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4.オム・ファタールな戸隠さん①

 ジムの受付に入ると、先に戸隠さんが会員証を見せる。受付のお嬢さんと何か話をしてから、少し後ろで待っていた俺に振り向いて手招きした。  ジム入会のための届を書けということだろう。俺は受付へと歩いて行った。 「いらっしゃいませ! 本日はご来館ありがとうございます。戸隠様よりお試しと聞いておりますが、ただいま当クラブでは、お得な「お友達紹介キャンペーン」と「新規入会キャンペーン」を実施中ですので是非ご検討くださいっ!」  受付のお嬢さんがハキハキ、そして立て板に水を流すように淀みなくそう言って、俺に入会証の挟まれたファイルを渡した。  俺は隣の戸隠さんをちらっと見る。彼は満足そうにニコニコ笑っていた。俺は入会証に記入を始めた。  受付のお嬢さんはこっちが聞いているいないに関わらず、キャンペーンの中身について話し始める。まるで録音された音声がセンサーで垂れ流されているようだった。  要は「お友達紹介キャンペーン」では会員からの紹介で新規入会者があった場合、紹介者入会者どちらにも人気のプロテイン(半量サイズ)がついて、入会者は次月の月会費が半額になり、紹介者には指定電子マネーがポイントとして還元されると言う。  その上で「新規入会キャンペーン」中に入会すると入会金と事務手数料が0円とのこと。年単位で会費を前払いしておくと、一ヶ月分が無料になる、つまり今入会すると年間1.5ヶ月分のお得になる。 「キャンペーンの詳細や適用条件など、気になることがあればお気軽にお声がけくださいね」  きらきらした若い笑顔を見せてお嬢さんは俺から入会証のファイルを受け取った。 「こっちが更衣室だよ」  戸隠さんに案内されて一緒に更衣室へ向かう。中に人はいない。その時々で開いているロッカーを使い、鍵は各自で管理する方式らしい。貴重品などが気になるようなら受付でも預かってくれるという。 「俺を誘ったのは、キャンペーン中だから?」 「それもある」  ははは、と笑いながら戸隠さんはロッカーにさっさと脱いだスーツを備え付けのハンガーに掛ける。俺もその右隣で着替え始めた。  ネクタイをほどき、シャツのボタンを外しながら俺はちらっと戸隠さんを盗み見る。  先にスラックスを脱いでゆるっとしたハーフのトレーニングウェアを身につけてから、戸隠さんは白いワイシャツのボタンを一つ一つ外していく。シャツの袷の間から彼の白い肌が開帳される。肩口からするりとシャツが滑り落ちると、豊満かつはっきりとした胸襟とうっすらと割れた腹筋、均整のとれた無駄のない背中や肩の肉付きがすっかり露わになる。  単純に、セクシーだと思う。  彼ぐらいの年齢になると意識的に筋トレをしていても脂肪ののり方がいびつになるので、全体的に肉体は重力に負けた感じになる。  彼にはそれがない。  一つは姿勢の良さのためだろう。そこへきてボディメイクのための筋トレを欠かさないから若く見える。若く見えるどころか、年齢的な内面の熟成も相まって、滑らかで緩みのない肢体からは匂い立つような色気が感じられる。  職場においては本社経理という鬼の仮面をかぶっているのでそれに気づく人は少ないが、俺を含め見る人が見れば垂涎の存在だろうと思われた。  この体を独占できる法的契約上の権利を持つ誰かがいる。  俺が付き合ってきた相手というのは年齢的にも社会的な立場的にもそういった存在があって当たり前だった。でも奪ってやろうとかそういうつもりで付き合ってたわけではなく、ただ楽しく過ごしてくれたらよかったし、そんなことを意識したことなどなかった。  でも今俺が戸隠さんに感じている感情。それは、嫉妬だ。黒い嵐がほっこりとした花畑に粘っこいタールの雨を降らすのを感じていた。 「戸隠さんは誰の紹介で?」 「本社の同僚」  さらっと言う。正直、その同僚という奴にすら俺の神経がちりっと焼ける。 「今もその人いるんですか?」  俺はアンダーシャツを脱ぎながら尋ねる。隣ですとんと袖を通したTシャツで戸隠さんの見事な肢体は速乾性の布地に隠されてしまった。  胸が大きい人あるあるではあるのだが、ぶかっとしたシルエットのトップスを着ると、胸の高さで裾が下に落ちる。Tシャツは今時トレーニングパンツのなかへinしないから、スーツ姿では着痩せする戸隠さんが、今はまるでゴリラのように逞しく見えた。  そのゴリラがきょとんとして俺を見る。 「さあ。もともと課が違うから時間も合わなくて、最近は見てないけど」  戸隠さんはそう言って左薬指のプラチナゴールドを外すとスーツのポケットへと仕舞った。 「あれ、指輪外すんですか?」 「だってここじゃあつけてもつけなくてもあんまり意味がないってわかったし、邪魔でしょ?」  ばたん、とロッカーを閉めて鍵をかける。 「イイ体、してるよね。野々上君も。でも早く下、履いたら?」  指摘されてはっと気がつく。ずっと戸隠さんに見とれていて、俺自身はずっとパン一だったのである。  それを目元ほんのり赤らめた流し目で見送って、戸隠さんは形のよい唇にアルカイックスマイルを見せた。 「……ぇっち。先に出てるね」  それだけ告げて戸隠さんはふいっと背を向ける。ひらひらと手を振ってさっさと先に出ていった。  俺は彼が見ていた視線の先を追って、自分の視線を下げる。  下着の中でムスコがこっそり自己主張していた。

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