆっくりとプールに近づいた。女性も良二もなかなか上がってこない。プールは深かった。水底にゆらめく二人の姿は見えるがはっきりとはしない。「どうした?」と客たちから不安げな声が上がり始める。
「ったく」
レイが若頭のシュウの姿を探そうとあたりを見回す。その時ひときわ大きな歓声が上がった。良二が女性を両手に抱えて水面に浮上してきた。プールサイドに女性を押し上げる。やっとシュウが現れて「医者を呼べ」と指示を飛ばし始めた。
「あとはあいつらに任せろ」
水を滴らせながらプールから上がってきた良二にそう言うと、良二は「彼女、息をしてますか?」と心配そうに太い眉をよせた。
「おまえ、本当にヤクザかよ? まるで⋯⋯」
呆れながら良二の濡れたシャツに目をやり、レイは言葉を止めた。シャツが、たくましい体に張り付いている。白いシャツは透けてその下の刺青がくっきりと見えている。
「ジャパンのイレズミ⋯⋯」と誰かが囁いた。
「すげえ」こっそりと写真を撮り始める者もいる。
確かに見事な彫り物だった。アジア中でも日本人の彫り師だけが描ける青と朱色の、人体に描く芸術。良二のアポロ神のような若く強靭な背中にびっしりと刺青。その絵は龍。ギロリと目を見開いた龍を背中に背負っている。狂ったような赤い龍の目が、レイをじっと見つめた。
レイが、
「確かにヤクザだな」
呟くと、
「帰りましょう」
良二は無邪気な笑顔を見せて、手を差し出してきた。
手よりその龍に触れたい⋯⋯。
レイは思い、思った自分に舌打ちする。
「来い」
犬を呼ぶように良二に声をかけ、静まり返った金持ち連中の間を歩いた。人形めいた顔が珍しく、チラリと笑った。
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