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第22話 雪崩
22話 雪崩
リョウはそのガルゴの目から溢れる涙に驚き、それを目に戻すように指で擦る。そんなリョウの手をガルゴは力なく握り、両手で押さえつけた。
「もう、やめてくれ……。」
それはまるで死にかけの獣のように弱々しい声だった。
ガルゴは体を引き離そうと腕に力を込める。それを空かさず感じ取り、引き留めるようにリョウはガルゴを抱きしめた。
「違う……違うんだ、ガルゴ。お前は……。」
言葉を紡ぎ、彼のことを止めようとしてもガルゴは力の入ってない腕で抵抗する。そのガルゴの行為はリョウには彼が小さくすぐ壊れてしまいそうな弱さを感じた。
「やだ……やめてくれよ。」
またガルゴはそんな消え入りそうな声で囁き涙を流す。その覆い被さっているガルゴの体は、大きいはずのその体はリョウの上で体を震わせ、子どものように怯えていた。
「あぁ……。」
リョウはそれで理解した。彼を引き留めるのを止め、彼を離し自らも体を引き離れた。
「……。」
ガルゴは何も言わず、冷たくなった体を起こし、ヨロヨロと覚束ない足取りで浴室の方へ歩いていった。
扉を閉める前、ガルゴは一言だけ言って脱衣場に消えていった。
「……傷つけたくないんだ。」
その言葉がリョウの頭の中で何度も再生された。広すぎるリビングではリョウの心は乱れ寂しさが胸を引き裂きそうだった。
「ああっ!あぁ!!ああぁ……!」
何で叫んでいるのかも分からない。勝手に出た音を鎮めるようにリョウは、テーブルに置かれていたメモ帳の隣にあるボールペンを手に取った。
――――
ガルゴは冷たい体を更に冷ますが如く冷水のシャワーを頭から被っていた。頭のてっぺんから目、鼻、口を流れ。肩、胸、腹、足へと水が流れていく。
それをただただじっと見ていた。
水が流れ、電気もつけてないのにどっかからの反射で水が光る。
大きなため息をつき、その場にしゃがみ込む。先程のこと、リョウのことが頭の中がいっぱいで更に体を丸め目を閉じた。
こんなことをしたかった訳では無い。脳内でリョウの顔が浮かび上がるたび否定の言葉を浴びせる。
どうして普通に愛し合えないのか。リョウにとっての普通は?分かり合えないのか?
ガルゴはついに鈍い音を立て浴室の床に頭を擦り付ける。
リョウの体にある傷跡が脳裏に焼き付いてる。リョウのことだろくに病院にも行かず、適当に処置して体中に傷跡を残しているのだろう。
なぜ?なんで?そんな問いかけが何度もガルゴを苛む。
どのくらい時間が経ったのだろうか、すっかり冷え切って青白くなった指先で床を押し、体を持ち上げる。
リョウと話さなくては。
もう手放さないと決めたからには何が何でもリョウをこの手に繋いでおかないとならない。
震える体で脱衣場に出て服を脱ぐ。タオルで適当に体を拭き、深呼吸をした。脱衣場にある小さな窓から光が入り込んできた。
誰かの車のライトだったのか一瞬光り、また脱衣場を暗くする。電気のついてない脱衣場は暗く、ガルゴは今更のように電気をつけて服を着る。
ガルゴがリビングに戻るとそこにはほとんどそのままの姿でソファに横たわっているリョウがいた。
「……リョウ。」
恐る恐る手を伸ばし、その体に触れる。俯いているため顔が見えない。その顔を見たいような見たくないような気持ちで顔にかかった髪をどける。
ガルゴが少しリョウの肩を引き、顔を向けさせると簡単にリョウの体は動き、髪から覗く黒い目をガルゴに向ける。
「……。」
何も言わないリョウの体には新しい赤色と黒色の点と線のような傷ができていた。
白い肌に目立つその傷に触れないようにリョウの体を撫でる。
「……冷たいな。寒いか?」
「ガルゴも。」
音を立てボールペンが床に落ちた。そしてリョウはその開いた手でガルゴの手を優しく掴む。
「……一つになっても同じに成れないんだね。」
掠れた声で囁き、リョウは涙を流す。
痩せぼそった胸が上下する。浮き上がった肋骨が痛々しいその体にガルゴは目をそらさず一つ一つ見ていった。
「そうだな。お前のようには成れないよ。」
リョウは顔をそらす。胸の動きが早くなった。
「……でも、一緒に居させてくれよ。」
ソファの横に跪くとガルゴはリョウと目線を合わせる。
同じには成れない。きっとリョウの孤独はこれからも続く。共にいるからこそ生きる世界が違うのだと何度も思い知らさせることになるだろう。
「……や、やめろ。」
リョウはガルゴの口を手で塞ごうとしたが手を握りしめられ阻止された。
「お前が望むことはきっと俺には出来ない。でも、リョウ、お前が欲しいんだ。ただ……一緒に居てくれよ。」
「……俺が、俺は満足すること無く、苦しんで不幸な毎日を送れと?」
「違うっ!違うんだ……俺はお前に……。お前と幸せになりたい……。」
「それが何なのかも分からない癖に。」
「……俺はお前と居るから、一緒に探すから。お前を傷つけないで幸せになれる方法探すから。」
「埒が明かないな。お互いに求めてるものが違うのに一緒になんて居られないだろ。」
「それでも……。」
「それでもじゃない。」
リョウはキッパリと言うと突然フラリと立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
