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第8話 古い王の血
いや、いまはそれより。
「どこ向かってるの? もう帰ろうよ。ひとまずキャンプ場に戻って荷物を……」
「帰れると、思ってるの?」
ひやりとした。
心臓がぎゅっと縮こまり、握った手が冷たくなっていく。
口を引きつらせながら見上げるが、彼は、狼男はにこりともしていなかった。
「どういう、意味……?」
殺さないんだよね?
ザアッと、風が木々を揺らす。寒くて、咄嗟にしがみついた。震えていると、大きな手のひらが背中を撫でる。あったか……
「俺の嫁になってもらう」
「ファアッ⁉」
変な声が出た。
予想外の返答だった。
しれっと言われた方の身になってよ。
「よめ、よめ? 誰が?」
「ベリちゃん」
「ベリちゃん……?」
「駄目だこりゃ」
混乱している俺との会話を諦め、地を駆ける。バイク以上の速度なのに枝や茂みに引っかかったりしない。
とある場所で、空気が変わったのを感じた。
人間の世界から、違う世界に行ったような――
ボッ、ボッとたいまつに火が点る。
屈強な狼男たちが首を垂れている。
王の帰還であるかのように。
「……」
その中をタクトくんは悠々と進む。周囲のオスが自分に頭を下げるのを、当然と言うように。
「お帰り。息子よ」
「母ちゃん。ただいま」
にこっと微笑むタクトくん。一段高い場所に、何とも神々しい銀色の狼。尾が長く、数匹のメスを侍らせている。
シルバーウルフは目を細める。
「……私の子ね。同性を好きになってしまうところ。そんなとこまで似なくて良かったのよ?」
なんて美しい声。親子の会話を聞いている時の俺は、完全にぽけーっとなっていたと思う。
タクトくんは首を横に振る。
「同性だから、じゃないんだ」
「……知ってるわ。貴方は内面ばかり、見るもの」
挨拶を終え、タクトくんは広い湖へとやってくる。澄んだ風に、日本ではまず見られない、満天の星。
張り詰めた空気と視線がなくなり、肺の中を空にする。
「……はあ。肩凝ったでしょ? 何か飲む?」
ようやく俺を地面に下ろしてくれた。小鹿のように俺の足はガクついているが、立てた。
「いまの? すごくきれいな、狼って、まさか?」
「母ちゃんだよー。周りのメスは母ちゃんの嫁さんたち。姉ちゃんとかじゃ、ないからね」
湖の縁に腰を下ろすタクトくんは、どの角度から見ても黒い毛並み。
隣に俺もしゃがむ。
「他の狼は、みんな銀色だったけど? 染めてるの?」
「染めっ⁉ 人間じゃないんだから……。俺の毛は天然ものです。先祖返りって言って、古王の血が濃く出ちゃうんだって」
王?
「え? 何? お、王様、な……べしゅっ!」
くしゃみすると抱き上げられ、膝の上に座らせられる。後ろから包み込むように抱きしめられると、どれだけ風が吹こうが寒くなくなる。むしろ暑……
「王様、なの?」
「ん? ベリちゃん王様が好みなの? じゃあ、王になろうか?」
興味ないけど、と付け加えているが、王ってそんな簡単になれるのか?
「え、いや……。ってか、ここどこ?」
タクトくんが俺の頭にのしっと顎を乗せる。頭がぬくい。
「俺たちの世界。地球上にあるけど、別の空間にあるところ。俺らのような狼男や吸血鬼。雪男も住んでるよ」
頭がついていかない。
「家に、帰して……」
小さな声が出る。後ろにいるためタクトくんがどんな表情をしているのか、分からないのが、不安……
確かにあの家は落ち着く。でも、それはタクトくんが隣に住んでいるから……。彼がいてこそのあたたかさだった。
彼がいない家に、帰ったところで。俺には。
「帰っていいよ?」
「え?」
振り返ると「なんでそんなことで悩んでるの?」と言いたげな灰青眼だった。
ちょっと? え?
「帰って、いいの?」
ガラス細工のように俺を地面に移動させ、タクトくんは腰を上げる。
「俺から逃げられるならね」
「ひっ……」
のそりとのしかかってくる。
彼の膝の上と違い、地面は驚くほど冷たくて。
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