63 / 106
初めての7
「うん。美味い。ソースでなくともバターでも美味いな」
ステーキを一口食べた陸さんがそう言う。やっぱりお隣の駅まで行って良かった。まぁ美味しいのはお肉の質の良さとバターであって僕の料理の腕ではないけど。僕がしたのは焼き加減に気をつけただけだ。
そして次にクラムチャウダーを口にした陸さんの腕が一瞬止まる。
「クラムチャウダーか、これ」
「はい。お口に合いませんでしたか?」
これは僕が作ったから美味しくなかったら僕の腕が悪いということになる。
「いや。そんなに時間のかかるものでもないんだな。もっと大変なものだと思っていたが、それほど時間たってないだろう」
「はい。砂抜きに少し時間がかかるだけで、作るのはそんなに難しいものでもないので」
「美味いよ。好きなんだ、これ。また作って貰えるか?」
「はい! いつでも作ります!」
陸さん、クラムチャウダー好きなんだ。陸さんの好きなものをひとつ知れて僕は嬉しくなった。今まで陸さんの好きなものを知らなかったから、知りたいなと思っていた。それがやっと叶った。そう思うと僕は心が弾んで、食事の全てが余計に美味しくなったように感じた。
最近、陸さんを取り巻いていた固いバリアが弱くなってきている気がしていたが、ほんとにそうだなと思う。以前は食事を作ることを許してくれるのがやっとな感じがしたし、作るにしても今ほど気軽に作ってくれとは言わなかった。
これはお義父様の言っていた、心が変わってくるというものだろうか。だって、ほんの少しではあるけれど距離が近づいた気がするんだ。だから、これは時間が経って心が変わってきたというものなのかなって。
陸さんと一緒に住み始めて半年ちょっと。それでも、ここまで来れたことがただ嬉しかった。
僕がそんな風に浮かれながらお肉を食べていると陸さんが言った。
「次回もヒートのときは部屋の鍵をかけなくていいから」
陸さんがポツリと言った言葉で、僕の手が止まる。浮かれていたけれど、この食事は陸さんをヒートに巻き込んでしまったことへの謝罪の為だった。
「でも、そうしたらまた陸さんに迷惑をかけてしまうので」
また陸さんを巻き込んで、仕事に支障をきたしてしまったら大変だ。その度に陸さんの好きなものを作るにしたって償いきれるものではない。
「今はまだ項は噛めない。だけど……」
そこまで言って陸さんは言葉と手を止めた。
項を噛んで貰えないのは当然だと思ってる。でも、”今はまだ”っていうことは、いつかは期待してもいいということなんだろうか。だけど、そんなこと訊けるわけもなく、ただ陸さんを見る。すると、まっすぐに僕を見ていた目が逸らされた。
「熱を逃がすことくらいは手伝ってやれる。俺に抱かれることが嫌でなければだけど」
そう言うと陸さんは止めていた手を再び動かしはじめた。今度は逆に僕の手が止まる。
陸さんに抱かれるのが嫌なわけがない。だって他の誰でもない、大好きな陸さんだ。それに誰かに抱かれるのなんて初めてだったけれど、1人で熱を逃がす惨めさは感じることがなかったし、とても満たされた気持ちになった。それは相手が陸さんだからだと思う。でもだからってそれを陸さんにお願いすることは迷惑ではないのか。なにより好きでもない相手を抱くのは嫌ではないのか。
「でも、お仕事の妨げになりませんか? それが心配です」
「今回のヒートがいつかわかったから、次のヒートは予想がつく。そうしたらその間はできるだけリモートで仕事をすればいいだけの話しだ。一切仕事をしないわけではない」
そうなんだ? 僕が寝た後に仕事をしたと言っていたから、次回もそうするということだろう。でも、そうしたら陸さんが睡眠不足になってしまわないだろうか?
「それで陸さんは睡眠は取れますか?」
「多少は寝不足になるかもしれないが、全然寝ないわけじゃない」
そうなのか。僕はよくわからないけれど、陸さんが寝られるのであればいい。
「俺に抱かれるのは嫌か?」
短いその問いに僕は首を横に振った。そんなわけない。嫌なわけないじゃないか。
「そうしたら次回も鍵はかけるな。そしてヒートが明けたらまた肉でも焼いてくれ。俺はそれでいい」
最後は少し力を抜いて言ってくれる。お肉を焼くだけでいいのならいくらでも焼く。
「はい。……お肉、いっぱい焼きますね」
僕がそう言うと陸さんは、あぁと小さく笑った。僕と陸さんの距離がまた少し近づいたと感じた瞬間だった。
ともだちにシェアしよう!

