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第9話 我が家
「あ」
顎を掴まれ、口内を舐められる。
「うっ、あ」
「ほら。逃げなよ。俺は追いかけっこも、好きだよ」
「ん、ううっ」
舌をねじ込まれ、唾液を啜り取られる。
彼の大きな体は、下でジタバタもがく俺を嘲笑っているかのようだ。
分厚い舌に、口は限界まで開けさせられる。
「うんん!」
歯の裏や奥歯、喉の奥まで丁寧に舐められていく。くちゅ、ちゅぱっと静かな湖に淫靡(いんび)な音が良く響く。
どれだけ力を込めてもビクともしない。
「あっ。はぁ……やめ」
「かわ……あーゴホゴホ。エッチな顔しちゃって。そそられちゃう」
乱暴にされたら、この子はタクトくんじゃないって思えたのに。どれだけ有利でも、俺が嫌がる言葉を言わないでいてくれる彼は、間違いなく優しいタクトくんで。
舌先が生き物のように蠢き、奥歯や粘膜を舐め回していく。
呑み込めない唾液が口の端からこぼれる。
呼吸の仕方が分からず、息苦しさを感じたところで、ずちゅっと舌が引き抜かれた。混ざり合った唾液が銀の糸のように伸び、あっけなく切れる。
「はあ。はあっ。うう……」
「ちっさい口。まー、諦めなよ。不自由はさせないから。ご飯もいっぱい食べさせてあげる。代わりにその身体は毎日、献上してもらうけどね……」
べろっと首筋を舐められる。
「ひいっ!」
「怖がらなくても、暴力は振るわないよ。人間って弱いし」
ガチガチと歯同士がぶつかる。寒いのか怖いのか、もはや判別不能だった。
「なにが『おじさんが話しかけてきて、怖かった』だよ。……おじさんくらい、片手で追い払えたんじゃ、ないの?」
あまりに震えているせいか、体毛で包みこんでくれた。毛が長くて豊富なため、抱きしめられると俺が見えなくなる。完全に埋まる。
「ふがふが」
「いやあ。あれはほんとに怖かったよ? 急に入って来て荷物漁られたら狼男だって怖いよ……」
それは、そうか。
臆病な者ほど生き残るって言うしな……。狼男には必須な感情なのだろう。俺も勇敢とは程遠い臆病なため、何も言えない。
「タクトくん。数年、人間に混じって暮らしてたなら知ってるでしょ? 人間は急にいなくなっちゃうと、騒ぎになるんだよ」
「こっちに来ると、向こうの人からは自動的に忘れられるよ。記録からも消える。霞みたいに」
目が点になった。
「え? じゃあ、俺のこと誰も覚えてないってこと?」
「簡単に言えばね。ベリちゃんが向こうに戻れば、思い出されるけど」
「そ……そういう、ものなの?」
「違う世界に来てるんだよ? 他の人の記憶からスコンと抜けちゃうに決まってるじゃない」
リンゴは地面に落ちる、みたいに言われても。
――あの人たちの記憶からも消える。
本来は悲しいことのはず……なのに、俺の心は驚くほど軽くなった。
「でも。帰してくれる気は、ないの?」
「俺、初めはベリちゃんに興味なかったんだ。ただの隣人。かわ、やわらかい雰囲気の男性だな、とは思ったけどね」
軽々抱き上げ、どこかへ歩いて行く。逃げられる気がしないので大人しくもたれかかると、小さく「ふふっ」と笑ってくれる。
「どれだけ頼っても、情けないとこ見せても。何も変わらず接してくれると……ね。輝いて見えちゃうし、ベリちゃんしか、見えなくなってくるしさ」
「そう、かな」
「照れた顔もかわ、んンッ! 魅力的だね。でも俺は、頼り切りは嫌だから。支えてくれるベリちゃんを支えたいって思って。母ちゃんのとこで、俺に頭下げてくるオスが大勢いたでしょ?」
「え。あ、ああ」
家来か何か、かな?
「王の座をかけて争うライバルたち。だったんだけど。俺は興味ないから、混ざらないようにしてたんだけど。ベリちゃんを持ち帰った際、奪われるの嫌だから全員殴っておいた。強くなるついでに」
支えたい→強くならなきゃ→全員殴ろう。そうはならんだろ。いやなるのか? 狼ってそういう生き物だっけ? 考え方が、人間との違い、だろうか。
「え。じゃあ」
「いやいや。王候補はまだいるよ。俺の幼馴染で、そいつも真っ黒毛並みなんだ。……かなり強いよ」
そう言う彼の目は思い出を振り返るように細められていて、ちょっとだけ、妬いた。
たどり着いたのは、大きな大きな、木の根元。
「コダマがいそうな木だね……」
苔むしていて、神秘的な風を感じる。森全体に根を広げているかのような、大樹。それなのに威圧感はまるでなくて――
「この、木は?」
「我が家」
家でしたか。
「さっきの洞窟は?」
「母ちゃんの家。近づいちゃ駄目だよ。メスたち嫉妬深いから、意地悪されちゃうよ」
あ、了解です。
「タクトくんがそんなに強かったなんて、思いもしなかった」
「あっちでは正体ばれたら駄目だからね。みんなクソ雑魚演技してますよ」
背中を押され、階段を降りると根元に小さな穴がある。タクトくんからすれば、小さな穴。
「?」
「頭ぶつけないように、入って」
「お邪魔します……」
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