「寒い、もう寝る。」
そう言うと服を拾い上げて羽織り、ガルゴの腕を引く。
「お、おいっ!まだ話は。」
「もう諦めな。」
ガルゴは困惑したままリョウに寝室に連れ去られる。
リョウはガルゴを掴んだままベッドへ体を投げ丸くなる。その両手にはガルゴをしっかりと抱きしめていた。
「何を……?」
「湯たんぽ。」
更に強く抱きしめられるとガルゴは顔を上げリョウの顔を覗こうとする。リョウはそんなガルゴの顔を眉を下げて、笑みを浮かべながら目を合わせる。
「おやすみ。」
リョウは優しい落ち着いた声でガルゴに言った。
「……おやすみ。」
ガルゴは苦い顔をして返事をしなければならなかった。
――――
翌朝、ベッドの上にはガルゴ一人きりだった。
ガルゴはまだ感じる布団の温もりを全身で抱きしめて嗚咽を漏らした。
しかし、それだけでは終わらなかった。リョウはまた帰ってきたのだ。以前の生活に戻ったというべきか、ガルゴの家を寝床にして何処かへ行っていた。
何処かのバーに行ったのか酒臭い匂いと知らない香水の匂いさせガルゴの元に帰る。別の日はボンヤリとした表情でフラフラ歩きながら帰ってきて、別の日は体中に怪我をして。
それでも、ガルゴが求めればリョウは喜んで体を簡単に彼に預けた。それは単にガルゴがリョウの無数の遊び相手の一人になった事を意味しているようで、ガルゴは泣きそうになるのを我慢しながら一夜一夜を慎重に味わった。
事が終わり寝ているリョウを留める方法を何度も考えた。しかし、どんな事をしてもきっとリョウは手に入らないのだろうと胸の何処かで確信していた。
ガルゴはただリョウの髪を指先で撫でていた。勿論、体を合わせる以外にも今まで通りに食事や映画を見たりすることはあった。
しかしガルゴにとってそれは苦痛な時間に変わっていた。この時間が終われば離れていってしまうという焦りがどうにもできない焦燥へと変わり心を苛んだ。
とある日、リョウと共に家で食事をしていた。リョウは適当にテレビの番組を変えつまらなそうにしていた。時間帯的にはバラエティが多く放送されていたがどれも気に入らないのかすぐにチャンネルを変える。
「オオカミだ。」
動物番組で雪の中一匹のオオカミが歩いている姿が映し出されてる。
リョウはリモコンを置き、ぼうっとテレビを見ながら食事を再開する。ガルゴはリョウの瞳に映る白い景色を眺めながら食事をした。
「あっ。」
リョウが声を出したのでテレビの画面を見る。オオカミが小さなウサギを捕まえようと駆けている。しかし、そのオオカミは足に怪我をしているのか中々ウサギに追いつけない。
途中、ナレーションが入る。
基本的にオオカミは群れで行動するが、映像のようにオスのオオカミが群れから外れ一匹で生きることがある。そんな内容を聞いた芸能人の反応が小さなワイプで切り取られている。
すると突然、カメラが山の上の方を映す。雪崩が起きたのだ。
オオカミはその下で駆けていく。今度は雪崩から逃げる為。ウサギはとうに居なくなっていた。
もし、このオオカミに群れがいたら雪崩から逃げる前にウサギを捕まえていたのだろうか。そうして、安全に仲間と肉を分け合い群れで移動したのだろうか。
雪崩のため撮影のヘリが少し離れる。
雪崩が辺りを呑み込んでいく。
少しはあった茶色の木々が押し倒され、真っ白な厚い塊に塗り替えられる。
それはあっという間に地形を変え、騒音は止み、また静かな銀世界に戻った。そして、そこに一匹のオオカミが崖の上に立っていた。
カメラはそれを追いかけようとするがヘリが遠く、上手く映せないでいるうちに一匹は去っていった。
ふと、リョウの方を見た。リョウの目はまだその孤独な白い世界を映していた。
――――
リョウとの歪な生活が始まって少し経ち、ある時。リョウがいつもはしない話をガルゴに持ちかけた。
「ガルゴ、仕事のことなんだが。」
それは真面目な風に話しかけてきたのでガルゴは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「しごと?」
「そう、仕事。最近働き始めたからお金のことについて話したい。」
「……働いていたのか?」
「ああ、まぁ珍しくも昼の方で。」
自傷ぎみに笑いながらわざとらしい口調と身ぶり手ぶりで話すリョウを、ガルゴは目を丸くしてぽかんと聞いていた。
「でもまあ、上手くいかないから夜の方に戻ろうかなと思ってんだけどさ。でも……。」
「っ、駄目だ。せっかく昼の仕事を見つけたんだろう?」
「うん。まぁ。でも、うん。そうだな。」
リョウは何か考えるように下の方を向いて、顎に指を添えてブツブツと独り言を始めた。
「……何か困ったことでもあるのか。」
ガルゴはリョウが夜の方に戻るくらいなら、ある程度の金くらい今更惜しみなく捧げるつもりだった。
「いや、また今度にしようこの話は。」
「そうか?何かあったら言うんだ。わかったか?」
ガルゴはリョウの肩を優しく掴んで言う。そんなガルゴの手をチラリと見ると、リョウはニコッと蛇のような笑みを浮かべ手を添えた。ガルゴの手を指先でそっと触れながら腕を辿り、首に回す。
その笑顔のままガルゴにリョウは甘えるように抱きついた。
「今日、一緒に寝よ?」
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