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忘れられない3

「夜はなにが食べたい?」  千景に作って貰った昼食を食べながら訊く。今日の昼食はマカロニグラタンだった。  結婚前に料理教室に通っていたからだろうか、千景のレパートリーは広い。実家で茜さんが作ってくれていたような料理が普通に出てくる。そしてその度に思う。家政婦と同じことをしているのに嫌な顔を1度もしたことがない。 「わがままを言ってもいいですか?」  千景がわがまま? 今まで1度もわがままを言ったことのない千景が珍しいなと思う。 「なんだ?」 「中華街で飲茶がしたいです。最近、飲茶を扱うお店が増えたみたいだし、夜にも提供しているらしいので」 「飲茶か。最近食べていないな。行くか」 「はい! ありがとうございます」  そうして嬉しそうに笑う。わがままと言うからなにを言い出すのかと思えば中華街で飲茶がしたいということだった。それくらいわがままでもなんでもないのにと思う。千景としては、わざわざ中華街と指定したからわがままだと思ったのだろうけれど、そんなのわがままでもなんでもない。車でそんなに時間もかからないのだ。混雑さえしなければ40分くらいで着く距離だ。 「行きたい店は決まってるのか? 決まっているなら予約を取るが」 「いいえ。行ってみて良さそうなところに入ればいいかなって。それとも陸さんが行きたいお店ありますか?」 「いや、俺はどこでもいい。じゃあ適当に入ろう」 「はい」  そう返事をする千景は嬉しそうだ。なにか食べたいものがあるのだろうか。 「なにか食べたいものでもあったのか?」 「はい。点心が食べたくて……」 「食べたいものがあるなら食べに行けばいい。休みの日なら車を出すから」 「ありがとうございます」  こいつは食べたいものは作ろうとするのか? 俺は料理をしないからわからないけど、作るのが面倒なものだってあるだろうに。そういうものは食べに行けばいいと俺は思うのだけど千景は違うらしい。  それでも、夜に中華街に行くと決まったからか、千景は嬉しそうにしている。そして、そんなふうに笑っている千景を見て俺もふと頬が緩みそうになって慌てる。  なんでだ? なんで千景の嬉しそうな顔を見て俺まで嬉しくなって笑いそうになるんだ? 今日がいつか忘れたわけじゃないだろう。今日は和真の命日だ。そんな日になんだ。 「陸さん? どうかしましたか?」  俺は難しい顔でもしていたのだろうか。千景が俺を見て心配そうな顔をする。 「いや、なんでもない」 「もし用事があったり、体調が優れないようなら別の日に……」 「いや。大丈夫だ」  さっき嬉しそうにしていたのに、もう表情は曇ってしまっていた。曇らせたのは俺だ。そう思うと少し申し訳ない気がした。 「まだお正月休みだから道も混むだろうと思っただけだよ」  嘘だ。違う。でも、もっともらしい嘘をついたことで千景は納得したようだった。 「あ、そうか。そうですよね」 「だから少し早めに出よう。もし早くに着いたのなら元町でも見ていればいい」 「わぁ。元町なんてもう何年も行ってないです」  元町という言葉を出すと千景の目がキラキラと輝きだした。元町が好きなのだろうか。 「好きなのか? それなら少し早く行くか」 「いいんですか? 嬉しい!」  千景が元町が好きだとは知らなかった。そうしたら今度は元町にあるフレンチの店にでも連れて行くか。昔からある有名なフレンチの店がある。入ったことはないけれど、雑誌でも必ず紹介されるような店だ。いつも食べに連れて行くのは都内ばかりだったが、今度は横浜を選んでもいいのかもしれない。そう思った。

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