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キャンプ再び 2

 トラックにぶつかる寸前、苺は小学生に覆いかぶさった。せめて、せめて衝撃をやわらげられないかと思ったのだ。間髪入れずにトラックが壁のようにぶつかってくる。  苺は目を瞑った。  最後に、タクトに謝れば良かった。など思って。 「……?」  しかしちっとも衝撃も痛みも襲ってこない。 「……え」  苺は恐る恐る目を開けた。自分は小学生を抱き締めたまま、白線の上にいる。トラックに撥ねられ、もっと吹き飛んでいてもおかしくはない。いや、意識などあるはずがない。  ぽたっ  頭上から、何かが降ってくる。それは苺の頬に落ちた。反射的に手で触れると、赤い液体だった。 「……っ。な、何やってんのかね。俺のクイーンは……」 「タクト君……?」  へたり込んだまま顔を上げる。  トラックは、苺に触れる一センチ手前で停止していた。ギュルッギュルとタイヤはいまだに回転を続けている。アクセルは踏まれっぱなしなのだろう。  それでもトラックは前に進まない。  両手と右足を前に突き出したタクトに止められていた。左足はコンクリートを砕き、足首まで地面にめり込んでいる。  両腕と両足だけ狼に戻り、超常的な力を振るっているが、タクトからは血が流れていた。  当たり前だ。走行中のトラックの前に立ったのだ。 「タクト君!」  悲鳴を上げて駆け寄ろうとしたが、 「離れろ! トラックを止める」  ぴしゃりと言われ、ビクリと身がすくむ。  苺はすぐに小学生を抱き上げた。子どもは目を白黒させていたが、しっかりと苺の服を掴んでいた。  苺が離れていくと、タクトは筋肉を隆起させる。 「あ、あ、ああああっ‼」  狼の指がトラックに食い込み、車体がさらにひしゃげていく。フロントガラスがすべて砕け散る。  タクトは馬鹿力に物を言わせ、トラックを――持ち上げた。 「おおおおおおっ‼」  通行人が垂直になったトラックに大口を開ける。  ブチブチッ  タクトは自分の血管の切れる音がした。歯ぐきから血が出るほど喰いしばると、タクトはタイヤが地面につかないようにトラックを横に向けて道路に置いた。叩きつけると中の人が死んでしまう。それでは苺が悲しむ。  タクトは苺の笑顔を守ると約束したのだ。  何千何万人が死のうと知ったことではないが、苺の周囲では誰も死なせない。  ドォンッ  流石に、物音一つ立てずにそっと置く、は無理だった。だが運転手はシートベルトに守られ、窓から放り出されたりはしていない。意識はなさそうなのですぐに救急車を呼ぶべきだ。 「……っ、ふう。はあ……。ベリ、ちゃんは……?」  肩で息をし、血が流れこんだ片目を閉じて苺を探す。  小学生を近くの人にパスした苺が悲痛な顔で走ってくるのが見えた。  ああ……。そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに。 (でも無事で……。だめだ。ぼーっとす……)  人の姿が保てなくなる。  尻尾が伸び、上着が裂け、肉体が毛におおわれていく。耳は尖り口は裂け、背丈は三メートルにもなる。  狼男の身体がぐらりと傾いた。 「タクト君!」  苺がタクトを支えようと腕を伸ばすも、重みで転倒してしまう。苺はすぐさま起き上がった。 「タクト君。タクト君⁉」  必死で声をかけるも彼は目を開けない。彼に触れた手や服は、血でべっとりと濡れている。 「……はあ、あ」  それを見て、カタカタと歯が鳴る。音を立てて血の気が引いていく。大抵の人は呆けたままだがこの時代、数人がスマホをタクトに向けていた。 「タクト君。起きて! 嘘だ。嫌だ!」  だが苺にはそんなことどうでもいい。  彼に死んでほしくない。 「タクト君! 死なないで! 誰か……誰か」  咄嗟にミキマキを探すも、彼らは一足先にあっちに帰ってしまっている。 (俺の、俺のせいだ……ッ‼)  俺が我が儘を言ったから。すぐに帰らなかったから。俺が勝手な行動を取ったから。  後悔が泉のように湧いてくる。  タクトが死ねば、苺は生きていられないだろう。  タクトは家で、彼氏で、苺の唯一の家族だった。 (どうすれば。どうすればいいの? 救急車……でいいの?)  視野は狭まり、思考はぐちゃぐちゃに千切れていく。  周囲の声も気にならない。  苺に小学生をパスされた人だけが、救急車を呼んでくれている。  苺の目の前は真っ暗になりかけた。  一台の車が猛スピードで突っ込んでくる。  また暴走車かと思い、我に返った苺はタクトを庇うように抱きしめた。  キキィと耳障りな音を立て車は急ハンドルを切り、苺たちのすれすれ手前で停車した。立て続けに二回も轢かれかけ、苺は生きた心地がしない。  扉を開け、一人の男性が下りてくる。その顔に、苺は見覚えがあった。 「……ハガネ、さん」 「乗れ」  黒い髪を束ねた、もう一人の狼だった。 「……?」  タクトは目を覚ました。  愛しい人が、泣いている。顔に、涙が雨のように降ってくる。  ほっと息を吐いた。  苺が無事ならそれでいい。 「タクト君……」 「ベリちゃん」  自分の胸元に突っ伏し、声を上げて泣く苺の頭に手を置く。 「ベリちゃん。怪我はない?」 「……俺の台詞、だよね」  どれだけ泣いていたのか、苺の声はがらがらだった。  タクトは上体を起こす。 「まだ寝てないと!」 「平気平気。それよりここは? あっちに戻ってきたの?」  苺は袖で涙を拭った。だが服は血を吸っていたので、苺の顔は血まみれになってしまう。 「あーあーあーあ」  タクトはすぐに苺の顔を舐めた。おウエッ。自分の血は不味い。 「うん……。ハガネ、さんが。っ……うう、うえええ、ええええ」 「ああ。泣かないでよ」  苺を抱き締める。 「ごめん! タクト君。俺が、俺のせいで!」  血を吐くように叫ぶ苺の頭を撫でる。 「ごめん。ごめんなさい‼」 「はいはい。確かにベリちゃんが良くなかったね。まーでも、あそこで助けに行っちゃうのがベリちゃんだし。次からはね。俺に『行け!』って言ってくれればいいから。次からはね。そうしようね」  子どものように泣きじゃくる苺を抱き締め、周囲を確認する。  かすかにハガネのにおいが残っていた。 (あいつに助けられたのか……。俺を倒す、チャンスだったと思うんだけど。……そういうやつじゃないか) 「兄様! ベリー様」 「あおーん」  大慌てで走ってくるミキマキの姿が見えた。 「ハガネが車に乗せてくれたんだ?」 「うん……。俺じゃタクト君を運べなくて。持ち上げることもできなかった」  人の姿のままで、ハガネはタクトと苺を後部座席にポイポイ放り込むと、車を発進させた。 「あいつ。免許と車持ってたんだ……」 「そこに驚くの?」  タクトの家。寝室。  タクトは包帯まみれで、ベッドに腰掛けている。苺はせっせとタクトの口にお粥を運んでいた。  エプロン姿の苺が可愛い。 「はい。あーん」 「あーん」  タクトとしてはもう怪我は治ってるし、包帯も邪魔なので取りたいのだが。怪我が一日で治ったことに苺は信じられないようで、包帯を取ろうとしたり歩き回ろうとしたりすると叱られる。そりゃもう必死の形相で。 『何してるの⁉』 『もう治りました』 『そんなわけないだろ! 寝てろ!』 『……わん』  まあ、苺に看病されるのが心地好いため、されるがままになっておく。  面倒なのか、ハガネは車のままゲートに突っ込んでいった。タクトの縄張りの近くで二人を下ろし、去って行く。彼も事故現場を見て驚いたのか、助手席にはコーヒーがぶちまけてあった。 「あの……。タクト君、思いっきりスマホとかで撮られてたけど」 「大丈夫大丈夫。ああいったデータ類も消えるから」 「記憶だけじゃなく⁉ そうなの?」 「うん」  拝啓 山野先生。  俺の彼氏は二トントラックを止めます――……。そして全治一日です。  敬具    苺はリンゴを兎型に切り、タクトの口へ。 「はい。リンゴも食べて」 「なんか照れちゃう」 「狼男って、みんなトラック止められる? 怪我もすんなり治るものなの?」  彼は飲み込んでから話す。 「うーん。そこまでは……。俺は古い王の血を引いている特殊個体だから。その辺よりは強くて頑丈って、母ちゃんが言ってたかな」  苺はうつむく。 「そっか……。助けてくれたのは嬉しいし、タクト君が無事だったのも良かったけど。もうやめてね? 俺のこと助けないで」 「無茶言わないでよ。俺の存在意義が。ベリちゃんが無茶しなきゃいいだけの話なんだよ」  苺はベッドに寝転んだ。泣きすぎたせいか、目元が真っ赤だ。 「はあ……。力抜けたよ。当分、外に出たくない」 「ベリちゃんもゆっくり休んでよ。俺は菓子折り持って、ハガネのとこ行ってくるから」 「俺も行くー」 「……? ベリちゃん。ハガネのこと怖かったんじゃないの?」  タクトの尾をぎゅうっと抱きしめる。 「ねえ。タクト君のお母様のところに、近づいたらダメなんだっけ?」 「え? うん。おススメはしないけど、どうしたの?」 「タクト君のお母様に『息子さんをください』って頭下げに行きたいんだけど」 「ブッ‼」  タクトが吹き出し、ごほごほと咳き込む。 「ベリちゃん?」 「血だらけのタクト君が気絶したとき、俺思ったんだ。タクト君が死んだら、あとを追いかけようって」  タクトがいないと生きていけない。それは庇護してくれる人がいなくなるから、ではない。  生きる理由を失うのだ。  タクトのいない世界に意味はない。  周囲が苺の自殺を止めても、苺の心は死ぬだろう。 「俺にとって。タクト君はそのくらい、大事だから」 「……」  固まっていた狼だが、やがて困ったように微笑んだ。自分もごろりと苺の隣で転がる。  ぽんぽんと背中を摩ってくれた。 「ベリちゃんにここまで言われたら、死ぬわけにはいかないね」 「そうだよ。俺より先に死んだら殺してやるから」  タクトは苺を抱き締める。  これより愛しい存在はない。  それは苺も同じこと。  二人はそのまま眠りに落ちるのだった。 「ベリちゃんは、結婚式。挙げたい派?」 「タクト君のウエディングドレス姿が見たい」 「考え直していただけないでしょうか」 【おしまい】

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